無限の概念は、探求するとどんな学者も最後には発狂するという。(アーサー・C・クラーク『3001年宇宙の旅』より抜粋)
さらに無限とは、加減乗除どんな計算をしても、答えは無限であり不変だという。(某自費出版書籍『ケンジとマーヤのフラクタル時空』より抜粋)
つまり無限に金があるならば、誰しも無限のお金を手に入れても、お金は減らない理屈となる。(ルーディー・ラッカー『ホワイトライト』より抜粋)
ただし資源に限りがあるなら、お金が無限に使われたら一瞬にして資源は尽きる計算になる。(自作の結論だが、強いて言えばA・ビアス『悪魔の辞典』より抜粋)
で、話は飛ぶのだが……過去の名作とされるゲーム、『機動戦士ガンダム・ギレンの野望 ジオンの系譜』だが、なぜ資源が余っているのに、金が足らなくなるんだ!? (そもそも生きるのに十分な資源あるなら戦争なんかするなよ……って、資源がないからって奪い合いの戦争はもちろん言語道断{後述})
ここのあたりに人間の「お金」という概念が当たり前のようでいて、実は本質的な実態を持たない単なる数字ではないかとの疑惑が浮かぶ。
決して共産主義体制を賛同するわけではないが、自由競争原理資本主義の限界はここにあるのでは?
新世紀、「お金」という概念を超越したスマートでシームレスでコンパクトでローコストな社会基盤が生まれないだろうか。
例としては、資源の枯渇や環境問題の行く末が解っていても、決して自暴自棄にならないで滅びゆく世界に順応してスローライフに生きる、調和のこころの和製SF漫画が早くも二十年前に出ていたという。(うわさを知っただけで読んではいないが、『ヨコハマ買い出し紀行』)
ジョン・レノン『イマジン』聴いても伊東歌詞太郎『星の唄』聴いても現実は変わらないのだから……
追伸。絵本『晴れときどきブタ』では、∞(無限記号)が落ちに使われていたが、アニメ版では主人公宅でハレブタを飼っている間、一回も豚肉を食べなかったのか疑問なのだが……(たしか一度、共食いとかいってハレブタが吹いていた)