ドゥン!!   それは突然の爆音から始まった。

 床はぐらり、と揺れ建材の軋む音がみしみしとする。振動に天井が一部剥離し、ばらばらとほこりが落ちてくる。人々の悲鳴があちこちで上がるや、すぐに絶叫と化した。黒煙が下から立ち上ってくるのが窓の外に見えた。地震火災、それとも爆弾テロ!?

 ソニックタウンの名で知られる、新都心の一角にそびえ立つ三十階建ての多目的ビルの中は、阿鼻叫喚の坩堝と化した。たちまち、通路は逃げ惑う人々で一杯になる。

 エレベーターは、災害時ということで自動停止している。狂ったようにエレベーターのボタンを連打している者もいるが、どうにもならない。非常階段は押し寄せる人で埋まり、ろくに動けなくなっていた。

 恐慌を来たす最上階、つまり三十階の人の群れの中で、一人異質な男がいた。彫りの深い、精悍な顔。やや人並みより長身に引き締まった体格が、喪服のように漆黒のスーツ越しに窺える。

「始まったな。いや、十三年越しか」三十二歳の男、剣崎涼平(けんざき りょうへい)はそうつぶやくと、懐から愛喫のロングピースを取り出し、ジッポで炙った。無論、違法なのだがこの異常時、構うものはいない。燻らせながら、展望台の窓辺に悠然と立ち、外をしげしげと見回す。

 十月初めの、午後八時。すっかり暗くなった夜空に煙と火の粉が舞い上がっている。それだけではなかった。眼下に広がる建物の多くも、炎を上げていた。新都心はこのままでは火の海だ。

 どうやら、自分のいるソニックタウンの火元は二十階付近だ。それを確認すると、涼平は深く吸い込んだ煙草の紫煙を、ゆったりと吐いた。

 次いで、上空に目をやる。数百という黒々とした物体の群れが、街の明かりに照らされて、かすかに見える。しかし飛行機ではなかった。救助用のヘリでもない。いや、救急隊消防隊が動けないのだ、なぜなら。

 全長五メートルほど、大きく広げた翼をゆっくりと羽ばたかせて飛行する、羽毛の無い巨鳥、それは……戯れに宙を舞い、気まぐれに降下しては家屋に業火を吐きかける。涼平はかぶりをふった。

 煙草を喫い終わるころには、展望台には人影が見られなくなっていた。全員、階段下へ逃げたのだろう。助かるものは、どれだけいるだろうか。

「涼平様、お迎えに上がりました」ふと、背後から女性の声がした。

「知己(ともみ)か」涼平は振り向きもせず、感情を見せない声で言う。「デートのお誘いにしては、品が無いな」

「今日のような事態まで、予測していたわけではありません」女は、声を詰まらせていた。乾いた、かすれた声で叫ぶ。「貴方がもっと早く、決断されていたなら!」

「俺は行かない」涼平は、冷たく言い放った。「こんな大規模テロを引き起こすようなやからに、協力などしない」

「それはわたしが、人間ではないから?」

「違う」涼平は、知己に振り向いた。

 黒いコートに身を包んだ身長百六十センチほどの、すらりとした外見二十代半ばの女性。容姿は一見、美貌とも呼べる程だが。その端正な顔の額の右隅には、二センチほどの角がある。知己は、普通の人間ではないのだ。人間の遺伝子を改造して誕生した「亜人」。

