俺は『俺』ショゴスのパンチを、ボクシングの回避技、右スリップだけでかわしていた。単なる力任せの大振りだし、体重も乗せていないし、軌道もブレている。

 ただそのパンチ……右ストレートとも呼べない、未熟な体勢からのスピードだけは格段に速かったが、型を見切ればどうしたこともない。

 次いで反撃する。あえて右にスリップしたのは7:3の割合で取るいつもの俺のくせだが、返しに右ストレートを入れるために、右肩を下げたのだ。さっと踏み込み、得意技をかます。この瞬間、自然足元もしっかりと固める。『臨戦態勢』だ。

 俺のストレートはショゴスの顔面にクリーンヒットした。はっきり言って禁じ手の卒倒技、人中への一撃だ。

 これは人間相手なら、必勝の一打だったであろう。しかしショゴスは怯まず、左ジャブを返してきた! 型はこれも未熟だが、こんどは軌跡がブレていない。学習したのか?

 慌てて右腕でパリー、左腕でブロックするが、その重みで俺は上半身仰け反るほど、突き飛ばされていた! 単なる左ジャブでこの威力、ありかよ!

 すると次いでは。俺は事前に思い切りダッキング(しゃがみこみ)して、ショゴス必殺の俺コピー右ストレートをかわしていた。完璧な型に軌道の上、スピードは俺にも見切れないほどだった。食らえば即死ものだな。

 好機はこれしかない! 返し技で、力任せに猛然ラッシュをたたみ掛ける。素早い左右のパンチをまずショゴスの胴体に、次いで立ち上がり顔面に連打。何発打った?

 人間ならとうに沈んでいる。これに倒れないのは、素人ではまずありえない。しかし……。俺も息が上がってきた。ヤバいか?

 ここで、はっと気付く。こいつは俺を膝枕していた……そして、今日投げられて脳挫傷でこのまま死ぬかと思ったダメージは、こいつが膝枕してくれていた間にすっかり良くなっていた……。しかも、暦の……裸体の姿だなんて。あ!

 こいつの姿がすっと消えて行った。次いで横合いから現れたのは、誰より知る三十代後半のエプロン姿の女性……母さん? 俺は戸惑ってしまった。

(焔、母さんの実家ね、ほんとうは資産家なのよ。ほら、ここにこんなにお金がある……)

 声が頭に響いた。ピン札の束が、山のように積み重なっていた。満足に食べられていたら、俺はこんなチビではなかったし、幼少期仲間外れにもされなかった。

 これが現実のわけがないだろ! 母さんを利用するなんて許せない!

 俺はファイティングポーズを固めていた。ショゴスは手をコピーする。そしてボクシングの技は見せた分は読まれている。次の打撃は後ろスウェイで回避するしかないか……

 ここでまたショゴスの姿が変わった。最初の暦の姿だ。今度はブレザーを着て……

(貴方は色、力、富。すべての誘惑に勝利しました。わたしの仕えるマスターと認めます。マイ・マスター焔が誠実で勇敢である限り、この命貴方と共に……わたしの名はシュガー。魔物の最下位、忌み嫌われる魑魅魍魎の一族……)

 一見狂気の沙汰だろうが、俺はその言葉を信じた。何故ってショゴスのシュガー、こいつは殺そうと思えばいつでも俺を殺せる。しかし、そうしないのだから。

「よろしくな、シュガー。自分を卑下することはない。きみは紳士的な戦いぶりだったよ……ボクシングに関してだけは。だが、その暦の姿は止めてくれないか? 俺も、俺の母さんもだめだ。そして、人間を食べてはいけない」

(了解しました、マイ・マスター。わたしは闇に潜みます。お呼びとあればいつでも貴方のために……)

 言い残すと、ショゴスのシュガーは道路へと身体を沈め消えて行った。

 中二病の愛読するラノベとやらの召喚獣ってこんなか? は、ゲーム機も買えない俺には、関わりのない世界だ。足元に、俺のカバンとペン型ガンが落ちていた。素手でガチ、か。