図書館でまったり高校物理を調べていた時。『事件』は突発的に発生した。私は思わず、過去の内地戦闘機スクランブルを疑った。慌てて情報を整理しようとする。
情報はATに次々と飛び込む……厚木基地陥落。那覇通信途絶……入間基地は工作により飛行隊全滅、釧路空港以下東日本空港システムダウン……それから、それから……
ATに着信音。急ぎ会話のできる外へ出る。焔が話しかけてきた。
「敵は局地戦を選んできたか。戦力を散らすとは好都合だ。俺たち『止魁戦』もできる限り、キメラどもを各個撃破するまで。パルスレーザーペン、チャージだ。ピンポイントで目を狙う。少し待っていて。短距離精密偏差狙撃用のソース組むから」
しかし同じくリンクした司魔は意見した。
「いや、これはおそらく陽動作戦だよ。ここまで一斉蜂起できる戦力があるなら、その半数を……僕なら心臓部首都東京に向けるからね」
「馬鹿な! 首都の軍事基地や拠点でもない、民間人のいる街中を制圧すると言うのか? つまり、都民を人質に……敵がどれだけ大企業か知らないが、そこまでの戦力は無いはず。よくて国会や放送局、ホストサーバー制圧がせいぜいだろう」
「いいえ、計画的にこうも各地で決起決行できた相手。そのくらいは見込んでいるはず」
私は意見した。
「警察や自衛隊に任せる手は?」
「キメラ相手とは、警察や自衛隊のマニュアルにないものね。なんら法律も規制も無いし。どちらかといえば、猟友会の領分かも。むしろ、敵の狙いとしては戦力となる自衛隊基地と米軍基地を真空地帯にして……」
「すると、内乱平定を口実に外国が進駐に来る!」
「東日本大震災時、その気になれば外国は日本を征服できた。しかしそれは起こらなかった。今回もそれに期待するしか……あ、僕は仕事に戻らないと。ファイル送る。閲覧しておいて」
……司魔が送ってきたのは、F・W・ランチェスター、イギリスのエンジニアによる第二次世界大戦時の軍事戦略の概要小論文だった。少し過去に聴いたことがある。これは焔なら、知っていた。かなり要約してあるな。
そのランチェスター戦略によると、戦力に劣る弱者は戦力を局地的に集中させて、当然。それならその局地戦に限り互角に戦える。しかしそれに追記があった。
決定的に戦力差がありすぎる場合は、そうはいかない。むしろ寡兵をさらに分散させての散兵戦術の一撃離脱が有効となる。敵はごく少数のゲリラ側に、一度に多方面に極端に戦力を割かなければいけなくなるから、余計な消耗を強いる理屈となる。無論、陽動作戦に徹し、戦端は決して開かないで撤収する。敵の戦力が大きいほど効果的だ。
そしてそれだけでは勝てない。だから陽動で敵戦力を分散させ、戦力の集中をもってして守りが手薄になった拠点を突く。これで終りだ。
ランチェスター戦略、第一の法則は損害が戦力に正比例する弱者の理論、第二の法則は損害が戦力の二乗に比例する強者の理論となるが。武器効率と、局地戦と一点集中を選べば、弱者でも第二法則を取ることが可能だ。なにより士気がものをいう。
武器効率もなめたものではない。誰が銃剣付きの突撃銃構えている敵の群れに、ナイフ一本で単独で飛び込んで敵うと言うのか。超能力アニメヒーローか?
まあ最新鋭のパワードスーツなら、二昔前のよくあるヒーローアニメ活劇並みに、存分に暴れまわれるだろうな。歩兵の小銃弾など受け付けず、戦車砲を目視でブースト回避。ミサイルはステルスとジャミングで無効化。まさにガンダムの世界。
しかし現実の世界では……ハッピーエンドは望めない。途中で降りられない。引き分けも無い。こんな思案、ただのゲームだ。幼稚園のお遊戯だ。
親が幼児のころのテレビゲームはみんなそうだったと聴く。自分、プレイヤー側の死を持って、つまり必ずプレイヤーが敗北して終り。いまではたいていのゲームはラスボスを倒して、勝ってハッピーエンドが当たり前なのに。ネットゲームなんかでは、延々とイベントが続き事実上終りが無いものが普通になっているし。
課金をしなければクリアできないゲームバランスが、ユーザーの心証を悪くしている。単にソフト買うだけなら、五千円払っても購入するだろうが、それが有利にゲームを進めるためだけに三百円掛かるとなると、大抵のユーザーは白けるのだ。たとえ本体がフリーソフトであれ、クリアするのにせいぜい二千円の課金で済むとしても、課金なんて反則技みたいな感覚するし。いまの親が少年時、毎日ゲーセンで五百円使った時代は過ぎたのだ。
問題はソフトが大規模化した点にある。図書館の書籍を見れば了然、背表紙見ているだけでおなかいっぱいになるのが一般人。かつてのファミコンなど、サイズ的に百万分の一以下だったのに飛ぶように売れた。これは決して当時が好景気だからの理由ではない。
ゲーム性をおろそかにしているのだ。弱小で始めたら手も足も出ない設定のバランスとかが典型。ソフト開発とはほんらい納期に追われながら、やっつけに仕上げるような仕事ではないのだ。要求されるのは職人技だ。
レトロ時代の名作、パックマンなど、ほんの数キロバイトしかない小さなメモリに、ぎっしりと緻密に機械語プログラミングしてある。しかも敵モンスターに個性を与え、追っかけ、待ち伏せ、気紛れなどと行動パターンを組んでいる。これが最近のシミュレーションゲームには見られない。ビジュアル面ばかり見栄え好いが、ゲーム性は単調。
否、システムは複雑化しているのだが……一つパラメータを増やすごとに、バランスを保つのが指数計算的に難しくなる、という当たり前の点を見逃している。
いくら選択肢が増えたように見えても、一つのトリックに対する対抗策が限定化されてしまい、返って自由度が失われる。
だから現実もまさにいまは、ただその『自由』の選択肢のために!