 知己は悔しげに言う。「私などの力では、どうしようもなかった! それはご存知のはず」

「俺にだって、どうしようもなかった。まさかここまで、事態が悪くなるとはね」

「ですが、事は起こってしまった。亜人と飛竜の一斉蜂起。何も手を打たないわけには、いかないはず」

「それが、きみの同族を殺すことだとしても、か?」

 知己は一瞬、うつむいた。押し殺した声で言う。「この惨劇を止められるものなら。決断の権利は貴方にあります」

「そうだな。もう、後へは引けない」涼平はいまいましげに煙草を投げ捨てた。吐き捨てるように言う。「ジェイルバードを再結成する」

「!」知己は立ち尽くした。しばしの沈黙の後、明言する。「御意のままに」

「その結果が、きみの意に添わなくとも悪く思うなよ」

「ありがとうございます、涼平様」知己は一礼した。「こちらへ。騎竜を用意してあります」

 涼平と知己は、非常階段を上り扉の錠を開けビルの屋上へ出た。そこには飛竜……遺伝子操作で誕生したバイオモンスターが、静かに待っていた。

 ドラゴン。二十一世紀初頭に開発された、現代に甦った恐竜。それは全長五メートルほどにもなる大きな痩せたトカゲに、巨大なコウモリの翼をつけたような、異形の生き物。滑らかな流線型を描く巨体と、その身体を覆う黒銀色の金属めいた光沢を放つ鱗には、美しささえ感じられる。

 飛竜の発明は、革命的と言えた。知性は高く人間の言葉を解する。一度忠誠を誓った人間には忠実で、命令に従う。いまの世では飛行機、いや乗用車の代わりに大衆は飛竜を足にするのが定着しつつあったのだ。

 しかし、ナイフのような牙と爪は人間には致命的だ。なにより、ドラゴンは口から火炎弾を噴く。もとは軍事目的で開発されたのだから。その飛竜による戦争。

 亜人とドラゴンは同時期に誕生した。遺伝子操作技術の成果で。開発したのは新都心の企業、日本中央バイオニクスだ。

 その研究陣の中心人物が、日中バイオ創始者神無月教授だ。教授は人類の革新を目指して新種の人類を創り上げたが、それは当然のように従来の人間たちから危険視された。

 日中バイオは政府の圧力により乗っ取られた。亜人は人類の奴隷と位置付けられた。ドラゴンは兵器として珍重された。戦後以来飛行機の開発に難がある日本にとって、当時緊張関係にあった防衛問題に、これは大きなアドバンテージとなった。遺伝子操作で誕生したバイオモンスターによる軍隊。悪魔の計画『ドラグーンプロジェクト』。

 それを阻止するため十三年前に暗躍していたのがヤングマフィア『ジェイルバード』だ。涼平はその一員だった。戦いは、四年間ほど続いた。戦争というよりゲリラ、テロ活動だったが。それに、殺しをしないのが組織絶対の掟だった。

 ジェイルバードは一時的には、亜人の権利を擁護し人間と共存する体制を確立した。しかし、ドラゴン。異形のこの生物に対しては、力が足りなかったのは否めない。ドラゴンが繁殖しかつての馬のように人間と暮らすようになると、亜人を擁護する人間たちと排除しようとする者たちとの確執が深まっていった。

 ここに政府体制側・旧首都東京と亜人と共存する新都心の戦いが勃発した。東京はドラゴンと亜人『悪鬼』による竜騎兵部隊を編成し、新都心で平和に暮らす人間と亜人とドラゴンたちに圧力を掛けてきた。今夜それがまさに決壊、東京側の挑発行為に耐えかねた新都心の亜人たちが武力行使に踏み切ったのだ。竜騎兵同士の空中戦。痛ましい現実。

 それに近づくと、涼平はつぶやく。「死すら恐れて近寄らぬもの。地獄からさえ見放されたもの。そは死の魔物……」

 竜は了承し恭しく一礼した。片翼を下ろす。

 涼平は竜の翼をよじ登り、背の鞍に乗った。身体をベルトで固定し、そして命じる。「シザーズ、飛翔!」

 

(続く)

 

後書き 新連載です。『もし世界が……』。架空ファンタジー戦記になる予定です。一連のジェイルバードシリーズと見直すと、前後矛盾や論理破綻があるのですが、なにぶん五年以上前の走り書きを元に作り始めたので、お見逃しを。