私の家宛てに、高校からの通知が来ていた。出席日数の不足からの留年措置。留年して在学を続けるか、他の高校に転校するか、あるいは退学するかの提案だ。
来るものが終に来たか。しかし、親には伝えない。ATで退学の旨を返信し、もみ消す。学費はそっくり自分の口座に回す。しかし……学校なんて欺瞞な組織。
学校教師に塾講師ほどくだらない職業はないだろう。学生には留年浪人など恥ずかしい、志望校偏差値とにかく高く目指せ、偏差値50以下なんて恥だと教えるのに。
それでいて自分が大学二浪したことはさも大変な苦労だった武勇伝のように吹聴する。
学生が通信制なんて進路を選ぶのは認めず否定し馬鹿にしているのに、甲子園に出た野球部OBの監督が放送大学視聴生だったことは、苦学生の美談とする。
所詮、勉強のための勉強しかしなかった連中。それに大学教授にしたって、最高の学者が最善の教育者とは一致しないのが現実。
そんなくだらない誰かが作っただけの『しがらみ』からこれで逃れられる……。
しかし、いざ退学してみると、自分になにも残らなくなってしまったかのような空虚さに見舞われる。苦しい……
定められたレールしか進めない人生なんてくだらない、と割り切るつもりだったのに……、いざ実行すると果てしないプレッシャーを感じる。
ふらふらとその平日の朝、制服姿で家を出る。こんな思いを、焔もしたのかな……司魔さんならどうだろう。彼女、大学出ているはず。ATリンクする。
これらを打ち明けると、司魔はいつも通りの純朴さで過激なことを言い切った。
「僕なんて三流大学一浪、二留年だよ。気にしないで。きっと高卒認定とか、進路見付かるから。自由に生きられるのがこの社会よ」
「そうだったんですか……」
ふと暗算する。それなら年齢は、二十五歳超えているはずだ。意外と歳行っているのだな。
司魔は私を励ます。
「大学教授なんて、基礎すら知らない普通科高校出の文系学生を相手に、いきなり複雑な微積分の応用問題を出し、「このくらい方程式の変数を習っていない俺の小学生の息子だって解くぞ」などとバカにする。誰だってそんな小さいころから高度な知識を身につけられる、恵まれた環境に育つものか。そいつに、『だったらおまえ、孔子の論語全部諳んじてみろ』と言ったら場が壊れたね」
……なんて過激。でも基礎を押さえないでいきなり応用は無理なことは解る。
私は計算機言語なら、基本的なスキルを押さえていたから少し高度な応用は、習わずとも自分で答えを見つけ、解くことができた。基礎はやはり大切だな。あとは個人の意欲。
司魔は続けて断言する。
「知っているから解る、知らないから馬鹿、なんてのはガキの発想。いや、それこそ馬鹿の考え。知らない問題を出されたときに、考えて自ら解けるのがほんとうに頭の良いやつね。だからものを知らないだけで、他人を馬鹿にしてはいけないの。誰だって知らない事は知らないんだから。『そんなに頭が良いと言うなら、六法全書を暗唱し、一般相対性理論の式を導いてみろ』ってどなりつけた。はは。若気の至り」
「つまりそれを実践されて、留年されたのですか……」
「職員からは、親のスネ齧っているってさんざん馬鹿にされたけれどね。そいつら、大学院に進む学生全員馬鹿にしているのかって話。経済学教授にしたって『一般相対性理論と特殊相対性理論、どちらが難しいか知っているの?』との問いに『そりゃ特殊に決まっているだろ』と答えたわよ。一般相対性理論は並みの科学者でも解読不能なほど難しいのに。対して特殊なら、高校生レベル。『限定的な』という意味での特殊なのだから」
かなりクールでストイックな、同時に熱く人間味ある女性だな。文系で、ATの計算端末としての使い方は知らない彼女だけれど、総合的な見識はやはり大人だ。
司魔は、図書館前で焔とも三人で落ち合おうと提案した。私が賛成すると、軽く吹く司魔。
「本屋に入ればはっきりするもの。毎日新刊は変わっていく。あの本の山、一生読書だけに全力掛けたって、万分の一も読めない。高校まではたいてい基礎として、幅広く学ぶけれど。どんな天才だって、どうせ自分の専門分野の一部分だけしか解らないのに、人間は」
納得した。時間があれば金が無い。金があれば時間が無い。性能を極めようなんてしたら、どんな人も物も最後には必ず壊れるものだ。過ぎたるは及ばざるが如し。
そしてトラブルは最悪のタイミングで発生するものだ。この宇宙に常のカオスにエントロピー増大則、当たり前だ。これは我慢するほど増大するし。
シニカルになり過ぎているかな。私もガラが悪いな。優等生とは程遠いし。