数日平穏に経過した。この当たり前の平和を嵐の前の静けさとのことわざが妙に響くのは、私だけだろうか? 私は海神の意識が戻ったことが解り、彼のATにリンクした。午後九時半、病院内なら消灯を過ぎているだろうが、挨拶だけ。
海神は元気そうだった。
「ああ暦ちゃん、ごめん。僕としたことが不覚を取ったよ。肋骨数本折れヒビが入ったていど。まあ、うわさでは幻覚斎は金奪うと聞いたけれど、なぜか僕はお金もカードも盗まれなかったし、たいしたダメージではない。ところで知っているかい?」
切りだす海神に、私は聞く構えを見せた。海神は語った。
「太平洋戦争で、なぜ日本は負けたか?」
少し考えた。経済の話でなく、単に戦術レベルの問いなら答えは一つ。
「もっとも大きな転機はミッドウェイ海戦の大敗ですね」
「いや、真珠湾奇襲で勝利したからさ」
「つまり、奇襲を卑怯とされたと……」
「違うよ、勝ってはいけない時に勝ってしまったからだ」
「え、どういうこと?」
「技術こそ優れていたが、どのみち日本は肝心な国力経済資源が決定的に劣り、アメリカに勝てないのは明白だった。だから真珠湾で勝利し、優位な条件で終戦協定を結ぶのが、当時の海軍首脳部山本五十六提督らの意向だった。それなのに、国民と陸軍は勝った、勝ったと大喜びし、このままアメリカを倒し乗っ取れとつけ上がった」
「そこで戦争を終わらせられれば、済んだのですか……」
「もっとも不可能だったのだがね。作為かは知らないが、日本の宣戦布告をアメリカは受信しなかった。管制官の不在とはされているが、できすぎている」
それは私も知っていた。『リメンバー・パールハーバー』を合言葉に、全アメリカ国民が結集したと。皮肉にもこの団結により、アメリカの国力は飛躍的に向上したとか。戦争して発展するとはまさに皮肉。戦争で飢えた日本や諸外国と違い過ぎる。
私は悲痛に言う。
「人間の歴史は常に戦争の繰り返しで動く。どこのページも痛ましいものね……」
「同時に、真珠湾は不完全な勝利だった。米軍の空母はすべて取り逃がし、戦艦の半数近くだって、侵攻路から狙いにくい理由で沈められなかった。とどめに、造船ドッグ内での撃沈。ごく浅い港の底に沈んだだけで、引き揚げれば修理してすぐに戦力にできた。そうして復帰復員した戦艦もあった」
「でも、日本の帝国主義がそのまま続いていたら、現代の繁栄は無いでしょう。国家予算の半分が軍事費に消える軍国主義。いまの自衛隊はほんの数%だから」
「日本は明治維新開闢以来海外の列強を相手に連戦連勝、初めて、そして最後に負けたのが太平洋戦争だ。羹(あつもの)に懲りてなんとやら」
歴史ではさらりと扱われているが、日本帝国の植民地支配。八紘一宇を建て前の大義に、アジアを文字通り乗っ取った。国土面積人口兵士数にして、総計数十倍もの国を次々と陥落せしめたのだから……箱庭文化の卑小な島国根性のコンプレックスあった日本人が、甘美な栄光と勝利というファシズムの選民思想に酔い、おごり高ぶってしまったのは無理もない。
「ところで幻覚斎だが……僕を襲った相手にしては妙だな。ま、焔なら勝てるかもしれない。不意打ちさえ避ければ」
「焔が海神さんより強いと?」
「ああ、焔は信じられないくらい踏み込みが鋭いんだ。小柄でリーチは短く思えて、体重を乗せて一呼吸に五、六発打ってくる。するすると良く伸びる。伝説の新撰組最強隊士、沖田総司の突きを連想するよ」
「そう。ま、いまは格闘技なんて置いて。幻覚斎だけど、不意打ちを避けられれば、大抵の人は安全なはずだわ。防犯カメラの映像は観たけれど、彼、小学生みたいに痩せて小柄よ」
「その通り。彼は子供らしい。襲われた時、小さい子供特有の香りがした。悪く言うと『乳臭い』という匂いだ」
「そうでしたか……するとなおさら相手に見つかっていたら、きっと襲ってはこないはずよね。どうやって奇襲を防ごうかしら」
「それこそが、さっき話した真珠湾奇襲さ。まずATに小柄な人間の接近を警告させる……」
私は説明を聞きながら、自分が技術ヲタに染まるのをつくづく感じていた。