アメンバー限定記事にて告白。
今日は私の四十歳の誕生日です。祝わないでください。呪わしいから。(笑)
だけど吉日だな、大安で午年の初午の日。馬(午)は、干支で七番目に位置し、風水では真昼の十二時(だからこの時間を正午という)、方向は真南を指す。
しかしこの歳になっても、大人になった実感がしない。私の父はこの歳にいまの家を建てたけれど、私にはそんなことができる能力、経済力、甲斐性は無い。
どなたかが言われた、「人は歳を重ねて大人になるのではない。素のままの自分がただ歳を取る」が正解に思える。
さて、私は1974年2月4日生まれだ。以前もブログにしたが、立春とは一年の初めを指す。そして、この年は寅年の始まり、丑年の終りでもある。しかも風水では、最悪の鬼門の方角だ。(牛には角、虎には牙があるから、とされるとか)
おまけに私は双子なのだ。姉と共に生まれた。不吉な鬼子だ。亡き祖父は、赤子の姉は可愛いが私を醜いと語ったらしい。
因縁めいたことを感じてしまう。この年、日本経済は戦後復興期に、初めての経済マイナス成長を記録したという。
しかも昭和49年だから、あからさまに不吉だ。
春の初めの日に生まれ、春日部市で育った。住所や電話番号も、なにか曰くありげな凶数? ばかりだ。
『山月記』、『うしおととら』、『グインサーガ』、『monster』、などを連想してパラノイアに陥る。
生まれた最初は両親、両祖父母、すべて揃った恵まれた家庭だ。経済的に困ったことは、近年に至るまでなかった。
自分でいうのもなんだが、高校時代私と姉の双子は、美少年美少女として知られていた。おまけに学校の成績は、中一まではトップクラスだった。教師からコンピューターと呼ばれていた。
節目の十二歳の寅年、学校に裏切られ、教師クラスすべてが敵となった。まあ、それは置いて。
私の中学時はまさにバブル。日本がGNP世界一を報じられ、日本人がいちばん金持ちで平和で豊かで恵まれていると教えられた。
しかし庶民の生活水準は世界十数番目という統計結果もあったのだが。日本人の家は「ウサギ小屋」と自嘲されたし。
人材不足が頻繁に報じられ、求人倍率が定員を割り込み、恐ろしく低かった。どんな無能でも職には就け、しかも働けなくとも給料はもらえる『窓際族』なんて存在したのだ。これは平成の人間には信じられないだろう。
学校教師が、「調理師や運転手なんて、だれにでもなれるから成るな!」と命じ、農業や漁業、土木業その他の肉体労働を蔑視した。
3高、3Kなんてほとんど差別用語の単語が軽薄に流行し、高身長高学歴高収入が理想とされた。きつい、汚い、危険な仕事は馬鹿にされた。
当時の教師は「女子は大学なんか行くな。結婚が遅くなるだけだ」「会社に遅刻するようなら、仮病して休んだ方が良い。それなら査定は下がらない」などと、真剣に子供に教えていたのだ!
バブルなんてただの幻想だ。やくざの汚い土地転がしで、数値だけ日本『円』の価値が跳ね上がっただけだ。
この時代にもし土地を売っていれば、首都圏近郊の農家なら小さくとも、軽く一生遊んで暮らせる額が手に入ることだっただろう。あいにくと私の家は農家ではない。
さて、この時代。金回りは良いが、普通の学校に駅とかなんてトイレにトイレットペーパーは無い。家庭にもウォッシュレットはないし、水洗トイレが普及し終わらない時期だ。
いまでは百均で買える小物が、一品千円以上する。いまでは百円払っても遊ばないちゃちなファミコンゲームが、四、五千円で飛ぶように売れた。ゲーセンに入れば、子供でも当たり前に一回に五百円は遊んだ。
エアコンなんて、普及していない。それどころか灯油ストーブすら、一家リビングに一台しかないのが当たり前だった。
バブル崩壊時、私は高校生だったが、世の中を甘く見ていたことは否定できない。この戦後初めての不況下、真っ先にリストラの対象となったのがプログラマだったのに、私が大学を出る前には、不況は終わっていると信じて情報科に進んだのだ。
精神的な拾足、を求めていまの社会はある。いまは金回りこそ悪いが、文化面では非常に満たされているのだ。PCの性能は、この三十年で百万倍以上に跳ね上がった。なのに、百万倍も豊かになったと、だれも言わないのが不思議だ。今年の財政改革で、どう変わるかが見ものだ。
日本の国債費はGDPの4倍、国家予算一般会計の10倍以上、1200兆円超えるが、これはデフレ景気時の低金利経済で維持できている。インフレになれば金利も上がるから、一つ間違えれば日本円はインフレスパイラルで紙切れになりかねない。しかもインフレ消費社会は資源を浪費し、自然環境を汚染、破壊する。
いまからこんな杞憂をしていても始まらないが。理想を言えば、経済はすべて労働力で換算されるから、華々しい未来が待っている可能性だってある。この混乱下に日本は多々偉大な文明文化技術革新を果たしたし。
だからいまはただ明日へ……それだけを信じて生きていこう。未来は不確かだが、必ず訪れるから。〆