あら? 以前お逢いしましたっけ。このイミナの戯言に付き合ってくれた方でしょうか。忘れてもいい、とは私が言った言葉なので、お気になさらず。
もしお逢いしたなら貴方は変わりものです、物好きですね。この前で『理解とは痛み』と知ったのではないですか?
あ、私がいけないのですね。当然です、貴方に忘れていいと言ったのは、この私なのですから。はい、ごめんなさい。どうか忘れてください。
ですが貴方はご自身の『魔力』に気付いた。この世界を築いている万物のほんとうの源を。
こんどもその話にしましょうか。
親や教師から『強くなれ』、と言われたごく幼い子供は、なにが強い事なのか理解しないものです。だから肉体的な強さと勘違いし、自分より弱いものを探し挑発して馬鹿にしては、喧嘩に持ち込んで勝って強さを誇ろうとする。
それも、卑劣な場合は仲間と何人もつるんで組んで弱いもの一人を狙い、虐げる。典型的ないじめですね。
しかもその行為を悪と自覚しないから、発覚して教師から叱られたりするとなにも悪い事していないのに怒られた、と思って逆恨みすらする。
戦いが主体のヒーローものの、各種メディア文化の弊害かもしれませんね。
それでいて、格闘技をする巨漢で三十歳も過ぎたのが「ここでいう強さって、心の強さのことではないかな」などといまさらボケている、恥ずかしい例もあります。
だからこのあたりまえの概念を学童期に身に付けられないようでは、いくらテスト偏差値だけ高い点数を上げたって、なんの意味もないのです。
しかし学校教育は、学生間に競争意識を植え付け、競わせ、戦わせ、それを乗り越えて成長させるのを名目にしています。
ほんらい数なんてものでは表せないはずの人間の能力を、短絡的に減算式試験の数値で計って結果を出すことが前提にあります。
しかもそれはほんとうに大切な資質としての、人間性とは無関係なのです。
数値面だけ良い成績を出すことが、必ずしも頭の良さではないのに。
たとえ無知で力なくとも人として屈折した間違いをしないものもいる。仮に超高学歴でも、社会的な立場を利用し卑劣な犯罪をして恥じるどころか自慢するものもいる。
成績が良いものを妬み嫌がらせして足を引っ張り、成績が悪いものを馬鹿にして自己満足に浸り増長するのがまかり通っています。それこそ愚者、社会悪の根源なのに。
他人との競争ではなく、楽しんで学んでいられるほうが能力は伸びるものです。
戦いとは常に『自分との相対的な』ものであり、それが強さであり力なのです。
さあ、刻んだら忘れましょう。魔力は常に貴方に。忘れても消えはしませんよ。
戦争での人殺し、大量殺戮者を英雄と位置付けるのがのさばるような、平和ボケしている意識を改革すべきですね。これは喜劇王の時代から繰り返された常識なのに。
個人の道徳観念、正義感倫理意識を度外視で、単なる受験競争を勝ち抜いた野心剥き出しな人間が、社会的に高い地位に就く現状は歪んでいるかもしれません。
名家の生まれだけでろくに学びもせず、地位を得て誇るよりはマシですが。
貴方はどうでしょうか……まあ、悩まれても不愉快になるだけ。忘れてくださいね。
ある少年がいました。彼にとって大切なものは、社会的地位でも名誉でも道徳でもなく、ただ自然科学を学ぶことだった。歴史や語学より、まず科学。
決して社会的に出世したいわけではない、単に情熱が知的好奇心に満ちている学生だったのです。
ですが彼は友人関係となると、まるで人付き合い悪かった。彼にとって必要なのは知識であり、友情と呼ばれるものは理解していなかった。
だから孤立した。成績を妬まれ、嫌がらせを受けるようになった。そのためまともに学べず、落ちこぼれた。
彼は悪意なんて無いのに、周りの連中は彼から馬鹿にされていると、勝手に逆上した。彼の成績が落ちると、みんなでこぞって軽薄に嘲笑し、侮蔑した。
彼は卑劣な罠に陥れられ、犯罪者扱いすらされ学校を中退に追い込まれた。
以後、彼は屈折した、夢を失った人生を歩んだ。ただ生きているだけで、なにも報われない。苦しいだけ。どれだけ努力しても満たされない。
だから彼は自分を苦しめたやつらを、人間を、社会を盛大に憎悪した。定職にも就けず、貧乏生活の中酒浸り……それが十年以上も続いた。
家族との死別もあり、ほんとうに行き詰ってしまった。生活できなくなる寸前だった。
