東京新撰組 止魁戦コヨミ!編



 私が馬鹿だから、と言われればそれまでだが。レベルの低い高校へ通うものではないな。

 それはクラスメートたちが、クラスでいちばん背の低い生徒一人をトイレに追い込んで、大勢でリンチ加えていたことから始まった。典型的ないじめだ。低俗でガラの悪い連中。私はその場に入ることこそしなかったが、教師に話した。

 次の日登校すると、クラスの黒板にはびっしりとチョークで私の悪口が書いてあった。私の机と椅子も鉛筆で同様だ。おまけに画鋲が山盛り撒いてある。

 まあ、この程度で凹むようなら、私はいままで生きていやいない。私は冷静に悪口を消し、画鋲を拾い集めた。事を大きくしたくなかったからだが、これはすぐ後悔に変わった。

 登校してきたやつらは、クラス全員で私を『ちくり魔』と呼び、悪舌の限りを尽くしながら集団で小突きまわした。写メ証拠に残すべきだったな。

 私はそれを五分間ほど無言、無抵抗のまま受けると、クラスを出、学校を離れ帰宅した。正確に言うと、私の自転車はピンをいくつも刺されてパンクしていたので、それを手で押しながら一時間近くかけて徒歩で帰った。

 その前には無断欠席とされ、教師から家に連絡が入っていた。私はなにも知らない両親から叱られた。しかし、事実を話し余計な負担心配を掛けたくなかった。

 地獄の日々はそれからだ。

 ちくり魔はどちらだ。私が教師に報告したのはそのリンチ事件の一回だけ、それなのにクラスの奴らは私を故意に、入れ替わり立ち替わり集団で何回も……

 たとえば、足をわざと突きだし私に踏ませるような真似を繰り返し陥れ、罠にはめては、なにか私が失敗するたび逐一教師に告げ口していた。

 それどころか、盗難物の犯人に仕立てられ上げたこともあった。他生徒のからっぽの財布を私の机に忍び入れられたのだ。大騒ぎとなり、おかげで教師からは私はすっかり不良生徒扱いだ。私だけ一人で、職員室に出頭させられた。

 教師は、「素行を改めないなら警察を呼ぶぞ!」と脅してきた。そう、単なる『脅し』だ。

 普段おとなしい私がこのときばかりは「呼べよ、その方が好都合だ!」と啖呵切ると、教師連中は怯んで、私を解放した。事実が発覚すれば困るのはどちらか明白だからな。

 ようするに教師側だって、非がどちらにあるか把握しているのだ! 圧倒的多数のいじめ加害者より、たった一人のいじめ被害者を押し付け、口を封じた方がはるかに楽だからな。

 発覚しなければ責任問題にもならない。問題が起こってから解決するより、なにも最初から起きない方が査定に良いからか。これはまさに杜黙の詩文だ。それを杜撰と呼ぶ。

 くだらないな、こんな高校通っていられるか! 私のいまの成績ではとても高卒認定試験通らない。しかし、図書館へ通うなら自由に時間潰せる。

 朝高校へ通うふりをして、私服に着替え地区の図書館へ。昼間時間だが、勤勉な浪人生とみなしてもらえるだろう。

 高校をさぼったのでは、無論家に連絡が入る。これをシャットすることが、私にはできた。特製の神器、モニタグラスとモーショングローブからなる情報端末AT『アドバンスド・ターミナル』を使えば楽勝だ。

 私はエンジニア志望なのだ。教師からの電話をこちらで受け取り、擬声で仮病使うだけだ。このくらい、ATには軽い細工だ。あとは好きに時間を潰す。

 限られた時間内に押し付けられる学歴競争や、社会的身分の肩書き風聞を気にせず自由に生きて行くなら……時間はきっとたっぷりある。焦ることは無い。

 さて、私のハンネは芽柏暦(めかし こよみ)という。究極の早生まれの普通科高校一年、十五歳だ。それも返上しようと思っている、真面目な不良少女……

 ほんとうは商業高校で、経営情報学びたかった私は、親の反対から進学したこの不本意な普通科高校でうつうつと過ごしていた。

 親は一人娘の私を大学へ進ませたがっているが、私は学習とは必ずしも学校ですべきものではないと割り切っている。そもそも、勉強と学習は意味合いが違う。

 もし学校が、ほんとうに教育のためにあるというなら。何故成績の悪い生徒は馬鹿にされ、受験戦争の中で負け犬とされ切り捨てられるんだ?

 そうしたものこそ学ばせるべきだし、なまじ成績が良いからといって、自分は頭が良いと自慢するくらいなら、いまさら学ぶことなどないではないか。

 高校は学力のある生徒だけ、率先して集める一方で、成績の悪いものを馬鹿にするのに。大学もそうなのかな……つくづく学校は嫌いだ。ストレスの温床なだけ。

 図書館、か……。来ると圧倒されるな、上下左右びっしりずらりと並んでいるのは圧巻。小説だけで過去のロングセラーの名著の前には、背表紙見るだけでおなかいっぱいだ。

 まして私が追いかけたい自然科学分野の書籍の群れなんて……。

 本屋の売れない並みの新刊なんかより、はるかに良書がタダで自由に学べる空間、図書館。

 ちなみに古本屋では一度は売れた本だから、なまじ本屋の無名の新刊より良書が多く、しかも格段に安いというのが皮肉だ。そして図書館には傑作が集まる。

 新聞の時代は完全に去った。この低迷する景気下において一日百円以上する新聞は、使い捨ての媒体としては高額過ぎる。紙媒体の限界だ。

 そもそも新聞はメインが時事のニュースであり、一回読んだらお終いなのだから。

 その点、百円ショップやブックオフの本なら、何日も掛けて読めるし、繰り返しても読める。そうしたものではないトピックなんて、電子媒体に真っ先に駆逐される道理だ。

 もっとも紙の本媒体はいまの情報化世界であれ、もっとも信頼でき保守性保安性保存利くので、本はすっかりプレミアものの貴重品だ。

 値段的にも決定的に電子媒体が廉価になっている。しかし紙媒体は無くならないはず。

 世捨て人? いや、賢者と呼ぶべきだろう。改革者とはかくあるべき。俗世と縁を切り、『アンティークプレミアブランド』に囲まれ、幸せな十五の自由が送れる……

 ものとばかり思っていたが。数ヵ月後突如影が差した。旧友の母の訃報である。