幸せを探したり戦ったりして人は見つけようとするものだ。いつもそばにいてくれる幸せを見過ごして、失ったときその幸せがあったことに気付く。愚かしくも繰り返し。
 
 いつもの都市レイバラの広場に面する酒場宿『緑の樹林』亭、特等室……
 グレイシャとの『一夜』は過ぎた。俺、カードは日も上がらないうちに起きると、愛しい『妻』が起きないよう静かにベッドを下り、一人星空を見ながら湯浴みをした。
 思案に耽る。最高の一夜だ。今後はこの幸せを安寧に続けなければならない……責任を負ったのだ。だから今後の展開について。
 先日見つけた『賢者の歯車』として知られる手動式機械計算機に想い馳せる。光の文明時の光式雷動力計算機とはかなり作りには隔たりがあるが、数学上はまったく同じものだ。まさに逸品だ。これが設計図と一緒に見つかるなんて僥倖、俺は幸せものだな。
 なんといっても関数を組めるのが強みだ。複雑な計算も、式だけ関数として作れば後は数値を入力するだけで簡単に一瞬に何問だって答えは算出される。
 ティナに無効と言い放った弩についてだって、この計算機で速度と距離と角度を入力し弾道計算する、『偏差射撃』関数を組んでやれば一発必中となる。
 さらに商業に使えるのはもちろん、暗号を利用した機密情報保護にも長距離連絡にも有用、時計としても羅針盤としても使えるし応用範囲は広い。この賢者の歯車を普及させれば、文明水準だっておのずと上がる。
 戦争なんて起こらない豊かで自由で平和な世界が目前に……
 しかしそれより先に時代は傾いてしまうだろう。だから当面の問題を済ませなければ。俺は湯を上がるやガウンを纏いホールへ出て特上の白紙に一筆した。
 聖杯と金貨、赤の騎士団を相手に回すには、黒の剣騎士団を仲間にするのが自然。俺は即決すると、直ちに密書をグレイシャ代理名義で手配して速馬の伝送屋に任せ送った。返事を待つ日々。
 この間にも俺たちは出撃と交戦の小競り合いを繰り返していたが。安全な夜はなかなか来ない。満足に妻と寝る時間は無いな。それより、空賊連中は集結しつつある。決戦の日が近い事は明らかだ。
 何故なら敵の攻撃に統一性の律序が見られるからだ。有能な将帥が指揮しているな。無駄な犠牲は出さずに、戦力を分散して局地的に同時に無防備な村へ一撃離脱を繰り返してくるからたまったものではない。守ろうにもとても全部は手が回らない。
 ここはなんとしても剣騎士団の応援を……と、その回答は驚くほどの速さで返ってきた。これは腰の重い厳粛な騎士団の裁可としては迅速だ、一カ月も掛からないとは。議題が速やかに伝わったらしい。
 剣騎士団の返答は単純にして明快だった。対等の同盟を結ぶなら、剣騎士団最強の騎士ナイトメア卿……『悪夢』と戦って勝利すること。ならば自然挑戦者は……躊躇わずグレイシャが名乗り出た。しかしここで、シェイムが引き受けると言って聞かない。
 どうしよう、俺は剣が使えないし……他流試合認めるなら、自慢の皮革の鞭で鈍重な騎士なんて、板金鎧ごと絡ませ転ばせてやる自信あるけれど。
 ティナは護身用に俺から少し体術を学んでいたな。フリントは一見温和に見えて、戦士としての天性の感性があることを俺は察していた。筋肉の付き具合から解る。おそらく格闘技の経験があるが、小柄過ぎるのが惜しい。ロッドにサーナママはもちろんまったくの素人だろうし。
 勝てないにしても、断れば名誉を損ない尊厳が傷付き、グレイシャの地位が揺らぎ部下の騎士兵士の士気に関わる。自ら戦えないような若輩者に、誰が忠誠を誓えるものか。
 結局決闘を受けるしか、選択肢がないのだった。例え負けるとしても討ち死ぬとしても、戦い抜いて不退転の矜持を見せつけなければ。受諾の書類を届けさせた。
 即座にナイトメアはこの夜明け、いままさに護衛すら連れず、空から……竜騎兵だったのか! 飛竜で単騎乗り込んできた。
 意外にもさして巨漢ではない。人並みよりはやや大きいが。重いだろうに甲冑に兜を身につけている。兜の面頬を下ろしていて素顔が分からない。何歳ぐらいだろうか。まさか十代の若者か、二十代半ばか、四十代をもしや超すか?
     
 晴天下の朝、レイバラの広場で決闘が始まった。双方頑強な板金鎧を身につける。街人がこの試合に惹かれ、大勢野次馬となって人垣を築き見物を決め込んでいる。
 まずシェイムが堂々たる野太刀を構え、立てて礼をした。ナイトメアも答礼し、細みの長剣を片手で構えた。楯は持っていない。
 シェイムは気合の言葉とともに斬り込み、ナイトメアの剣と派手に撃ち合った。しかしナイトメアは容易く払い、シェイムの野太刀をすくい上げた。両手で持っているというのにシェイムは野太刀を取り落としてしまった!
 シェイムの鎧の肩当てに、長剣が軽く叩きつけられる。一瞬にして完敗だ。
 続いてグレイシャが進み出たが……乙女から女性になったばかりなのに。
 グレイシャのサーベルの鋭い撃ちこみで、素早い剣戟が繰り広げられた。胸すくむ金属音。俺は肝を冷やした。素人目にも解る。グレイシャが明らかに圧されている……!
 ナイトメア、なんという強さ、まさに悪夢の騎士……膂力、技量、意志、加えて感性……いずれも類希に優れている。天性の戦士だ。やや長身だが騎士としては痩せぎすなのにどこから力が出るのか。技の内か意志の成せることか。
 グレイシャはかなり長時間勇戦したが、やがてナイトメアはグレイシャの兜を軽く打ち、まるで負傷させぬまま決闘はあっさり終わった。極めて巧みな剣術。決して速くはないし、動き回り過ぎもしない。必要最低限な力と早さの動きだけで。
 ナイトメアの実力は超人的だった! 俺たち七人束になっても敵う騎士ではない。それも、一対一の決闘では誰しも敵うはずもないからまさに一騎当千……シェイムの方が背丈も肉付きも体格は良いのに、赤子の手を捻るようなものだった。
 もっともグレイシャの剣術も一流だった。しかし女故の非力さで、ナイトメアに遅れを取ってしまった。技量だけならかなりのところまで迫れる腕なのに、体力が足りず、互いの限界の気力で競り負けた。
 グレイシャにはとても素人の俺には敵わないことが解った。剣による試合ならね。ルール無用なら先手必勝、鞭で顔面強打して目や鼻、耳とかの器官を損傷、大出血させて終わりだよ。愛しいグレイシャにそんなこと絶対にできないけれど。