強盗の濡れ衣を着せられた引退剣闘士バーンは窮地に追い込まれていた。王都城塞都市の外壁、乗り越えさえすれば自由な平原が広がるはずのその一枚の壁を背に、重武装の兵士数十名に包囲されてしまっていたのだ。

 対するバーンは買ったばかりの普通の平民の衣服に革靴……といっても、奴隷だったバーンにはいささか気取った瀟洒ないでたちに、奪い取った警備兵の軽い片手持ちの長剣だけしか身につけていない。

 こんな窮状というのに、腰に揺れるやや重みのある財布。硬貨の詰まったそれをつい意識してしまうバーンだった。まともな職に就くまで、自由人として生きるための軍資金となるはずだったのに。

 それに土とは違う石畳の地面に、すりあしで動いては靴が引っ掛かり、体勢こそ崩さないものの、いらいらといささか閉口する。

 それも敵は、単なる警備兵ではない。本来王室近衛兵のはずの最精鋭の槍兵、板金鎧に大盾を身にするファランクス(重装歩兵密集陣)だ。

 しかも完全な板金鎧ではない槍兵。過去の戦場の教訓から機動性も重視した、実戦の野外戦向きの軽量化された重装兵である。だから、鎧に覆われていない個所もあるのだが。

 カンッ!   乾いた剣戟の音が響く。敵はバーンを休ませないつもりだ。バーンは荒く息をしながら、手にした長剣に悪態をついた。軽すぎるのだ。こんなに軽くては、非力なバーンは重い攻撃を防ぎ切れない。

 敵兵が、突いて攻撃してきていたのが幸いしていた。これなら、払えばなんのことはない。しかし、長大な槍を振り回されればこんな粗末な剣では!

 ファランクスの槍先が踊る。鈍重な一突き。剣で受け流したバーンは喘いだ。何度目の防御か。反撃の機会は巡ってこない。敵は疲労しない。数十名の内一人だけが進み出、入れ替わり立ち代わり、攻撃手を変え連続して攻めているのだから。他の敵も無論、ただ休んでいるわけではない。側面に回られぬよう、防御陣を組んでいる。

 バーンが攻撃を防ぐたび、どっと野次馬から歓声が上がる。真剣勝負というのに、街民の野次馬にとっては、これはお遊び、大道芸に過ぎない。バーンはかれらのおかげで、逃げることができなかった。

 バーンが野次馬に飛び込めば、大混乱となる。無関係な他人を巻き込むのは抵抗があったからだ。わかっていた。敵に自分を殺すつもりはないことは。傷さえつけるつもりはないだろう。体力が尽きるのを待っている!

 金の卵を産む鶏、剣闘士であるバーンを闘技場の牢獄へ連れ戻すつもりなのだ。させるか! だが。警備兵の使うようなこんな軽く短い剣では敵の長槍の攻撃を押し戻し、競り勝つことはできない! このままでは疲弊し切ってしまう!

 その前に。思い切って踏み込み、また敵の武器を奪うか? バーンは槍を使ったことがなかったが、長い剣としてか、棍棒としてなら使えるかもしれない。打つ手なしの、捨て身の覚悟。そんなもの、過去の試合で幾度となく有った。そのたびに、勝ち抜いてきたのだ。ならば今回も!

 敵に呼吸を合わせ、敵が槍を引いたと同時に踏み込み、敵が反撃して突く、その瞬間に剣を捨て槍に組み付きもぎ取る。これは危険だ。が、敵が焦りを見せるようなら、もっと深く踏み込んで、剣で槍を叩き落してもいい。これなら隙も少ない。即決。バーンは地を蹴った……!!!

 バーンは罠にはまった。王国最精鋭のファランクスが待っていたのは、まさにその瞬間だったのだ。バーンは見事に敵の懐に飛び込んで槍を手から叩き落したが、他の敵が五方向から槍を棍棒のように振るい、バーンを打ち据えた。防御はしたものの、バーンの貧弱な剣は耐え切れず、折れた。

 衝撃。痛みは感じなかった。が、バーンは身震いしていた。終わり、なのか、自分は闘技場で朽ち果てる運命なのか、と。いずれこの身衰え枯れ倒れるときまで!

 否、素手でも! 戦い抜く、そう思ったバーンはファランクスの向こうから歩み寄る人影に凍りついた。

 拳闘士カタール! 三十一歳の連戦に練磨された自由人英雄拳闘士で、絶大な力とそれに見合う人望がある。バーンは所詮奴隷剣闘士、天と地の差だ。

 素手で戦う拳闘士と、武具を使う剣闘士が立ち会うことはないのだが、両者は顔見知りだった。訓練では、仕合ったこともある。

 巨大な木刀を使うバーンに素手で対抗するカタールの体裁きには、バーンは舌を巻いたものだ。もっともバーン自身も、倒れるほどの打撃を受けたことはなかった。達人同士の仕合。

 カタールはなんら武装せず、ただ身軽な服装をしていただけだ。しかし最高の格闘家相手に疲弊しきったいまのバーンが敵うはずもない。感情の無い眼でバーンを見下すカタール。彼は平易に問う。

「俺が憎いか? 王国が憎いか?」

「憎しみの連鎖は断ち切らねばならない」バーンは静かに、真摯に発言する。「おれの死でそれが適うなら、本望だ」

 直ちに拘束され、枷をされる。バーンは連行された。

 バーンの脳裏に、バーンが決して得られなかったものがぐるぐると渦巻いていた。自由。権利。……愛。

 

(続く)

 

後書き 自分でも、自作の歴史が解らなくなってしまった……これは『竜騎兵、飛翔』の四年くらい前の話のはずだけど、時代関係が混然としている。ファンタジー編の『籠の鳥』は支離滅裂、現代編の『ジェイルバード』はキャラの歳と西暦が一致しない。キャラごとの年齢差は、ほぼ忠実ですが。