『風たちぬ』でまた光を当てられた戦闘機だが。伝記とマンガがある。実在のゼロ戦乗り撃墜王、生き残って自伝を後世に伝えた坂井三郎氏の生涯である。ゼロ戦を駆り二百回以上出撃し、敵機大小64機撃墜したとある。
しかし、このノンフィクションの海外へのタイトルが『サムライ』で、その撃墜数が天下の剣豪宮本武蔵が生涯戦った数と同じに合わせた、作り話が真相とネットではされる。
坂井氏は学校時代典型的な主席卒業の下士官兵だ。身体は小柄だが強靭な気力気概気質……天性の戦闘機乗りだ。視力も信じられないほど良く、集中力も抜群で並より数km遠方の敵機を発見できるので常に優位に戦った。
負傷で片目を失明してから一度内地へ戻り教官となり、戦況の悪化で前線に復帰して戦果上げた。そのとき視力の低下から敵機の群れを味方と誤認し、敵機に囲まれるが、ことごとくかわし生還……米パイロットからは「彼の飛行ならグラマン百機いても倒せない」と絶賛された。
海軍に入った時、本来の部署は戦艦の主砲手だった。戦艦の兵士一番の花型である。しかし航空勤務を志願し、左遷させられ閑職へ。そこで奮起勉強し、晴れて戦闘機搭乗員に成れた経歴である。その戦艦は当然撃沈されているから、もし転向しなかったらそこで戦死していた可能性も大きい。
かれは初出撃で、初撃墜という戦果を収めている。これだけを聞くと、まるでアニメガンダムの主人公パイロットのような英雄伝説だ。
しかし現実はそう甘くない。実情は圧倒的多数の日軍機から逃げる一機を独断で先行し撃ち落としたのだから、点数には入らないどころか、むしろ失点である。絶対に勝てる相手ならわざわざ新米が猪突すべきではないし、そもそも無傷で鹵獲した方が戦果は上なのだから。これは後で上官たちからタコ殴りにされたのも仕方ない。
彼の作戦での恐るべき活躍は、マンガ版や小説版にある。彼はこれでも「自分は日本一ではない」と言い切っているが。他人の評価も、頭は良いが腕はそれほどではないとされる。
伝記によるとB17戦略爆撃機を撃墜した最初の一人であるとされている。あの防御火力苛烈な上重厚で高速高空な空の要塞(フライング・フォートレス)を、装甲ペラペラな馬力も高空性能も劣るゼロ戦で単騎追撃し、7.62mm機銃で撃墜したというのだから、これは撃墜された方はたまったものではないな。しかしネット情報ではこの話は記録に合わないと否定されている。
さて、マンガ版小説版問わず、坂井氏の意志の力は超人的だ。実力を裏付けする知性に運動力の天性の才能もあるだろうが、勤勉な努力に集中力、判断力、責任感……。戦後ずっと筆を綴り、真実を訴え続け西暦2000年に二十一世紀を目前に自然死で逝去された彼。
だからこれは一読の価値がある……と思っていたのに。現代、ネットを検索すれば否定的な意見も山と出るのだな。歴史は混沌としている。なにが真実など誰が知ろう。ゴーストライターが脚色したのがほとんどと曝されているが……
しかも、戦後ネズミ講に関わり大きく評判を落としたと言う。だから葬儀の列席者も少なかったとか。この著書に記されていない事件はショッキングだった。かれの自伝読む限りは偉大な英雄とばかり思えたから。
しかしそのネット記事の坂井氏のセリフ「特攻で士気が上がったとの発表は大本営の大嘘。絶対に死ぬしかない作戦で士気が上がるはずもなく、士気は大きく下がった」は事実と思うのだが。
さて宮崎駿監督の言葉ではないが、自分は戦争には反対しても、兵器に魅力を感じるのは矛盾で、欺瞞だろうか。