焔は私にスパーリング相手を紹介した。
「こちらが俺と暦にアドバンスド・ターミナルを作ってくれた当人だよ」
「初めまして。僕は『海神(わだつみ)』といいます、よろしく」
……大層なハンネだな。私から見ればかなり長身だし、引き締まった筋肉質だ。どうやら大学生くらいなのに、小柄な厨坊の焔に敵わなかった身とは名前負けだろう。
だが焔は私の内心を見透かしたように答えていた。
「海神には正規ルールのボクシングでなければ敵わない。グローブをはめマウスピースしていないと、俺なんてあごに一撃で沈められるし、絡み技投げ技関節技練達している」
男の行動原理は性欲と征服欲だ。いささかケダモノ染みている……こんなことを考える私こそ、いささか厨弐病かな。ガキの妄想を脱する必要のある中三なのに。
とにかく、敏腕電子機械工学生らしい海神は話す。
「焔、暦ちゃん。きみらはリア友らしいね。諱(いみな)を知る仲かい?」
諱とは、本名、真の名を指す。情報化の過度に進んだ危険ないまの時代、公私とも諱を伏せるのが当然だ。私は否定した。
「いいえ、ハンネの暦と焔よ。役所登録の諱はまだ親からも教えられていないわ」
「それは好い。本名を明かさないのは、レジスタンスの基本だよ。抵抗組織の誰とも面識無くて良い。ただ単に、コールネームだけ流布する。決起するときはその名前でデモないしストないしに参加すればよい……テロばかりは自己判断の責任にしてね」
納得した。ならば、例え体制派に捕まっても芋づる式の検挙は避けられる理屈だ。いや、私たちこそ体制側のはずなのだが……警察は事件が起こってからでないと動いてくれないし。日本の自衛隊は国際的な立場上、むやみに組織を強化できない。
故に半民半官の流浪の志士、現代の『新撰組』が必要なのだと。それが東京新撰組……。
正直歴史に疎い、というか興味無い私に関係ないが。それがこの集いの大義だった。
とにかく私は仕入れていた次の獲物を説明する。
「悪徳サラ金は貸した金こそ累進式に利子を取るのに、返され減ったはずの借金は多々として無視され、累進式には利息が減らないの。これをターゲットにするわ」
海神はすぐに理解した様子だ。
「つまり金利の指数計算ができないヤツがカモになるのだな」
「他にも、借りた金を返そうとすると、店が閉まっていて数カ月返済できない。しばらくしてから法外に跳ね上がった利息をまとめて返済要求するとか」
「訴訟すべきではないか? 刑事、民事どちらでも可だ」
「それが、介入する弁護士が一部、腐敗しているの。逆手にとり、悪徳サラ金に過剰に返済した金を返す名目で訴訟起こすのに、返済費用はほとんど弁護士の懐に入り、借金した当人は裁判で余計な時間に雑費食っただけ損する計算」
海神は深刻そうにうなった。
「弱者を食い物にしているな。金貸しも弁護士も、双方容赦する理由はない。どうする?」
「これは警察に告げても動いてはくれない。ならば、晒し物にするまでよ。高利貸しと悪徳弁護士、双方ネットに流すわ! それで片付かないのは私たちで潰す!」
ふと思う。流浪の志士、か。水に良いと書いて浪。ネットの水流の波に乗る良い志士とは洒落ているな。そもそも『志』だけで士と心なのだから。重複語ではないか? 強調語かな。
この三人だけで、存分な戦力となるだろう。世の欺瞞を打ち砕くには。しかし本題はこれからだった。新たな山を見つけたのだ、大きな脅威がこうも迫っていたとは。
税を逃れる闇タバコの密輸……魔女狩りの二の舞はしたくない。黙視する。どうせ法規制厳しい日本、ろくに売りさばけまい。もっとほかに取り締まるべきことがあるだろうに。そいつらの別の取引物は? ヘロインか、さすがにこれはまずいな、海上保安庁に報告だ。
ついでに、マリファナか。これも麻薬だ。通報……?
海神は穏やかに、通報を否定した。
「いや、見逃そう。マリファナは大麻草から作られる薬品で、酩酊作用こそ大きいけれど、人体への害はお茶や珈琲並みにしかないとされる。中毒性も、タバコよりは低いしね」
あまりに意外な発言だった。そもそも『麻薬』とはマリファナの『麻』から来た単語ではないか! 私は驚いて海神に問う。
「え? だからってまさか麻薬売買を見逃すのですか?」
「だったらなんで劇薬のタバコや酒は服用して良いのかな? チョコレートだって薬物だ」
「あ、それは……」
言葉に詰まった。改めて問われると解らない。法で禁止されていないから、とは正解にはならないのだろうか? リベラル派の学生は、麻薬に寛容とはうわさに聞いていたが……法律で禁止されていることを許すなんてまさか?
海神は優しく諭すように語った。さも当たり前のように……
「きみたちが着ている学ランにブレザーだって、麻の繊維製だよ、きっと。日本の麻は、麻薬性が少ないとされているしね。酒にタバコは単に合法ドラッグなだけだよ。それも、極めて強力で有害なドラッグだ。ドラッグカルチャーを勉強すべきだね」
反論できなかった。大人の理屈はまだ私には解らないのかな? これは検索すべきだろう。イスラム圏や北欧の文化先行国には、麻薬が合法化されている国もあるというし、酒・タバコが許される年齢も、外国では日本より低いという話は良く聞く。
「それは海神さん個人の見解では?」
「いや、日本は昔、酒タバコに年齢制限無かったんだよ。小学生がくわえタバコして登下校当たり前の時代もあったとか。僕の祖母は雪国の冬小学校に登校するとき、軽く日本酒一杯ひっかけていたってさ。逆に、お茶すら麻薬として禁止されている文明圏もある」
ここで焔が鋭く指摘する。割り込みで生々しい動画がズームアップされた。
私は息を飲んだ。年端の行かない子供たちが、隔離された劣悪な環境の施設に閉じ込められている。まさか第三国の貧しい子供を保護する名目の施設で、遺伝子検査が行われ、全員臓器ドナー登録されるとは。一部の資産家連中の移植用に食い物にする……
なんて非道な……臓器目的人身売買か。即潰す! 許される話ではない。人間の命の尊厳を侵害する行為だ。さらに内容に踏み込む。これは!
人造人間? 過去流行った遺伝子操作とも違うのか。貧国の若者の臓器からの生体部品を多々駆使し、安価にアンドロイドを作り上げる……しかしなんのために?
焔が怒っている。
「鬼畜な……しかし脳は? こればかりは問題だろう。いまの技術でもほぼ不可能だ」
海神がぽつり、と言った。
「ハインラインの作品にあったな。『悪徳なんかこわくない』。つまり……人体部品交換若返り。脳みそだけを若い肉体に移植するのに比べ、手術のリスクは決定的に少ない」
エネミーインサイト! こいつらは壊滅させてやる! とさらに踏み込んだが。なんだ? 政府の高官が絡んでいるのか? 某省庁系列で、厳しいフィルターが掛けられている……