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私はある 派!

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 眠っている時の良い例としてひとつは、亡き母の夢を見た時。しょっちゅう自然にあるから、夢の中で夢と気付く時と気付かないでまるで現実の時がある。亡き他の親族、友人知人はあまり夢には出ないから、やはり母の存在は大きい。

 母はそのとき、親孝行なんてなにもできなかったぼくに、いつも優しく笑っていてくれる。かつてぼくを狂ったように掻き立てた、歪んだ教育熱なんてまったく現れない。ぼくは溺愛されていた。少年時当時はかなり歪んだ感情であれ。だから、純粋にありのままのぼくを受け入れ認めてほしかった。

 それが現れたのかもしれない。夢に気付いた朝は、切ないながらも澄んでいる。どこか母と繋がっている感覚に囚われ、魂の永遠さに想いを馳せたりする。

 ふだんはオカルト否定なぼくも、こればかりは想像してしまうのだ。特に母が亡くなった直後数日は、夢の中で姿がどこか青く燐光してうっすら照っているような、でも色は全体的に抜けてセピア色の母を見ていた。それも、ベッドに寝ていると解っているぼくの部屋の中で。

 これなどは、直接霊魂を見ていたのかもしれない、いわゆる「枕元に現れる」という現象かと思ったものだ。すると夢見るときには、母は逢いに来てくれたのだろう。

 亡くなる直前、ある夜母とは腹を割って本心、想いのはけを徹底的に話していたこともあり、母にいまさら相談するようなことはない。心残りは無かった。それにそのとき母は、「いまがいちばん幸せ」と父とかに話していたらしいし。

 なまじそのころぼくは父との仲が険悪で、母の死後父との二人暮らしは心身とも苦痛な数年間が過ぎた。いまでは父とも話し合い和解できたのが嬉しい。

 ところでカルト宗教をしているリア友は、母の葬式時。涙するぼくに、「いまはそれでいいのかもね。三か月もしてこれではダメだけど」などと堂々と吹聴していた。これは傷付いた。亡き人への想いが、時を経ると無くなるものと信じ込んでいるらしい。

 結婚して家から出ていた姉などは、最近になって、「母さんに逢いたいと思うのよ」と語っている。むしろ時が経ってからの方が、故人への距離が遠くなった気がして想いが高まることがあるものだ。これを浅薄なカルトの信者は考えないのか。

 魂の永遠さ……これを抱いて目覚めた一日は、格別に新鮮なものがある。世界が変わって見える。世界はこころの持ち方で変わる。現実は……変化する運命、変わらない世界だとしても。

 それを抱いたから、かつておぼれていた酒は、特別な日以外は飲まなくなったし、完全にタバコは止められたし。精神も落ち着いてきている。そうした一日は、積極的に活動的に過ごせる。それを幸せと呼ぶのだろう。

 好きな長編の一節、『悲しい事もあったね。でもいまはそうつらくない。ときどき胸のあたりが少し苦しくなるだけだ』とか、某アニソンのフレーズ『哀しみ勇気に変える愛を信じて』とかを思い出すのだ。



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