飛竜ニードルは語った。「『暗黒の中世』と呼ばれる伝説の時代は、皮肉にも『光の文明』が花開いていました。科学技術が魔法のように進化していた時代。夢の世界……誰もがきままに自分の『世界』を持ち、その世界では超越者ともなりえた。おまけに他人とも他人の世界との交流も、どれだけ距離離れていても光の速さで一瞬だった」
「それは事実ですか?」飛竜とは博識なのだと気付かされる。
ニードルは肯く。「この文明時の架空の現実……世界中のすべての人が、それぞれ自分の築いた夢の世界に埋没して生きていたという。よく理解できない伝説でしょうね。その伝説の歴史を思い返します。わたしどもはそのころの生まれですから。いまのこの王国と比べるとはるかに人道的な律序ある礼節士気保たれた世界……」
ティナは疑惑だった。「でも、そんな素晴らしい理想卿が何故滅んだのかしら?」
「平和の無為による退廃の末の衰退。不信と欲望、嫉妬による誤解と無理解が原因かと。
その時代この国は全民衆に寛大でした。大っぴらに反体制を口にしても、治安当局は当たり前に見逃してくれる。実際に直接国に対してとか、他の国民を傷つける武力行使でもしない限り、逮捕されることはない。
たしかに、思想犯政治犯にされたものがいた。彼らの中には処刑されたものもごく一部はいます。しかし処刑の判決は政治犯としてより殺人犯としての量刑です。他にも何万人となく、反政府活動をしていた若者もいたのに社会復帰しほとんどみんな一切お咎めなしという、国民の自由と権利を保障した国なのです。社会は異分子も受け入れた。
いまや歴史はほぼ紛失し正史など誰にも解らないのですが……過去は失われた、取り返しはつかない。新しい明日を築いていく必要がある。過去を振り向くのは明日への座標を知るためのみです」
しかし。ティナは自問自答した。それをまた武力によって? 納得がいかない。ドラゴンなんて恐ろしい魔物の力で破壊に殺戮を……いけない! ここではっと閃く。熱っぽくニードルに話す。「竜の力を平和利用すれば、すごい労働力になるはず! 土木作業、建築や農業、輸送や伝令にも使える。熊や虎などの危険な猛獣の狩りにも」
ニードルは一礼した。「その通りです、お嬢さん。わたしたち飛竜は人間と自然と共にあります。ですが、男と言えばたいてい短絡的に戦いの道具とする。ティナ、貴女はまだ幼いのに御指摘は正直驚きました。素晴らしい度量です」
農民なら当たり前に牛や馬を農耕に使うのに、飛竜を戦以外に使うとは誰も考えなかったのか。これだから士族やごろつきは。
ティナは嬉しげに語り掛けた。「酒場娘は卒業するわ。ジャッジさんの遺産を元手に、商売を始めましょう。とりあえず、快速を生かした竜の配送伝達屋とかはどうかしら。ニードルさん、貴方さえ良ければ……」
「光栄ですよ、わたしも好んで戦いをするわけではありません。ジャッジは殺しを一切しない誇り高い戦士でしたから。これでジャッジが何故貴女を乗り手に選んだか解りました。平和活動をするはずと、信じていらしたのですね、彼は」
「ではまず、なにから始めましょうか。例えばこんな陽気に、雪山まで上って綺麗な雪を溶けないうちにすばやく取ってくれば、居酒屋とか飲食店、あるいは高熱を出した患者のいる病院なら元手無料でも高値で売れるはずよ?」
「それでは雪山と街一日三往復くらい、金貨一枚程度の働きですね。社会に貢献するにはあまり向きませんし。わたしなら元手無料なら考えます」
ティナは驚いていた。金貨が安いなどと?! 人知を超越した竜の力とは……「もっといい仕事があるのですか?」
「そうですね、さしあたって田畑の収穫前に、河川の灌漑治水工事が不十分でした。堤防を築き農民たちに協力してあげたら喜ばれるでしょうね。ティナお嬢さん、それなら貴方たち人間の言う名誉になることですよ。金が出るかは解りませんが、働く価値はあります」
「金より名誉ですか、これはジャッジさんもきっと喜んでくれるはず……ところでニードルさん貴方、男、女、どっちなのです?」
「飛竜に性別はありませんよ。男であり女、無性にして両性」
「私貴方の鞍に乗っているだけで良いのかしら」
「竜騎兵たる飛行の訓練は受けて頂けませんか? もし空賊と遭遇したら事ですから。わたしは軽快さと速度が売りなので、逃げればまずどんな飛竜も追っては来られません。攻撃を受けても俊敏にかわします。もし空戦になった場合の曲芸飛行は一通り習得して頂かなければ。加えて後方の監視。高速飛行中に飛竜が後ろを振り向くのは不可能なのです」
ティナはふと考え込み、語った。「空賊に襲われるのは、金と戦力の有る都市なんかより無力な農村、宿場村がほとんどね。そうした村が攻撃を受けたとき、防衛対処する必要があるわ、それも迅速に。都市への伝達手段を整えてはどうかしら。警鐘、狼煙、打ち上げ花火。情報をいち早くつかんで、私たちが迎撃するの。弱い者いじめしかできない空賊なんて、許せないものね」
ぽつりと、悲痛にとある友を思い出す……あの子、空賊に入ったなんて!