だけど、本心から打ち解けてくれる、自分を裏切らない親友……無限に広がる自然科学の魅力に、久し振りに立ちもどれる日が来た。正確には、自然とは気紛れ、可能な限り嘘を吐くものですが、それも受け入れた。
屈折した人生だけれど、彼は知った。
自ら痛みを知るほど、人は優しく寛容に度量広く見識深くなれる……
しかしそれを一歩間違えると愚かしい不毛な憎しみの連鎖の環に陥る……
苦しむのは被害者も加害者も一緒。
加害者の中には罪を自覚せず安穏と生き続けるものがいる。
苦しみ自ら命絶つ被害者は、殺人犯よりけた外れに多い。
なにが正しく、間違っているかなど、人にはわからない。
世の中は混沌としているけれど、ただ人は生き抜くだけ……
もし神というものがいるとすればそれが神の意図だから……
ただその神秘にこころを澄ませて。見て、聴いて、触れて。
それらの重要性に、真に目覚めたのです。
ですから人生に意味や目的なんか、存在しないかもしれませんね。少なくとも、生まれた時点ですでに定められていたことなんて。それを身勝手に事前に決めつけて押し付けるかのような、生きる上での枠組みである『社会』というものの矛盾があります。
当たり前に学校へ行き、成績の良いものはレベル高い学校を出て、一流とされる大きな会社へ入って働くのが当然とみなされて……業績を上げて管理職を目指し、階級をのし上がるのが『健全な』社会とされて……
そうした枠組みから外れてしまったときに、自分を見つめ直すと抜けがらしか見えないかもしれません。彼も退学のとき、失職したとき、親族との死別でそうでした。
ドロップアウト、脱線組に回ると、別の生き方を探すのに苦労します。自分に価値を見つけられず、苦しい時期があります。
彼はすべてを失いましたが、人生という名の危険な魑魅魍魎徘徊する真っ暗な『死の罠の地下迷宮』で、大切な『宝』を手に入れたのですよ。だから満足していました。
自然科学好きな人間が、歴史上例の無い人類最高の科学発展の過程期に、もっとも世界で躍進目覚ましい国に、恵まれた環境で生まれたのかもしれないと悟りました。すると周りの妬み買って自然だ、とすら。
彼は自らが理想としていた水準までの知識こそろくに身につきませんでしたが、想像力は知識より重要だと、前世紀最高の物理学者は述べていることを知ったのです。
知っていれば解る、知らなければ解らない。自然です。無知な人を簡単に馬鹿と罵る人こそ馬鹿というものです。知性とは知識量ではなく、知恵、考察力、判断力といった総合的な思考力によります。
名前の意味が解らないときは、辞書を引けば解る。意味を知っていてその名前が解らない、これは難しい。
子供はなにも知らないといいますが、ほんとうは、最初からかなり物事の本質、意味を知っているものです。ただその名前を知らないから使えないだけなのです。
『中年はすべてを疑う、老人はすべてを信用する』ともいいますね。
これを悟った時、彼は失ったものの大きさに打ちのめされました。自分が侮蔑されてきたと同時に、代償を求めない愛を注いでいてくれたものが、確かに存在したことを……
両親と、僅かな理解ある師に友……それになにより世界そのものです。悲しいことになるしかありませんでしたが。
だから彼は自分自身に語ります。
「命を抱えて生きていく。人はみんなそうして生きる。総量としても世界に喜びより哀しみの方が多いのは確か。でも、闇よりは光ある思い出を抱えて生きていきたい」
……憎しみに囚われ堕落していた時間の三割も、自己の練磨に向けていたら、大成功していたかもしれない。それに行き着き、涙し、もう迷うことはありませんでした。
すると無数の聴こえない声が、彼を祝福し賞賛してくれるのを感じるのです。
彼は断言しました。
「腕力より情報がものをいう世界が現代の社会。科学を知るより、人の心を操れる語学の方が強いのかもしれない。それを踏まえても、小さなプライドに生きるよりは、しがらみに囚われないで生きたい」
それだけを美徳にする志士となること……彼は消息不明ですが。
さあ、忘れたら貴方の歩む番が回ってきますよ。
(終)
もしお逢いしたなら貴方は変わりものです、物好きですね。この前で『理解とは痛み』と知ったのではないですか?
