死の前にはすべてが無力になる。兵士は死ぬと解っていても逃げることを許されない。敵前逃亡は死の厳罰だ。どの道死ぬしかないのだ。戦争とは偽り、騙り、欺瞞そのものだ。悪の権化だ。
 
 王錫騎士団副長クーリの指揮する騎士兵士師団の支援を受け、なんとか城塞都市レイバラの『緑の樹林』亭への帰還を果たした夜……仮称『飛行戦士同盟』結成から初めての、もはや取り返しのつかない『敗戦』後。
 僕グレイシャ以下生き残り組みは失意のどん底にあり、傷心のあまり言葉を失っていた。建て前……否、事実は戦術的には敗北したものの、戦略的には類を見ない大勝利なのだが。僕らの飛行隊は文字通りの蹂躙戦を行っていた。
 敵竜騎兵四十騎は撃墜したか。それでも敵の十分の一だが。司令官ブレイヴを仕留められたのだろうか。敵は散り散りに霧散して消えた。追撃の余力は無かったが。
 しかし味方九騎中三騎還らず三名重傷……カード騎竜ブレード、フリント騎竜フォース、ロッド騎竜スパイク、シェイム騎竜ハーケン撃墜。シェイム以外脱出していない……ロッド、シェイム、レイン重傷……戦力は半減した。否、半減以下に落ち込んだ。
 カードさまが、他ならない僕の夫カスケードが戦死された! 敵司令官ブレイヴとの戦いで騎兵槍に貫かれて。
 それからフリントも騎竜フォースも帰らなかった。戦死はロッドが確認している。ロッドは帰還したが頭部から胸部にかけてひどい火傷だ。シェイムは背中を竜の爪でざっくり抉られる重傷、失血で意識がない。
 シェイムの乗っていた騎竜ハーケンは死んだ。以前カードの騎竜だったというのに。もし死後の世界が……天国か……あるいは地獄なんてものがあるなら両者はもう一緒にいるのだろうか?
 シェイムは右腕の利き腕にも重傷を負ったが、気は失しているものの心拍呼吸からして生きて保護された。陸戦部隊の副長クーリ以下上級騎士数名が厳粛に一礼する。
 王錫騎士団は空を牽制し、好く健闘した。犠牲者は一個師団二千名強中、三割を超える。五百名以上の騎士兵士が戦地に野晒しにされ朽ちているのか。上空から垣間見えた助からないものにとどめをする光景は、正視に堪えない。
 レインは右脚を腰から膝にかけて、惨たらしく引き裂かれていた。すべすべした美しい肌に惨たらしい爪跡。動脈を切り裂かれ、止血処置が早かったのでなんとか意識はあるにしても重傷には違いない。医師による傷口の縫合の針を無言で耐えていた。身体は古傷で満身創痍……彼女の生い立ちからの経歴と実力は、すべてこの強い意志からだな。
 レインを助け誘導したのはナイトメアだった。彼は単騎、牽制でいまも空にいた。疲弊したシザーズから、騎竜を飛竜サイズに乗り換えて。
 サーナが強い火酒を浸した木綿の新しい布切れで、ロッドの傷を消毒する。ロッドは左目を炎で失明した。顔面の爛れた皮膚が痛々しい。命に別状はない。しかし騎竜スパイクは半身焼かれ翼破れるひどい負傷だ。もう飛べないかもしれない……ドラゴンの生命力とはどのくらいのものだろう? 次いでスパイクも消毒するサーナだった。
 なによりカスケードは的確な戦況判断と敵状識別、大局的な戦場全体から戦略を見据えられる軍師だった。僕ら戦士同盟は、すべてこの卓越した鮮明な『視界』、情報処理能力から戦ってきた。それを封じられてしまえば、僕らは目を潰されたのも同然だ。
 このあまりの敗戦では、いちいち葬儀なんかできない。戦場へ残してきた飛行隊以下騎士兵士の戦死者たちに向かって、ロッドが無理に立ち上がり、まとめて追悼の祈祷と訓示をしばし掛け祈っただけだった。
 騎士団衛生兵の看護により、動脈を裂かれたシェイムの止血は成功していた。止血帯を慎重に外すが、もう出血はしなかった。縫合は無事だ。昏睡から意識を取り戻すなり、シェイムは苦しげに声を絞っていた。「フリントは、フリント殿は生きているか」