「ティナ、貴女は見識深いですね。都市や田舎の村々を護る竜騎兵で上手く部隊を組めれば良いのですが……」
「そうね、例え総数で劣っても連携すれば強力な防衛網となる」
「聡明なる主人を背に抱き、真に光栄の至りです。いまはそれより、空に馴染んでください。行きましょう」
ティナは騎竜鞍に座ると、しっかりと身体を皮革のベルトで固定した。鐙に足を乗せる……届かなかった。長身のジャッジの脚は長かったからだろう。革紐を結び直し、調整する。と。
クォオウゥン…… ニードルが吠えた。その視線の先を見れば、飛竜が……乗り手のいる竜騎兵が一騎上空から舞い降りて来ていた。
ティナは焦った。どっと冷や汗が出る。「ニードル、敵?」
ニードルは優しく否定する。「この都市近隣の村々を護る郷士シャドーの竜アクスです。わたしが貴女の訓練に招きました。飛翔しますね、よろしいですか?」
ニードルは軽快な加速で羽根のように舞い上がった。もっともティナはその加速度でギュッと下に身体が締め付けられ、驚いていたが。ニードルと仲間の竜騎兵は、互いにくるくると旋回しながら相手の尻尾を追い掛け回った。これが竜騎兵の戦い……回転に三種類の軸があると気付く。上下旋回、左右旋回、左右横転。意外なのは、左右旋回は滅多に行わない事実だ。左右横転し、上に旋回が常道。空に向かって落ちていく感覚。
ティナは空を舞う奇妙な陶酔感の中、ジャッジに祈り捧げ誓っていた……私は空を赴く。私たちの生きる世界を護るために!
「それは事実ですか?」飛竜とは博識なのだと気付かされる。
ニードルは肯く。「この文明時の架空の現実……世界中のすべての人が、それぞれ自分の築いた夢の世界に埋没して生きていたという。よく理解できない伝説でしょうね。その伝説の歴史を思い返します。わたしどもはそのころの生まれですから。いまのこの王国と比べるとはるかに人道的な律序ある礼節士気保たれた世界……」
ティナは疑惑だった。「でも、そんな素晴らしい理想卿が何故滅んだのかしら?」
「平和の無為による退廃の末の衰退。不信と欲望、嫉妬による誤解と無理解が原因かと。
その時代この国は全民衆に寛大でした。大っぴらに反体制を口にしても、治安当局は当たり前に見逃してくれる。実際に直接国に対してとか、他の国民を傷つける武力行使でもしない限り、逮捕されることはない。
たしかに、思想犯政治犯にされたものがいた。彼らの中には処刑されたものもごく一部はいます。しかし処刑の判決は政治犯としてより殺人犯としての量刑です。他にも何万人となく、反政府活動をしていた若者もいたのに社会復帰しほとんどみんな一切お咎めなしという、国民の自由と権利を保障した国なのです。社会は異分子も受け入れた。
いまや歴史はほぼ紛失し正史など誰にも解らないのですが……過去は失われた、取り返しはつかない。新しい明日を築いていく必要がある。過去を振り向くのは明日への座標を知るためのみです」
しかし。ティナは自問自答した。それをまた武力によって? 納得がいかない。ドラゴンなんて恐ろしい魔物の力で破壊に殺戮を……いけない! ここではっと閃く。熱っぽくニードルに話す。「竜の力を平和利用すれば、すごい労働力になるはず! 土木作業、建築や農業、輸送や伝令にも使える。熊や虎などの危険な猛獣の狩りにも」
ニードルは一礼した。「その通りです、お嬢さん。わたしたち飛竜は人間と自然と共にあります。ですが、男と言えばたいてい短絡的に戦いの道具とする。ティナ、貴女はまだ幼いのに御指摘は正直驚きました。素晴らしい度量です」
農民なら当たり前に牛や馬を農耕に使うのに、飛竜を戦以外に使うとは誰も考えなかったのか。これだから士族やごろつきは。
ティナは嬉しげに語り掛けた。「酒場娘は卒業するわ。ジャッジさんの遺産を元手に、商売を始めましょう。とりあえず、快速を生かした竜の配送伝達屋とかはどうかしら。ニードルさん、貴方さえ良ければ……」
