リティンの指揮官としての辣腕は、いかに効率よく戦うかに掛かっていた。これはいわば、損得勘定である。戦士、軍人兵士は武勇の誇りを尊ぶものと、当たり前にされてはいるが。

 しかしこの知性と覇気に満ちた若き指揮官にとっては、戦争……それも、一方的に敵を爆死させるボタン戦争ではない、自ら剣を取っての敵と肉薄して命を賭けるのを知らぬシントの民衆が、歴史絵巻動画から想像するような『戦士』的な気質は。

 そんな甘い概念、前時代的な戦争に対する名誉の騎士道なんて、銅貨一枚分も持ち合わせなかった。なまじ高潔な将足らぬ、愚劣な凡将もそうであろうから文句は言わせない。

 それでいてリティンが卑怯者とされないどころか名声高いのは、常に自ら前線で指揮を執るから、そして常に勝利するからに尽きる。

 そんなリティンは質実剛健な気質を想像させるが、実は部下の兵にはのびのびとさせていた。軍律は簡素で、喧嘩は両成敗の気絶させるほどの鞭打ち、一方的な傷害に盗みは鞭打ちの後独房禁固、そして仲間殺しは死罪。

 ただし、死罪と言っても内密に別の指揮官の隊への異動で済ませるのが常だった。仲間を殺すなんてことはよくよくのことだから、犯人にも言い分はあると。良く起こる喧嘩騒ぎも、たいていは訓練だとの詭弁で済ませ、放免していた。しかし、傷害に盗みその他姑息な真似だけは厳粛に罰した。

 一日の内、半日近くは睡眠その他の休み時間。昼番と夜番に分けていた。勤務時も、武器訓練は半刻の剣、槍訓練と、間をおいての半刻の石弓、スリング訓練だけにしていた。訓練で良く動けるものは、小隊長に抜擢していた。故に兵は励んだ。それでも合わせて一日一刻だけ。

 部下は体力が余るから、良く金を賭けて競って試合をしていた。真剣は禁じていたが、素手かもしくは槍並みの長い棒が好まれて使われた。互いに対等の条件の公平な試合であれば、奨励していた。ただし卑怯ないかさまは盗難と同義に扱い、厳しく罰した。

 もっとも、卑怯といっても見事に働いた狡猾な悪知恵であるならば、そういったものとは詳しく自ら質問を交わし、知略実力器量があるとみなせばむしろ賞賛して小隊長ないしその参謀役に昇進すらさせていた。

 これらの日々で実戦こそなくとも負傷者は出るが、負傷兵への看護手当を世話すべく、特に気質に穏やかなものに衛生兵を任せ、厚く遇するよう指示していた。この役はなまじ前線で臆するような気質のものに任せるから、適材適所といえよう。

 負傷や病気により戦えなくなった兵には、報償として銅貨百枚を与え、除隊させて里へ帰した。リティンは医師として外科手術も自ら執刀したし、内科薬も調合したが、それすら受け付けること叶わない、助からない重傷者は……酒を気の済むまで飲ませ、最後の一杯に致命的な毒を混ぜた。

 休憩時間には、食事は自由にした。兵士を飢えさせないどころか常にたらふく食わせるだけの糧食を、常に確保する運営手腕こそリティンが名将たるゆえんである。兵は活気に満ちていた。待遇に不満なものは珍しかった。

 それは鬼たちが兵士として前線へ赴くまでの、故郷カッツ……高山の痩せた土地に位置する飢餓的な洞穴居暮らしと比較すれば当然だ。

 わずかばかりの鳥や獣の肉、泥臭い川魚が上等な食べ物。大抵は野の雑穀と野草のかゆ。蛙も甲虫も良く食されていた。幸い清水と岩塩があるのが、本拠地足り得た点だ。過去の記録によると、極上の食べ物は人間の生肉だったそうだが……あくまで伝説上の話だ。

 リティンは医学に工学の知識を生かして、特に発酵技術に力入れた。こんな前線にあって食材の調達と保存食の製造を、見事に整備した。酒も余るに十分なだけ美味しく作り、三献までなら寝る前に許した。宴会時の無礼講なら、呑まれて潰れるまで可だ。

 それに、後方内部勤務の女鬼との夜伽遊びも見逃していた。乱暴しなければ恋愛は自由だった。もっとも女を巡って喧嘩は起こるが、これは戦地ではない本拠地の国でも当たり前のことなので、むしろ闘争心を好ましく昇華するとして、喧嘩は訓練と同様に黙認していた。大事になりすぎた場合のみ、喧嘩は両成敗の鞭打ちの刑だが、それに臆し怯むような鬼はどうせ命張り戦う兵士にはなれないのだ。

 こんなていたらくでは敵に攻め込まれては無論ひとたまりもないが、ここは辺境の険しい山岳の砦。敵の侵攻経路と言えば限られるし、なにより密偵を部下の二十分の一も割いて各地へ飛ばしていた。情報は常に戻ってくるから、奇襲を受ける心配はない。

 あえて望むなら欲しいのは、前線を他に任せられる部下の隊長なのだが。いまの大隊長は無能そろいだ。リティンが自ら指揮しなければ動かないどころか自滅する。だから。

 副官コーズだけにとある意向を話す。

「いずれジャキを呼びたいのだが……単なる中隊長として、危険で物資難な辺地にいるからな。彼は無能な指揮官の下で朽ちさせるには惜しい」

 コーズは鼻で笑った。いかにも不服そうだ。

「ジャキですか、俺はあの男を好きません。軟弱で怠惰な腰抜け」

「ほう、言ったものだな。ジャキについて、なにを知っている?」

「酒中毒。酒精酔いの狂気の精霊、『アギラ』を身に付けた戦士、ジャンクジャンキー。『邪鬼』で知られる角の無い人間の中年のような鬼、ジャキ」

「そこまで前口上を知っていてなぜ否定する。個人的な感情からでは人事は行えぬ。かれは小柄だが、おまえにも勝る大酒呑みだぞ。戦術腕からして指揮官足る器だ。私が旅団長になったら、私直属の第一連隊に並ぶ第二連隊長をジャキに任せたい」

「大隊長を飛ばして一気に連隊長ですか、半数の部下を任せると。あいつは悪運が強いだけの男ですよ。小柄で非力、剣の腕が無いどころか、そもそも振り回すことすらできない。意志も薄弱、戦意も士気も欠ける。ただ、石弓の腕だけはありますが」

「ただそれだけの男が生き延び、中隊長になれるはずなかろう。ジャキの見事な点は、常に退路を確保するところに尽きる。ゆえに部下からは信頼されていると聞く。負けない戦いをするためには、私は彼が欲しい」

「よろしいでしょう。兵士は得やすいですが、指揮官は得難いものですから。俺も隊長の地位を放棄してしまった以上、文句は言えません。早急にジャキを引き抜く手続きをします。そこの連隊長への付け届け、いくら包みましょう、ここは金貨ですかね?」

「いや、付け届けはジャキ直属の大隊長で良い。それならば銀貨二十枚も渡せば済む。ジャキほどの戦士を中隊長に引き留めている師団長だ、手放すことを気にかけもすまい」

 結局、ジャキはリティン配下の中隊長となるのである。『単身赴任』であった。元の部隊からの兵士までは連れて来られなかった。しかし、リティンは満足だった。ジャキに与える初の任務、それはカッツに迫る人間の公国、フォーシャールの軍隊先鋒指揮官の暗殺である。

 

(続く)

 

後書き ジャキ。彼の正体、素性は私の別作品を読まれた方なら気付かれるかも。はい、なぜか異名で登場しています。誰でしょう?