あ、私がいけないのですね。当然です、貴方に忘れていいと言ったのは、この私なのですから。はい、ごめんなさい。どうか忘れてください。
ですが貴方はご自身の『魔力』に気付いた。この世界を築いている万物のほんとうの源を。
こんどもその話にしましょうか。
親や教師から『強くなれ』、と言われたごく幼い子供は、なにが強い事なのか理解しないものです。だから肉体的な強さと勘違いし、自分より弱いものを探し挑発して馬鹿にしては、喧嘩に持ち込んで勝って強さを誇ろうとする。
それも、卑劣な場合は仲間と何人もつるんで組んで弱いもの一人を狙い、虐げる。典型的ないじめですね。
しかもその行為を悪と自覚しないから、発覚して教師から叱られたりするとなにも悪い事していないのに怒られた、と思って逆恨みすらする。
戦いが主体のヒーローものの、各種メディア文化の弊害かもしれませんね。
それでいて、格闘技をする巨漢で三十歳も過ぎたのが「ここでいう強さって、心の強さのことではないかな」などといまさらボケている、恥ずかしい例もあります。
だからこのあたりまえの概念を学童期に身に付けられないようでは、いくらテスト偏差値だけ高い点数を上げたって、なんの意味もないのです。
しかし学校教育は、学生間に競争意識を植え付け、競わせ、戦わせ、それを乗り越えて成長させるのを名目にしています。
ほんらい数なんてものでは表せないはずの人間の能力を、短絡的に減算式試験の数値で計って結果を出すことが前提にあります。
しかもそれはほんとうに大切な資質としての、人間性とは無関係なのです。
数値面だけ良い成績を出すことが、必ずしも頭の良さではないのに。
たとえ無知で力なくとも人として屈折した間違いをしないものもいる。仮に超高学歴でも、社会的な立場を利用し卑劣な犯罪をして恥じるどころか自慢するものもいる。
成績が良いものを妬み嫌がらせして足を引っ張り、成績が悪いものを馬鹿にして自己満足に浸り増長するのがまかり通っています。それこそ愚者、社会悪の根源なのに。
他人との競争ではなく、楽しんで学んでいられるほうが能力は伸びるものです。
戦いとは常に『自分との相対的な』ものであり、それが強さであり力なのです。
さあ、刻んだら忘れましょう。魔力は常に貴方に。忘れても消えはしませんよ。
戦争での人殺し、大量殺戮者を英雄と位置付けるのがのさばるような、平和ボケしている意識を改革すべきですね。これは喜劇王の時代から繰り返された常識なのに。
個人の道徳観念、正義感倫理意識を度外視で、単なる受験競争を勝ち抜いた野心剥き出しな人間が、社会的に高い地位に就く現状は歪んでいるかもしれません。
名家の生まれだけでろくに学びもせず、地位を得て誇るよりはマシですが。
貴方はどうでしょうか……まあ、悩まれても不愉快になるだけ。忘れてくださいね。
ある少年がいました。彼にとって大切なものは、社会的地位でも名誉でも道徳でもなく、ただ自然科学を学ぶことだった。歴史や語学より、まず科学。
決して社会的に出世したいわけではない、単に情熱が知的好奇心に満ちている学生だったのです。
ですが彼は友人関係となると、まるで人付き合い悪かった。彼にとって必要なのは知識であり、友情と呼ばれるものは理解していなかった。
だから孤立した。成績を妬まれ、嫌がらせを受けるようになった。そのためまともに学べず、落ちこぼれた。
彼は悪意なんて無いのに、周りの連中は彼から馬鹿にされていると、勝手に逆上した。彼の成績が落ちると、みんなでこぞって軽薄に嘲笑し、侮蔑した。
彼は卑劣な罠に陥れられ、犯罪者扱いすらされ学校を中退に追い込まれた。
以後、彼は屈折した、夢を失った人生を歩んだ。ただ生きているだけで、なにも報われない。苦しいだけ。どれだけ努力しても満たされない。
だから彼は自分を苦しめたやつらを、人間を、社会を盛大に憎悪した。定職にも就けず、貧乏生活の中酒浸り……それが十年以上も続いた。
家族との死別もあり、ほんとうに行き詰ってしまった。生活できなくなる寸前だった。