 ロッドは悲しげに答える。「フリントさんは私のことをかばって戦死されました」
「ならば俺は死なない!」シェイムは失血夥しい重傷だというのに、声を張り上げた。「まだ贖罪を果たすには遠すぎる。禁忌を犯した。フリント殿が死んで俺が生き残ることなど、あってはならないんだ! 俺は死なない、戦い続ける」
 ロッドは重い声で語る。「事実上の最高責任者、カードは死んだ。これからの私たちは、自分たちの判断で戦うしかないですね。作戦立案を担う重圧は恐ろしい責任です。過去の一時期はティナさんが作戦案を作っていた。参謀役にはきっと適任でしょう」
 ティナの顔は蒼白になっていた。「そんな、私が! カード先生の代わりなんて務まるはずありません。寡兵で二倍以上もの敵といく度も連戦し、単独行動だったシャドーさんを除けば、ことごとく全騎無傷で勝っていた策士なんて真似できるはずは……私は学校では劣等生でした。下の上くらい。夜サーナママの店で働いていたから、試験前に一夜漬けなんてできなかった点も大きいけれど」
 僕は声高に叫んだ。「僕だって! カードさま抜きに、戦え抜けるはずはない。それでも僕は王錫騎士団長だ。みんなの協力がなければなにもできない立場だけど、任務、いや義務を放棄はしない! 過去は確かに存在したが、取り返せない。僕らが未来へ向かうためだ。ティナ、頼む。命令だ、参謀任務を引き受けてくれ、それこそみんなの自由への切符だよ。これは同時に社会への、自分への義務だし権利だ」
 サーナは寂しげだ。「命令、か。本来は民間有志だった抵抗組織の私たちです、軍閥化は亡きシャドーの最も忌むところだろうけれど。民主国家であれ軍隊は専制、この矛盾からは逃れられないわね。私たちは自由意思で飛んでいるのですから、文句は言えない」
 ティナは一転して朗々と意見した。「あくまで、自由のためになら。世界は統一ではなく、異なる主義主張の別々の多々の国家が自国と他国の主権、独立運営を認め合うことが大切なんです。騎士や神官さまには受け入れ難い意見でしょうが。カード先生の意見です」
 僕は違和感に戸惑いつつ語った。「世界を正しく公平に運営するなら、全世界的に統一された一つの組織下によって、が当前最善の策。すべての騎士兵士が戦うべくは、乱れし天下の平定のため。平和と統一こそ戦士の存在意義。シェイム、きみもそうだろう?」
 シェイムはかすれた声で否定した。「たしかにそう習ったが、俺は戦争でその矛盾を思い知らされた。俺は愚かで無知だが、いまはティナが正しいことがわかる」
 僕は慌てていた。「国家を維持する最大の力は、全国民の統一された意志ではないか! シェイム、きみほどの騎士がそれを否定するのか?」
「難しい事は俺には解らないよ……ティナ、きみなら?」
「健全な自由民主国家では、むしろ人々の不満の声が絶えないものです」
 僕は驚いて鋭く詰問した。「不満の声があってどこが健全か!? なにを矛盾したことを言っている! 民衆に不満あって正しい世界などありえない」
「いいえ。人々の主義主張は様々ですし、なにより人間はみんななにか欲があるからです。これはすべての国民に平等に自然な権利です。話し合い、調和を目指すような施政が必要なのです。それを鎮圧するような国は恐怖政治です。思想、言論、表現の自由はなにより大切。その自由な言論を統制することは国の国民に対する最大の犯罪です。個人情報の保護と情報の公開は時として相反しますが、それでも、個人の自由と権利あってこその国です。人が集まって国とやらを構成するのであって、国が人を治めるのはそれからです」