夜九時。私は自室のベッドにあおむけに寝ていた。受験生がこんな時間に寝るなどと、許されない家庭も多いだろうが、私の両親は勉学以前に生活リズムの整えを第一にしていた。
アドバンスド・ターミナルを装備したまま、ネットを検索する。この機器はかなり省力化できる。あおむけで少し右手を動かせば作動するのだから、楽なものだ。
と、コールが入った。驚いたことに、焔からの初の仮想空間へのリンクのお誘い……繋ぐ。場所はボクシングリングボックス観戦席だった。焔、PCを持っていないのに。ネットカフェでも使ったかな? いや……アドバンスド・ターミナルを手に入れたな。並みの最新PCの三倍近くの価格なのに。なにか収入あったかな?
焔は仮想空間とはいえ、存分に通信相手と学ラン姿でスパーリングしている。それも、素手で。苦痛がほとんどないこの世界では、力や士気の向上には効果無いが単に技のみが傑出して身に付くとされていたが。
焔は攻撃こそ滅多にしないものの、見事なフットワークで俊敏に上体を傾け、体格の良い相手のパンチをするするとかわしている。スタミナ切れが事実上無いといえるゲーム、これは決定的な優位だ。敵が大振りして体勢を崩すや、焔はカウンターで右ジャブ一閃、見事にクリーンヒットする。
ほんの一ラウンド三分間のスパーリングは焔の判定勝ちではあったが。私はぼやいた。
「なんだって男は暴力沙汰好むのよ」
「単に本能だよ。戦うべき敵を見つけて、倒し、力を誇示する。自分を強いと自慢したいだけさ。だからどこの世界にも弱い者いじめ止まらないわけだね」
「それが解っているなら、ボクシングなんて止めてよ!」
「解って無いのはそっちさ。スポーツでのフェアな戦いで、衝動情欲を発散する。それが青春と習ったけれどね」
「くだらないわ。世の中真に戦うべきは他にいくらでもあるのに」
「そうだね。でも愚かにしか生きられないのさ。大人になればこの闘争本能は鎮まり、円くなると聞くよ。ボクシングは紳士のスポーツと探偵ホームズもいうし」
ボクシングは奴隷拳闘士のスポーツではなかったか? 私はこの焔が果てしなく大人で、男だとは理解した。大人になれば、か。考えてみればこいつから角を取ったらなにが残るだろう。かど、つの……こいつは悪鬼だ。戦いとは絶対悪と自認している真の戦士。
「私たちは世の欺瞞を砕く志士になること。刀を帯びない侍に」
「武士は世襲だからね。すると俺たちは民間人出の新撰組かな」
「焔くんの拳と、アドバンスド・ターミナルか。この現代、刀に代わるには申し分ないわ」
「情報を扱うスキルこそ、現代の剣(つるぎ)さ」
私は内に問う。力と強さは別物だ。俺は強いんだ、といって戦う意志もないヤツに喧嘩ふっかけ、勝って強さを誇るなんていうのは最低の下衆だ。自分自身の尊厳を貶めていると気付かないとは愚劣だ。
力を持つには、自分の扱える範囲の力でなければいけない。さもなければ力は他の物を、あるいは自分自身を傷つける。たとえ絶対量では小さくても、己の力を制し得るものこそほんとうの強者。
だから一学年差は絶対の、この中学時代において。焔は孤高の戦士ではある。
しかしそれはおいて。これからを内心思う。
高卒程度の学力が必要、合格したらプログラマとされる経産省の基本情報技術者試験は、過去問を九割近く解ける。試験の七割は過去問と同じとの慣例だし、合格ボーダーが60点だから、9×7の63%が取れる机上の単純計算、新しい問題が解けなくてもマークシート四択だから約四分の一の誤差を追加すれば、ほぼ間違いなく合格できるはずだが。受験する気はなかった。なぜなら、私がプログラマという『証拠』が残ってしまう。
この国家資格試験は合格者平均年齢こそ二十三歳ほどだが、五十過ぎて受かる人もいれば合格者最低年齢記録は一ケタの小学生らしいから、十四歳はそう早熟とも呼べないし。まあ、十八歳くらいになってから受けるか。
この試験のことを焔に打ち明けたが、かれは当たり前のように言う。
「俺も当分は受けないよ。受験費用に交通費飲食費合わせると、一万円以上掛かるし。どうせ大学に進む金は無い、県立高だけ出るさ」
「私は高校通いたくない。高卒認定試験志望よ。大学は通信制……無理に卒業しなくても」
「それもいいね。俺も金払っての受講はせずに、放送大学視聴してのんびり暮らすよ。その方がなまじ三流大学より講師も優秀だと聞くしね。いまの時代通信教育に在宅勤務は立派なエコ、省エネさ。それから働きながらもっと応用とか電検電工とかの上位の資格狙って、いずれは高卒の身で、レベル4黒魔術師のキャリアになるさ」
「黒魔術ねえ。どんな職につくつもりなの?」
「在宅多重エージェント」
これが冗談ではないのだから、焔は。が、とんでもないことをさらりと言うこのガキは、すごく可愛い……告げないが。
「馬鹿ね。で、今夜も『仕事』よ」
「了解!」
私と焔はこの仮想空間でハイタッチした。