シントはリティンにとって懐かしい街であった。少年時代を過ごした。そう、リティンは本来シントの生まれなのだ。生い立ちにわけあって通常とはやや異なるが、待遇は民間人の一学生としてシント共和国の一市民だった。
シントの文明水準は高い。太陽光を源にし、電力により運営されている。電力機械式自動車は無論、水上艇、飛行機すら。通信通話機能も電脳化された連絡網で張り巡らされている。ただしこの技術……過去には科学と呼ばれていた『魔法』を外部へ漏らすことは、終身禁固刑をもって禁止されている。
だがその『例外』とされた人間もいた。王国の人間の父娘が来ていたのだ……足元の地面に威嚇の銃撃を連打受けても怯まずに。リティンはこのカルトロップ(まきびし)という通り名の男性に、共感するところ大きかった。娘は幼児で可愛らしかったが、幼すぎて会話すらまともに交わせなかった。リティンがまだ十代のころの話だ。若かったゆえ鮮明に記憶している。
カルトロップは科学技術こそ教わらなかったが、シントの法……過去の時代でいう自由民主主義という偉大なる遺産を、正確に学び受け継ぎ炎舌王国へ帰って行った。民主共和制への布石の使者、文字通りまきびしとして。
この魔法の国へ……亜人、鬼、妖精、小人、それに飛竜。夢のような世界。かつての文明を受け継ぐ、魔法の街。科学技術の。市民に武装は許されず、警備兵は棍棒を帯びている。それすらめったに使われない。
というか軍隊そのものを半ば追放している。製造しようと思えば恐ろしい大砲を積んだ戦車、街を焼きつくす爆撃機なども作れるのだが、それはしない。数機の防空偵察戦闘機がせいぜいである。誘導追尾射撃兵器は違法とされた。電磁加速式砲が防衛の要だ。電算機で超精密狙撃できる。
平和な街……豊かな暮らし。それに甘え切り、シントは悲惨な現状の外部に目をそらしている。『カッツ』の追放された蛮族のような『悪鬼』たちが戦う絶望的に多数な人間と。その鬼たちがこのままではいずれ負けること明らかだ。そうなる前に。有事にはシントを開いて防戦に当てなくては。戦うのだ、空を舞う竜騎兵として。
血液による種検査により、リティンには妖精と小人の血も混じっていることが判明した。なにより老若問わず女性から大人気だった。鬼にとっては不吉な容姿も、妖精の可憐な美女たちにとっては凛々しく映るらしい。
一年前。二十六歳で法学・工学・医学博士として学院を卒業し、学ぶだけのことを学んだリティンは、シントの文武双方の官位を退き野に下る。原始的な文明しかもたない野生の鬼たちの、王となるため徒手空拳で臨んだのだ。
そうして現在、鬼たちの連隊長としてあるのだ。カッツこと辺境の鬼、シント外のいわゆる『悪鬼』たちは、かつてシントを追放された前科者の末裔だった。はるか、古の時代から連綿と続く風習。
飢餓状態に近い辺境に、鬼たちが暮らせるだけの糧食が有るのも、シントからひそかに届く保護措置が大きかった。家畜の飼料並みとはいえ、シントは流刑者を飼い慣らしていた。故に鬼たちの間ではシントは絶対不可侵の聖域とされ、崇められている。正確には鬼だろうが人間だろうが侵入しようとすれば、電磁気砲で撃ち殺されるのだが。
前科者。リティンもそうだった。正確には、その父が。かつてシント伝説の魔術師リティンの記憶情報を盗んだのだ。取り返しのつかない犯罪だった。それを胎児に植え付けるとは。
しかし生まれてくる子に罪はないとし、リティンは市民権を得た。リティンという名誉ある名も。過去の偉大な記憶知識も。本来の自分の姿という犠牲を代償に。シントの開国という野心を秘めて。
辺地カッツの鬼たちを、シントと一体とするために。本来の富と権利と自由を勝ち取るため。そう、本来は鬼族の独立にあるのだ。しかし圧倒的な人間の勢力の前には、このままでは滅んでしまう。
そうなる前に……欠角鬼王ラックホーンの目指していた共存の道を、リティンは模索していた。光の文明の行く末を見届けるのだ。
シントを去るとき、市長はリティンに狙撃銃とその二十ダースもの銃弾と銃剣を差し出した。しかしリティンは受け取らず、分厚いなめし皮の服に鋼鉄の刀という装備で鬼に加わった。
しかしそのとき、学生時代一番仲の良かった好敵手にして親友の妖精、サタイアという青年から秘密を明かされ警告される。
「本来、古来伝説の大魔術師リティンの記憶を受け継ぐのは自分だったのだ。貴方がこのまま命の危険ある辺境に去らせるわけにはいかない、ならば名を受け継ぐだけの勇者か計りたい。決闘を挑む。手段と場所時刻は任せる」
と。リティンはサタイアと素手の体術で決闘し勝利した。
以後サタイアはリティンの腹心となるのだが、あくまで文官としてシントの内部からリティンを補佐した。シント開国の約束を交わして。
リティンの刀は、単一結晶鋼だった。波打つ鋸刃の蛮刀。まったくひびのない結晶なので、非常に堅く、まず刃こぼれしない。これはシントから失われた『鍵』、聖剣アイシクルの形だけの模造品だ。
同時に同じ素材のナイフを三本手にしたが、これは有能な部下に与え、いまや残ってはいない。ちなみにコーズはこのナイフを長巻き(木製の長い柄の先に刃を付けた、槍のような武器)にして愛用している。一人はいささか狂気染みた、しかし狡猾なジャキという角の無い鬼だ。別部隊に配属され、最前線の僻地へ飛ばされているが生き残り、中隊長になったらしい。もう一人は勇敢で知的だったが、王国への密偵任務に単身赴き、終に還らなかった。
そういえば過去小隊長だったころ交戦した四人の人間の戦士。内一人はなんと短剣で戦い抜いたが……もしやこのナイフではないか?
しかしこのシントを思い出すたび、胸が痛む。我々が……鬼が、妖精が、小人が……人間の手によって生み出されたなんて。人間の奴隷として人間の種、『遺伝子』を改造し誕生しただなんて。
我々はなんの為に生まれてきたのか……おぞましい人間の道具から解放されるための戦い、憎い……しかし、混血しうる同種の生き物……
だから私は花だ。散る定めの実を残さない真冬の徒花……
いずれ、自分と反対に位置する鬼には任務が下るはずだ。辺境を挟む炎舌王国より近くに位置する人間の国、フォーシャール公国への対処。その都市レイクへの進軍が。
だが、王国だけで脅威なのにあまりに時期尚早……なんとか人間の兵士を、もっと消耗させてからでなくては。敵を分散させる計略を、リティンは考えていた。
(続く)
後書き 故国シントの記憶回想編でした。リティンは冷たい野望に燃えています。シントが新都心なのは私のシリーズのお約束。