明けて朝、また図書館へ向かう。開くまで時間あるから、早めに待っていた司魔と落ち合い、これからのことを相談する。クーデターやキメラではなく、個人的な進路だが。

 成績に自信がないので、大学ではなく専門学校から聴いてみた。

 この世界的にも国民のモラル、治安の良さで知られる日本の一部が大混乱しているという現状なのに、これはいささか虫の良い平和ボケかな……

 しかし司魔は快く答えてくれた。

「大抵のアミューズメント系統の専門学校なんて、学生に夢を売る商売よ。景気の良い宣伝文句で、入学すれば楽しい学園生活に、華々しいメジャーデビューが卒業後できるかに吹聴する。現実は、まともな卒業生は百人に一人出れば成功ってくらい厳しい。就職率95%なんて大嘘。裏ではできない学生は半ば強制の自主退学だし。卒業資格取れない名前だけの学校が大半だし。馬鹿高い学費だけ取られるわ」

「私は経営科か情報科か商業科が志望なのですが……」

「それならあるていど安全圏ね。でも気を付けて。入試が無い学校は、どんなレベルの高校からの学生も集まる。学習意欲すらない、単に直ぐ職に就きたくなかっただけの、世の中をなめ切ったひどいガラ悪い低能馬鹿ゴロゴロいる」

「そうなのですか……」

「その点大学なら、中堅なら十分就職活動の機会はある。そんな華々しい職場はなくても、不景気だからって下手に焦って、ブラック企業に入らない限りは。もっともレジャーランドなんかとは違う。遊んでいたら単位落としてあっさり留年、そして在学できる期間は八年。だけどそれを差し引いても決定的に優位よ。通えるお金さえあるならね」

「私ほんとうは学校へ通いたくないのです。できれば、通信制が良い……夜間はガラが悪いとかうわさ聴きますし」

「夜間とか通信制とかは、学歴に偏見を持つ人多いわよ。就職難しくなるかもね……」

「だからきちんとした国家資格を取って、専門職に就きたいのです。焔みたいに」

「ああ、彼は見事なキャリアね。僕の弟と良い勝負だなあ。中学生にして、一流大卒並みの資格だものね。きっと就職したら妬まれるわ、あのルックスだし」

 ここではっと気付いた。つまりそうした人間関係のしがらみが嫌だから、焔ホストなんて選んだのか……思わずリンクしてみる。と、彼は散歩道をジョギング中だった。通話する。

 焔は息を切らしてもいない。軽く話している。

「SEの現場仕事はほとんど肉体労働だからな。電算機室に配属された時点でソフト開発に必要な技術に能力なんて、だれでも備わっていて当たり前、あと要求されるのは休暇無しで二週間の、納期追い込み一日16時間缶詰め労働に耐え切れる体力と気力」

「って焔、それが嫌だからホストを志望したの?! 職場をハーレムにする気だな。いかにおばさんにサービスする仕事とはいえ……」

「誤解しないでよ、それに耐える力を養うために、ボクシングも始めたんだ。ま、いいや。俺は帰ってシャワー浴びるよ」

 焔の家計で、温水は使えまい。春の季節の冷水シャワー……まったく健全な少年だな。

 ……それから図書館が開いたので、中へ入った。司魔は書庫の裏に回り、今日は終わるまで顔合わせられないかな。で……

 とある有名大学の通信制の数学テキスト冒頭を見て、面食らって思わず吹いてしまった。これはもう中一レベルの一次方程式ではないか! まあ、文科省も学生の理数離れを止めようと必死なのだな。考えは解る。私立小中生が大学をなめる理由はこの辺だな。

 文系大学の数学初歩なんて中学のおさらい。小学生の方がなまじ解けそうなものだ。

 決定的に教師は誤解しているからな。いくら生徒に複雑なものをいきなり教えたって無駄。足し算なら、一+一をほんとうの意味で覚えた子供は、簡単に十+十、そして百、千、万を知れば、一千万+一千万だって数日できっと答えるはず。しかしそれを、だれも算数がいきなり千万倍も上達したとは呼ばないのに。

 これは単純化されるからならではの技、ほんとうの自然科学は一筋縄にいかない。単純に学年とともに問題が難しくなるものでもないし。かくいう私はとっくに、大学学部生レベルのテキストまでざっと目を通していたのだ。……一部の科目だけは。

 私立中学入試レベルの数学は、高度で柔軟な自由な発想力が要求されるパズル的なものだから、いくら難解で膨大とはいえ、資料を機械暗記しただけのふつうの東大生だって解けない難問が並ぶし。

 そんなほんとうの天才からすれば、焔の能力さえ児戯だろうが、本人の実行力も兼ね合わせれば話は別だ。

 単に才能のある人間は大勢いる。しかしそれを生かせる人間は多くない。能力がいくらあっても、環境が悪ければ芽は出ない。むしろ周囲の妬みで、出る杭は打たれる。

 そう、私は打たれ潰された。だからこれからは、周囲に邪魔されず思い切り伸びなければ。もはや誰にも手出しは許さない!