今日はあまりに多くが起こり過ぎた……自宅で夕食を食べ残し、自室へ籠る。
で、鬱々としていた。今夜は眠れそうにないな……とても受験勉強なんかする気持ちにはなれない。そもそも自主的に家で取り組む中学生なんてまずいるものか。
中一の時、初めて塾に入ったときの苦い思い出が襲う。偏差値でクラス分けされ、それを誇示し低位のクラスを馬鹿にするくだらない組織。辞めてよかった。心身荒んでしまうのが、明白だったから。かなりの期間不眠症に陥って成績はむしろ下がったし。
いまは解る。敵愾心を植え付け、競争させる目的の組織。社会科学ではさらに共通問題の解決のために、協調させる展開の発展があるのだが、この呪わしい組織には皆無。
ベッドに横になり、テレビ点けっ放しでぼんやりと放送大学を聞き流す……
……すべてはパッションか……良い意味での熱意、情熱。恋とかの。怒り憎しみでも恐怖でもない。人間の真理を超えて自然現象はある。科学は自然を数式化書式化した状態論に過ぎず、なぜ自然、宇宙がそうあるのかは人間には解らない。
どんな専門家だって専門分野以外では、頭真っ白になるのが当たり前なのに。偉ぶる教師に、担当科目以外の質問をして鼻っ柱叩き折ったことは中二からは過去何回もあった。絶好の憂さ晴らしだ。例えば、乾電池の発電の仕組みを英語教師どころか理科教師すら答えられなかったが、男子を教える技術教師なら答えてくれた。
だが、専門に深いスペシャリストではなく広く浅くのゼネラリストなら。それが義務教育期間なのに。私はただの専門バカ、苦手科目を覆せないな。すべてが上手くできる人間が、国立大へ進めるものだ。
だから学習には独りよがりにならない、議論批判の重要性を。そして論理性体形成の確立……この際に反証可能性、事実に対する謙虚さを持ち続けることだ。
人間個人の頭脳のキャパシティではどんな天才だって、自然科学をすべて身につけるのは不可能だ。しかし、コンピュータを用いてならそれが可能となる。そして学問は究極的にはすべて一体化に体系つけられる。
……放送大学も終る深夜、ふいに焔がATにコール、リンクしてきた。繋ぐ。
どんなおしゃれも自由な仮想空間内。別に気取らず学生服姿で、焔は語る。
「あの女幹部、賀茂芹菜は新都心出身だってさ。新都心とだけ名ばかりの、東京の一ベッドタウンに過ぎない埼玉のド田舎でこんな逸材が育ったなんてね」
「知らないのね、史実の近藤勇が捕縛された場所は埼玉の越谷市、その部隊、官軍の東山道軍が出撃したのはアニメで有名な春日部市よ。新撰組は薩摩長州の九州で始まり、本州から北海道へ日本を縦断して戦った」
「そうなのか……で、海神は賀茂芹菜の後輩だったらしい。もっとも専門バカの海神と違い、賀茂は優等生の万能選手だ」
「後輩って防衛大かな、海神さんが?」
「賀茂芹菜のハンネの由来は。草冠、特に菜は『草ノツ木』、草の月、つまり萌を意味する。賀の貝とは女性、芹の斤は斧、これはハッカーさ。ハッカーの語源は手斧一つで丸太小屋を作る木こり……パラノイアでマッドなものだね」
「世界は暗号で出来ていると、ある哲学者は語ったらしいわ」
「賀茂芹菜の東京新撰組隊士募集の広告録画ファイルを落とせたよ。暦、閲覧してくれ」
「そんなもの! 軽薄に、『志士よ立て! 大義の前に集えよ、有志よ! 我ら東京新撰組』、の繰り返しのシュプレヒコールでしょう?」
「違うよ、宣伝向けにメディアに都合よく編集される前の、ほぼ完全なファイルなんだ。これでもかなり要約しているらしい。彼女の本意はどこなのか……」
賀茂は語り始めた。モニターにそのモデルルックスの美貌と、表やグラフ、多少のテキストが映し出される。プレゼンの開始だ。
『……強盗や放火、殺人のような数少ない重大凶悪事件ならまだしも、目下一般個人が常に危険にさらされているのは、頻発する振り込め詐欺や、なりすまし詐欺、個人情報の盗難のような社会的弱者を食い物にする小規模連鎖的犯罪の群れですね。
これに対抗すべく、警察と民間の連携で第三セクターとして機能する非営利の有志半民半官部隊、東京新撰組計画を打ち立てたのです。それに至る経緯を述べます。
警察は事件が起こってからでないと動いてくれない。つい先年、明白なフィッシングメール詐欺を受けました。しかしその犯人のメアドを警察に伝えようとしても、受けてくれない。引き受けて未処理となれば警察の成績と威信にかかわるからか? と最初は憤慨しました。個人の防災感覚を向上させる目的、という好意的な見方もできます。
警察は怪しい危ないメールは開かず、決して返信しないこととだけ教えてくれる。メアド変更とか、受け付け拒否とか。そこで通信業者に相談です。そこで教えられたのは、個人のメアドの流出は気にする必要がほとんどない点。犯罪側の相手はPCでランダム、無作為、つまりでたらめに全世界へ向けて、途方も無い数のメールを流している。
メールの相手に余計な情報は教えるな。相手は送り先のことなど、ほんとうはなにも知らないのです。たまたまひっかかったメアドにやみくもにフィッシングメール送っているだけなのですから。一日に出会い系の誘いで二回、SNSへの無料Gプレゼントの登録で二回、さらに貴方のプロフィールからのミニメールとしての名目で送られてきた。しかし。
自分の入っているSNSなら、こっちのハンネは解るはずなのにそれはないし、同じ出どころのアドレス。SNSならそのアドレスが表示されるはずなのに。
これが典型的なフィッシングメール詐欺です。仮想コインへの不正アクセス攻撃が、一秒間に十万件単位で送られてくる現状、とても警察がいちいち個別に被害者に対応できるはずはない。しかしこんな込み入ったこと、極端な若年者や高齢者、知的・精神的な障害者、もしくは忙しすぎて時事に疎い働く一般人が知るはずもない。
これで、東京新撰組の意義が了承いただけたと思います。みなさまのお力で、この社会を守るのです。有志の参加を待望しています。すべては私たちの世界の未来のために……』
……後は難しい国際・外交・経済・自然・資源・環境・軍事問題が列挙されていた。公平で公正な多面的な視野からの豊富な解説。私は食い入るように観て聴いていた……そして、たかが中三の自分になんてとても追い付けないと、ふっと目をそらした時。
焔はやりきれなさそうにかぶりを振った。語気荒く吐き捨てる。
「まさか、これが公開されていなかったなんてね。無意味に犠牲をだしたかな。海神はもちろん、賀茂だって死ぬべき人ではなかった!」
私はあまりの事実に絶句していた。これを最初から知ってさえすれば……すべては変わっていた。しかし、情報検閲に引っ掛かり、流出しなかったとは……もし、知ってさえすれば。もし、解り合えてさえすれば。悲劇は過小に止まったかもしれないのに。
日本のマスメディアがここまで腐敗していたとは。これでは日本はまるで道化だ。社会的に国際的な地位が孤立している。もしこのプレゼンが完全な大義を打ち立てた本意であり、裏がないなら。情報は錯綜している。真実は……どこにある?