だけど、本心から打ち解けてくれる、自分を裏切らない親友……無限に広がる自然科学の魅力に、久し振りに立ちもどれる日が来た。正確には、自然とは気紛れ、可能な限り嘘を吐くものですが、それも受け入れた。
屈折した人生だけれど、彼は知った。
自ら痛みを知るほど、人は優しく寛容に度量広く見識深くなれる……
しかしそれを一歩間違えると愚かしい不毛な憎しみの連鎖の環に陥る……
苦しむのは被害者も加害者も一緒。
加害者の中には罪を自覚せず安穏と生き続けるものがいる。
苦しみ自ら命絶つ被害者は、殺人犯よりけた外れに多い。
なにが正しく、間違っているかなど、人にはわからない。
世の中は混沌としているけれど、ただ人は生き抜くだけ……
もし神というものがいるとすればそれが神の意図だから……
ただその神秘にこころを澄ませて。見て、聴いて、触れて。
それらの重要性に、真に目覚めたのです。
ですから人生に意味や目的なんか、存在しないかもしれませんね。少なくとも、生まれた時点ですでに定められていたことなんて。それを身勝手に事前に決めつけて押し付けるかのような、生きる上での枠組みである『社会』というものの矛盾があります。
当たり前に学校へ行き、成績の良いものはレベル高い学校を出て、一流とされる大きな会社へ入って働くのが当然とみなされて……業績を上げて管理職を目指し、階級をのし上がるのが『健全な』社会とされて……
そうした枠組みから外れてしまったときに、自分を見つめ直すと抜けがらしか見えないかもしれません。彼も退学のとき、失職したとき、親族との死別でそうでした。
ドロップアウト、脱線組に回ると、別の生き方を探すのに苦労します。自分に価値を見つけられず、苦しい時期があります。
彼はすべてを失いましたが、人生という名の危険な魑魅魍魎徘徊する真っ暗な『死の罠の地下迷宮』で、大切な『宝』を手に入れたのですよ。だから満足していました。
自然科学好きな人間が、歴史上例の無い人類最高の科学発展の過程期に、もっとも世界で躍進目覚ましい国に、恵まれた環境で生まれたのかもしれないと悟りました。すると周りの妬み買って自然だ、とすら。
彼は自らが理想としていた水準までの知識こそろくに身につきませんでしたが、想像力は知識より重要だと、前世紀最高の物理学者は述べていることを知ったのです。
知っていれば解る、知らなければ解らない。自然です。無知な人を簡単に馬鹿と罵る人こそ馬鹿というものです。知性とは知識量ではなく、知恵、考察力、判断力といった総合的な思考力によります。
名前の意味が解らないときは、辞書を引けば解る。意味を知っていてその名前が解らない、これは難しい。
子供はなにも知らないといいますが、ほんとうは、最初からかなり物事の本質、意味を知っているものです。ただその名前を知らないから使えないだけなのです。
『中年はすべてを疑う、老人はすべてを信用する』ともいいますね。
これを悟った時、彼は失ったものの大きさに打ちのめされました。自分が侮蔑されてきたと同時に、代償を求めない愛を注いでいてくれたものが、確かに存在したことを……
両親と、僅かな理解ある師に友……それになにより世界そのものです。悲しいことになるしかありませんでしたが。
だから彼は自分自身に語ります。
「命を抱えて生きていく。人はみんなそうして生きる。総量としても世界に喜びより哀しみの方が多いのは確か。でも、闇よりは光ある思い出を抱えて生きていきたい」
……憎しみに囚われ堕落していた時間の三割も、自己の練磨に向けていたら、大成功していたかもしれない。それに行き着き、涙し、もう迷うことはありませんでした。
すると無数の聴こえない声が、彼を祝福し賞賛してくれるのを感じるのです。
彼は断言しました。
「腕力より情報がものをいう世界が現代の社会。科学を知るより、人の心を操れる語学の方が強いのかもしれない。それを踏まえても、小さなプライドに生きるよりは、しがらみに囚われないで生きたい」
それだけを美徳にする志士となること……彼は消息不明ですが。
さあ、忘れたら貴方の歩む番が回ってきますよ。
(終)