私は貴方に魔法を掛けます。貴方が貴方に魔法を掛けるように。それが成功するかは貴方しか解りませんよ。まあ忘れてしまうのですけれどね。
 誰に向けた言葉でもないですが。人は全力疾走していてもただときに立ち止まり、後ろをつまり過去を振り返ることも必要です。
 親や教師はただ前向きに『強く生きろ』『過去を語るな』というものですが、それは暴論だし責任逃れです。だってならばみんな歴史をなぜ学ぶのか。
 愚か者は失敗に学び、賢者は歴史に学ぶと言います。このことわざの是非はともかく、生とは常に勉強です。学生しか学ばないわけではありませんし、一生成長し続けるしなにより真理に理解とはおそらく必ず痛みを伴います。
 以下は私が学生だったころの話です。
 
 敬虔な信者でありたい私はあるとき構内で、無神論者という男友達にぼやいていました。かれは工学部でがちがちの理系頭でしたが。
「貴方は無神論者っていうけれど、なにをよりどころにしているの?」
「輝きの堕天使、ルシファーさまを崇拝する敬虔なサタニストさ」
「こら!」
「だって大災害の時すらカルト宗教の連中は『信仰が足らないから天罰が当たったのです、ほんとうに信仰すれば救われます。私たちの信者で亡くなったものはいません』と吹いて、おまけに寄進とか名目で金取ろうとする」
「ひどいわね、なんだってカルト勧誘員は、『神に縋れば救われる』なんて説くのかしら。それはむしろ正統派な信仰を裏切る行為とすら解らない浅薄な考えなのに」
「そうなのか、正統派ってなんだ?」
「救いを外部に求めてはいけないのが、本来の宗教よ。人智を超えた神などではなく、人が死後仏になるという親鸞聖人の教えもそうだし、キリストは偶像崇拝を禁止していた。後の弟子が勝手にクロス、ロザリオ、マリア像、免罪符……つまり神の許しを金で売ったの」
「でも若い人ほど宗教を信じないとは統計にあるし、歳を取ると宗教を信じるようになるのは統計で明らかだ。あるヤツから言われたよ。『きみは宗教信じないって言うけれど、死ぬ瞬間には神に祈るのではないか?』って」
「それは否定できないかもね、サタニストさん」
「否定できるさ。僕は虫垂炎手術の時……」
「たかだか盲腸の手術で武勇伝?」
「大腸が破れて腹の中に汚物が流れ出ていたと言う、ひどい重症だったよ。発見が数日遅れるか腹膜炎を起こしたら死んでいた。執刀外科医二人、担当外科医計四人だ。そんな手術を受ける全身麻酔をした瞬間すら、僕は神には祈らなかったさ」
「頑固ね。それとも信念が強いのか」
「オカルトビリーバーは宇宙に意志があって、人間の願いを聴いてくれると信じているよ。それも強く願えば現実に叶うってね」
「それってカルト宗教とほとんど変わらないじゃない」
「そうさ。最初の質問に戻って心のよりどころは、自分自身に課しているよ」
「それは理想なら美徳だけれど……そうね。世界ってなんでできたのと思う?」
「ああ、地上は神々の作ったゲーム場だ。神はその出来過ぎた能力の生活に飽き、不完全で限られた命の生き物としてすべてを忘れて遊びに生まれる」
「過激な論理ね。それならなにが生きる意味、価値なのか」
「価値は二つ。『強さ』『美しさ』。地上の生き物はそうしたものが繁栄する。かつて長らくは、恐竜こそがそうだった。恐竜は地上でもっとも強く美しかった。故に数億年繁栄した。生きることに倦み、神々に見捨てられるまでは」
「ファンタジーよ。それともとんでもSFのつもり? ならば微生物は十億年来のかつては最善だったのかしら」
「さてね。人間は弱く醜い。誕生して数万年、それも文化が発展したここ数百年だけで滅ぼされようとしているのかも。堕落すると滅ぶ。それでも神々は日本人の作るアニメのように、人を神より美しく作った」
「それでも人を、生き物を数でしか言葉でしか価値としてしか評価できないとしたら、それは傲慢だし人間の尊厳を損なう行為ね。人間の価値なんて概念そのものが独善的だし、仮にそんなものあっても評価だけが高ければ優遇されるのは哀しい。それが現実社会だけど」
「理系人間はオカルトを必ずしも信じないわけではないさ。非科学的だと毛嫌いするものとSFの延長線上にあるものとして受け入れるものとに分かれる。SFファンには同時にミステリーオカルトファンタジーファンなのが多い」
 ここでひと段落し結論が出たように思えたので私は意見しました。
「ならばひとのために動く。これがきっと価値ね。人の世の絆に」
「なにか欠けているな、おかしい。それでは万物に対する平等に反するし生きる上で意味を見付けられない。ひとだけが世界ではない。他の生き物……あるいは無生物だって。前世紀はお国のために死ぬのを美徳とされたが。権力者に阿諛追従して貧乏人同士殺し合ってなんになる。それにだれかひとのために生きられない人間には価値は無いのか?」
「ひとのために生きられない人間なんていないわ」
「病人は? 無職は? 障害者は? 蔑視の嘲笑の対象として価値があるのか? または子供学生に老人は働かないでも生きているが、それは否定できないはず」
 
 私は思い至りました。視覚聴覚障害者では知性があっても思うように学べない。感覚器に障害があって学習がどれだけ困難か。それを理解せずろくにものを知らない身体障害者を、知的・精神障害者と馬鹿にするものこそ、度量がない浅薄な人間だと。
 もちろん知的・身体障害者を頭から馬鹿にして疑わないものも、虚栄心だけあり自尊心の無い自分自身に気付かない低能といえます。現実が見えていないのです。
 かれは言っていました。この宇宙の物質は、ビッグバンのとき爆発したエネルギーのたった十億分の一の燃えカスなのだと。ほかの十億倍のすべては光なのだと。
 そうして世界が見えた気がしました。宇宙規模で見上げればひとの浮世の出来事はおままごと。ですが貴方はこの世界の一部であり、すべてなのですよ。
 もちろん聡明な貴方はこんな戯言信じないでしょうね。真理とは絶対ではなく個々により違うもの。その己の見付けた星こそが価値なのです。
 とっとと忘れて貴方のいまを生きてくださいね。
 
(終)