しかし、俺は苦痛から不意に解放されていた。同時にもはや立っている力も無い。よろけ、校庭の地面に倒れるが、すぐに頭を膝に抱きかかえられた。うっとりする心地良い少女特有の髪の香り……シュガー? ソルティと高倉はどうなった……?

「焔! 馬鹿、またひどく派手に喧嘩なんてしていたみたいね!」

 厳しく叱る声は、耳からはっきりと聴こえた。すると。シュガーと違った。俺唯一の本命の『本人』だ。制服ではなかった。清楚な白いブラウスにひざまでのスカート姿の。

「暦! どうして……」

「ATは海神さん特製だし、相互にリンクされているのだから当然でしょう? 焔の情報に驚いて慌てて来てみたのよ。まさかの母校のこの光景……なにがあったの?」

 高校サボったのか! そこまでしてくれるとは恐縮だな。しかし何故にまた私服?

 そういや暦、学校特有のチョーク臭がしないな。ま、それは伏せ。

「知らない方が良い事もある、それだけだよ……」

「あ、そう。でも背伸びしてそんな言い訳をしたところで、大人にはなれないわよ。それより負傷者たくさんいて、校内はカーテンをシーツ代わりにしても間に合わない惨状! いまどき大乱闘したものね。これだけ騒いだ後なのに救急車もパトカーも来ないし……」

「俺はどうせ病院に掛かる金は無いさ……」

「ま、焔はあとしばらくこのまま安静にしなさい。頭を私の膝に乗せていたりしたら、焔のファンと眼の仇の厨坊どもに、嫉妬されるかもだけど」

 すっかり先輩口調の暦に、俺は遠い差を感じていた。一週間差の生まれなのに、一学年差。数十分前まで、俺はだれにも負けないくらいの力を身につけていたのに……いや、あいつは決して力ではない。相棒、友達……。果てしない憔悴と喪失感に見舞われる。

 ふと思い出した……幼児のころ、貧乏な俺は幼稚園に通えなかった。だから友達のいない孤独な公園にいつも俺だけ……。いちいち成長とともに変わる衣は無いので、みすぼらしいズタボロな恰好で。お上品な『公園ママ』には毛虫のように嫌われていた。

 ある日残酷な遊びをするガキがいたのだ。芋虫を足で踏みつぶす振りをして、芋虫に靴底をさっと下ろす……そのときに、芋虫が頭を起こしてビクリ、と反応するのを「あ~こいつ、いま死ぬと思ったな」などと嘲笑して何度も繰り返す低能小学生ども。

 そのときに、ものの五歳ほどの暦が一人で……四、五人いたそいつらに割って入り、突き飛ばして芋虫をかばっていた。悪い事をしていたなんて、自覚もない馬鹿ガキども。俄然、暦は逆に悪者扱いされ、集団で毎日いじめられるようになった……。

 だから俺は暦を……きみだけを守る騎士になると……刀を帯びない侍に。それが仮に……たとえすべてを敵に回すとしても。暦の存在が、なにより俺を強くしてくれた。

 シュガー、おまえはあのときの芋虫の生まれ変わりなのかもしれないな。ごめん……こんな別れ方しかできなくて。俺は愚かだから。それに軍事企業の脅威は、いまは防げない。

 『天才とは人より優れた忍耐をする能力である』米国独立戦争時の政治家にして科学者、ベンジャミン・フランクリン、か。そう、忍耐。いまは潜み力を伸ばして……

 破滅が迫るとしても、俺はただ、俺として生きる。それだけ。

 

(東京新撰組 悪鬼ホムラ!編 終)