「光栄ですよ、わたしも好んで戦いをするわけではありません。ジャッジは殺しを一切しない誇り高い戦士でしたから。これでジャッジが何故貴女を乗り手に選んだか解りました。平和活動をするはずと、信じていらしたのですね、彼は」
「ではまず、なにから始めましょうか。例えばこんな陽気に、雪山まで上って綺麗な雪を溶けないうちにすばやく取ってくれば、居酒屋とか飲食店、あるいは高熱を出した患者のいる病院なら元手無料でも高値で売れるはずよ?」
「それでは雪山と街一日三往復くらい、金貨一枚程度の働きですね。社会に貢献するにはあまり向きませんし。わたしなら元手無料なら考えます」
ティナは驚いていた。金貨が安いなどと?! 人知を超越した竜の力とは……「もっといい仕事があるのですか?」
「そうですね、さしあたって田畑の収穫前に、河川の灌漑治水工事が不十分でした。堤防を築き農民たちに協力してあげたら喜ばれるでしょうね。ティナお嬢さん、それなら貴方たち人間の言う名誉になることですよ。金が出るかは解りませんが、働く価値はあります」
「金より名誉ですか、これはジャッジさんもきっと喜んでくれるはず……ところでニードルさん貴方、男、女、どっちなのです?」
「飛竜に性別はありませんよ。男であり女、無性にして両性」
「私貴方の鞍に乗っているだけで良いのかしら」
「竜騎兵たる飛行の訓練は受けて頂けませんか? もし空賊と遭遇したら事ですから。わたしは軽快さと速度が売りなので、逃げればまずどんな飛竜も追っては来られません。攻撃を受けても俊敏にかわします。もし空戦になった場合の曲芸飛行は一通り習得して頂かなければ。加えて後方の監視。高速飛行中に飛竜が後ろを振り向くのは不可能なのです」
ティナはふと考え込み、語った。「空賊に襲われるのは、金と戦力の有る都市なんかより無力な農村、宿場村がほとんどね。そうした村が攻撃を受けたとき、防衛対処する必要があるわ、それも迅速に。都市への伝達手段を整えてはどうかしら。警鐘、狼煙、打ち上げ花火。情報をいち早くつかんで、私たちが迎撃するの。弱い者いじめしかできない空賊なんて、許せないものね」
ぽつりと、悲痛にとある友を思い出す……あの子、空賊に入ったなんて!
「ティナ、貴女は見識深いですね。都市や田舎の村々を護る竜騎兵で上手く部隊を組めれば良いのですが……」
「そうね、例え総数で劣っても連携すれば強力な防衛網となる」
「聡明なる主人を背に抱き、真に光栄の至りです。いまはそれより、空に馴染んでください。行きましょう」
ティナは騎竜鞍に座ると、しっかりと身体を皮革のベルトで固定した。鐙に足を乗せる……届かなかった。長身のジャッジの脚は長かったからだろう。革紐を結び直し、調整する。と。
クォオウゥン…… ニードルが吠えた。その視線の先を見れば、飛竜が……乗り手のいる竜騎兵が一騎上空から舞い降りて来ていた。
ティナは焦った。どっと冷や汗が出る。「ニードル、敵?」
ニードルは優しく否定する。「この都市近隣の村々を護る郷士シャドーの竜アクスです。わたしが貴女の訓練に招きました。飛翔しますね、よろしいですか?」
ニードルは軽快な加速で羽根のように舞い上がった。もっともティナはその加速度でギュッと下に身体が締め付けられ、驚いていたが。ニードルと仲間の竜騎兵は、互いにくるくると旋回しながら相手の尻尾を追い掛け回った。これが竜騎兵の戦い……回転に三種類の軸があると気付く。上下旋回、左右旋回、左右横転。意外なのは、左右旋回は滅多に行わない事実だ。左右横転し、上に旋回が常道。空に向かって落ちていく感覚。
ティナは空を舞う奇妙な陶酔感の中、ジャッジに祈り捧げ誓っていた……私は空を赴く。私たちの生きる世界を護るために!