「被告は無実です。何故なら過去の著名例を上げます」

 とある事件審議の法廷にて、偶然民間人裁判員の一人に選ばれた私は朗々と話し始めた。

「時すでに遅しですが。カレー青酸カリ混入事件の犯人は、あの被告ではない。なぜカレーを作った当事者が犯人なのか。私が犯人なら絶対に現場に残ったりはしない」

 審議の場はどっと混乱した。余計な私語雑言が乱れ飛ぶ。判事が「静粛に」と静める。

 私は引用した。

「あの事件で犯行可能なのが彼女以外にいなかったなんて現場検証はまったくのでたらめだ。調理していた彼女の目を盗む必要すらない、なにげなく近づいてさっと毒物を放り込めば事件は完了だ。極めて微量で済むのだから気付かれない。あんな劇物、蒸気を吸い込むだけで死ぬ危険あるのに現場になぜ残るか。つじつまが合わない」

 反対の声が上がった。賛同のざわめきも多少ある。手ごたえを確実に感じ、大切に論じる。

「そもそもカレーのなべに放りこむこと自体ナンセンスだ。ほんの爪の先ほどで即死する劇物、スプーンの先にふりまけばはるかに手っ取り早いし目撃者の出る危険も少ない。だいいち無差別殺人なら動機は無いのに、わざわざ現場にノコノコ残る馬鹿がどこにいる」

 証拠を挙げてみろ、との声が上った。私は皮肉に構え、スーツのポケットから『ブツ』を取り出し見せびらかした。

「いまから犯罪を暴露します。この板チョコは私が今朝コンビニから万引きしてきたものです……しかし私はバレず捕まらずここにいます。人の目をくらますなんてこのように容易なことなのです」

 場は揺れた。ざわざわと私語が飛ぶ。

 私は苦笑した。

「はいはい落ち着いて。万引き、これは嘘です。この嘘が先に述べた犯罪です。偽証罪は大犯罪ですからね、万引き程度の軽犯罪も嫌ですが比較になりません。ですが私の言葉の真偽など誰に分かります? このように人の目は容易に欺けるのです。それなのになぜ彼女を犯人にできます?」

 検察側は厳しい顔だが、焦りを見せていた。反撃の機会を与えず話す。

「防犯カメラもない中で。警察の体面を保つためでしょうかね、事実は一つ、冤罪です! 『疑わしきは罰せず』が司法上の絶対則の常識なのに、何故彼女は罪になったか? 広くマスコミ報道されたあまりに大きな事件、事件が迷宮入りとなれば検察の名誉に傷が付くからでしょうか」

 私はたたみ掛ける。

「そもそも証拠の残らない殺人なら、いくらでも方法はあります。相手の常服薬にただ一錠毒薬を混ぜておくとか。まして無差別殺人なら下手なトリックをわざわざ使う必要などない。例えば自動無人玄米精米機に一粒毒薬を混ぜておくだけで構わないのだから。ましてや青酸カリ並みの猛毒なら、どんな自販機の釣銭口にでも付着させるだけで済む。犠牲になるガイシャは特定できないが、これならシンボシに証拠はまず残らない」

 さらに攻める。

「ガイシャを特定するのなら、ストーブ用の灯油ポリタンクに、少量のガソリンを混入する手もある。ガイシャ宅は火事になるだろう、焼死する可能性もある。ジッポ燃料を換気扇の外から室内コンロ目掛けばら撒く手もある。ナフサオイルは極めて低温で着火する。ガイシャは火だるまだ。酸性のボディーシャンプーとアルカリ性の洗剤が流しで混ざれば、致命的な塩素ガスが発生する。これは事故か事件か難しい」

 場は騒然としていた。「静粛に」、と判事は繰り返し命じる。さらに続ける。

「家電製品の電気コードないし電子部位を、少し引きちぎって銅線を露出させる。使用者は100ボルト60ヘルツの電圧に感電心室細動死する。糸か紙片を電気ストーブのニクロム線に結びつけて電流を高め加熱着火放火することも可能です。その後は燃え尽きて証拠はほとんど残らない。コンセントにアルミ箔かクリップを繋げば、電気を入れた途端ショートしてブレーカー落ちる、暗闇の罠。この間に犯行に及べば、監視カメラも無効です」

 声高に断言する。

「こんなに容易に殺人が可能なのに、なぜ手の込んだ殺人トリックなど必要か。必要とすれば恨みによる私怨殺人だが、歪んだ欲望による猟奇殺人なら犯人を特定するのは困難だろう。不意の怒りの発作、衝動による殺人もあり得るだろうが、それらはトリックなど使われないだろうし」

 意見を封じる。

「わざわざアリバイ工作し、たった数分間のタイムラグを利用して手の込んだトリックを遂行し怨念こもるガイシャを殺し、素知らぬふりで敏腕刑事に名探偵の前でシラを切り通す人間どこにいるものか」

 私は締めに掛かった。

「そのくらいなら最初からまったくアリバイ工作などせず、まっすぐにガイシャ宅に向かい、強盗殺人を装ってバールのようなもので窓を破って侵入、そのまま余計な会話はせずにガイシャを撲殺、部屋を荒らして金品持ち出せば怨恨の線とは無縁になる可能性もある。指紋を防ぐには軍手を使えば楽勝。一組百円、一日使い捨てのシロモノ。こんなものごみ箱どころか路上とか、どこにでも捨てられてあるのだから、少し現場から離れたドブ……田んぼでもいいかな、裏返して泥にまみれさせれば、発見は至難だ。軍手は種類が単純なのに数は多く売れる。売店も各地にあるから証拠としてもまずおさえられない」

 傍聴席は騒然としていた。素人裁判員たちも明らかに混乱している。検察は「きみは法廷を侮辱する気かね!」と怒鳴った。

「まさか。は、アリバイがあるかどうかなど、そもそも犯人として疑われなければ問題にされないのだから無意味だ。むしろ時間と体力に技術のトリックが勝負の無理なアリバイ工作などして、嘘がバレたら致命的失敗ではないか。それなら動機はある上殺人可能で疑わしいが証拠の残らない一容疑者で済ませた方が良い。なんといっても、偽証罪は大抵の罪より重い。検察はその点有利ですね。敗訴しても間違っていました、として頭を下げれば済むだけですから。いまでこそ少なくなりましが、調書をでたらめに書いて権利も主張できないような弱者に罪を被せる、なんてことまかり通っていましたからね」

 検察は激しく弁論する構えを見せたが、時間が時間だ。法廷は混乱のまま閉ざされた。

 審議に波紋広げた私に、ジャーナリストが熱烈気味に質問してくる。私は軽く答えてやった。

「人気推理ものの名探偵が『人殺しの気持ちなんて解りたくもないぜ』って決め台詞吐いたのが気に入らなくてね。人を殺したいほど憎んだ葛藤を経験したことのないやつは信用できない。幸せに育った自分のことを善人と信じて疑わない、犯罪容疑者を最初から蔑視し、頭がおかしい絶対悪と決め付けるようなお坊ちゃんお譲ちゃんに、人を裁く資格と権利を与えたくはない。そんなのが死刑執行の署名をするなんておぞましい」

 むかしの逮捕劇では『お前には黙秘権が与えられる』、というのが常套句だったが。現実には黙秘は罪の否定ではなく肯定とみなされるのだから。とんだ欺瞞だ。

 本音は擁護した被告が真犯人かどうかは、私には解らない。だがクリスマスは人を許す季節という。キリストの血は罪を清めるという。今夜はキリストの血……ワインで乾杯しよう。

 

(終)