春の穏やかな陽気の元、長い日はなかなか沈まないが、もう夕刻だ。というかまさに憂国の事態……私は焔に強く詰問していた。
「焔、戦争になったとして、前線へ行く覚悟あるの? 予備役だ、技官だからっていつどこへ配備されるか。そして命令には逆らえないのが自衛隊とはいえ軍隊と言うものなのよ!」
焔は軽く言い捨てた。
「結局戦場には英雄なんて存在しやしないのさ。ほんとうに戦士の名で呼ばれるべきものは、その名の通り『戦死』したものだけさ……自慢は知恵の行き止まりというからね」
焔の言葉には一理ある。決して政治思想を同意するわけではないが、ノーベル章を辞退したサルトルに敢えて共感するとすれば、二次元の世界に英雄はいないこと。
文学界はもちろんあらゆる芸術、芸能界くだらない、しょせんお芝居なんておままごと。スポーツだって、同好の士と愉しんでくれ。私は運動苦手だ。まず観戦もしない。
興味がないものにいくら勧めたってつまらないだけだ。マルクス主義の是非はともかく、かの哲学者に私心がないのは認める。地獄とは他人、か。
ま、私は戦争を憎み、暴力沙汰を軽蔑するが。格闘技や武術を観戦するのは好きだ。スポーツでのフェアな戦いだし、なまじ娯楽めいた完全なスポーツと違って、実用的に思え、共感できる。矛盾しているかな。単に焔がボクシング始めたからかも。
格闘技に武術は、人間が人間を倒すための技術というのに。狩りや漁とは違う。つまり、『英雄』とは生活基盤ささえる一般労働者にこそ帰せられる称号だろう。
管理職がそんなに偉いか? 単に生産の現場から退いて据え置かれただけに思えるが。王侯貴族にセレブニート並みの社会の寄生虫だ。かれらにその自覚がないとしたら、自覚ある乞食の方がまだプライドがある。賢者ひだるし、伊達寒しだな。
だから……この歳でレベル3国家資格試験パスしたような焔を『生保のおまえなんか将来ホームレスだ!』と口揃えて罵倒する低能厨坊ども。そいつらこそいずれホームレス危ないのではないか? 自分の偏差値は50以上だから、絶対人並み以上に働けて勝ち組になれる、などと信じ切っているとしたら現実を知らないとんだお坊ちゃんだ。
……受験は、まさに戦争だ。学生に偏差値的に良い数値を出させることを強要し、他人と敵愾心を植え付ける。勝ち残れば、より優れた社会的地位に収入を得られることを仄めかす。
しかし、それは健全だろうか。成績が良ければ妬まれ嫌がらせを受け足引っ張られ、それに負けて落ちこぼれれば軽薄に馬鹿にされ、さらに立場を追い込まれる呪わしい社会。
これに気付けて良かった。もし私がいじめに打ち勝って受験戦争に勝利し、大企業で成功して出世していたら決して理解しえなかった。私は負けるべきときに負けることができた、数少ない確信犯派志士なのだ。さもなければ心の拾足はあり得なかった。
だから私が目指す理想は、自由資本経済競争原理の働く……ある意味、共産社会なのだ。文化面の各種メディアにおいての分配享受を徹底する。
この点を日本は実に理想化している。日本は実質、数割方共産体制の社会主義国だ。
むしろ学識に経済格差の甚だしい、貧しい共産圏より日本は成功している。中国なんか、実質は完全に世界最大の資本主義大国と化しているのだから。そして米国は軍国主義。
どんな弱者であれ個々の個人が自分の自由な意見を主張できる、これこそほんとうの自由の国だ。だから米中両大国と違って、日本は世界に数少ないユートピアなのだ。
自由資本主義先進国としては、貧富格差大きいが、それでも。経済水準は赤字財政であれ、多大。だからいくら国債が積まれても、簡単には世界から脱落しない。日本の労力と技術と資源と資金……それからなにより文化に、依存する諸外国は多いのだから。
ここで緊急広告が流れ込んだ。『有志よ立て! 東京新撰組、再結成通達』!? これは二年度前の一大イベント……賊軍として霧散したはずのこの組織をまた組むと?
ATを慌ただしく検索する。これは……いま問題となっている、大麻草栽培に対してか。いくら麻薬性が無いと言っても、環境と経済に及ぼす結果は未知数だ。
かつて杉植林事業はエコなはずだったのに、花粉症を招いた。これは人災だ、皮肉にも。アクションに対するエフェクトが、どう転ぶかは……不明なのだ。
しかしこの事態の前に、各国の軍事的緊張は高まっている。世界への影響はどれほどのものか……もしも麻薬のマリファナとして売買でもされたら、どれほど情勢が動くか。
焔はかぶりを振った。悔しげに言う。
「予測はしていたが……俺は構わないよ、事実上はニートだしね。でも海神を失ったいま、雷帝はもう組めない……なんにしても、戦うべき敵が現れたのだな。手を尽くそう」
「いまさら戦争の必要はないのに愚行をしたものね。右翼左翼過激派はせいぜい吠えていろ。どうせ兵士になる能力も度量も無い。前線へ行く覚悟もないのに、そいつらが馬鹿にしている自衛隊の陰で外国叩きする一方で、同胞の弱者を嘲り虐げる低能どもなんて」
と、割り込む声があった。諧謔気味で明敏な……
「違うわよ。どこの国も、民衆はもちろん直接前線へ行かない政治家だって、戦争なんてしたくないのは当たり前でしょ。国内の経済などの不満を政府から避けるために、民衆の不満を外にぶちまける場が欲しいだけなの。ネトウヨは踊らされているだけのピエロよ。それに真正面から戦おうとするネトサヨもしょせん同類ね。ま、いいわ。コメディアンはストレス解消に役立つ、立派なお仕事だもの」
と、朗々堂々と引用する長身で細いが、胸の豊かな大人の女性だった。おしゃれな縁無しメガネはどこかでよく見た顔……図書館の司書さんだ! 屈託なく話しかけてくる。
「貴方たち二人はもはや馴染みね。僕は司魔……司魔叶(しま かなう)です。よろしく。そして……僕も過去、東京新撰組に入っていたよ! 焔さんって、男の子だったんだ!……すごい美形ね、芸能界入れそう」
これは『僕娘』か。と、司魔はさっとペンを取りだした……これって、海神が作っていた低出力レーザーブラスター! ここにまた、大義を掲げ三人で組むときが来たのか。ひとしきり話し合う。私たちのコールネームは……『止魁戦』、しかいせん。