前線への帰路、兵士は鬱々と思っていた。自分はなんのために戦うのだろう? 狩猟番として暮らし、その取締りの手腕と銃の技量から狙撃兵として徴兵され、いきなり前線送り。戦うべき目的など、聞いてもいない。

 戦争の理由、大義。そんなもの、一般の民衆にはわからない。いや、そもそも存在しないのだろうな。皮肉に兵士は思う。

 政府指導者は一般の民衆には敵国の非道さを吹聴する一方で、実際に戦う一兵士にとってはいま自分が行っている任務の意味も真意も伏せられる。例え非常識に非道的に残虐に見える命令であれ、遂行しないのは厳罰だ。

 それが軍隊――人が人を殺す組織――ひたすら生産しても破壊、消耗するだけで、なんら利益のない……それが戦争……

 戦争なんて狂気の沙汰だ。戦うべき理由も聞かず徴兵され、目的地すら分からず行軍し、敵と相対すれば個人的には憎んでもいないもの同士殺し合う。死が嫌でも、殺しが嫌でも、脱走兵は味方から銃殺。行くも退くも逆らえない死。

 

 兵士は深夜、前線へ戻った。味方の誰何の声に、合い言葉を答え陣に迎え入れられる。慌ただしく撤退準備にかかっていたのが伺える。

 暗闇の中、前線指揮官の中隊長は、兵士に問うた。

「まだわたしからの進言は実行されていないようだが。大隊長はなんといわれたか。返信は受け取っていないのか」

 兵士は平静を装い、嘘を吐いた。

「それが、首都から援軍が来るそうです。それまで後七日ほど、戦線を固守せよと」

「固守だと!?」中隊長は忌々しげに吐き捨てた。「わが部隊にここで死ねというわけだな。一週間も持つものか」

「戦況はそこまで悪いのですか?」

「兵力は不利、もっとも守備側故、敵と損害は互角だが。食糧が尽きている、残弾も限られている。補給無しには戦えない。だから戦線を引き払おうとしていたのだ」

「村を焼き捨てることはできないと、大隊長は言われていました。補給も少しは続くでしょう」

「ここは村に立てこもる! あの前線へは自分で赴かない引きこもり指揮官にせいぜい働いてもらう。半減し士気も低下したわが中隊と、雁首並べるだけの飾り物大隊とでなら持ちこたえよう。村の男どもも徴収するぞ、それならしばらくは耐えられる」

「しかし、民間人を守るのが兵士の勤めでは?!」

「誰だって民間人だったさ、徴兵されるまではな」言い捨てるや、新たな命令を兵士たちに下す中隊長だった。「塹壕をさらに二陣後方に敵陣に面して掘れ。掘った土で土嚢もできるかぎり調達・制作せよ。銃剣での白兵戦をもってして、ここで敵を喰い止める! 民間人を戦場に出すわけにはいかん!」

 兵士は中隊長の心深き度量に感謝した。同時に恥じた。もう、援軍も補給も来ないという事実を告げられなかったのだから。

 

 青年兵士は覚悟を決めるや、夜の陣地を密かに脱走した。脱走兵は発覚すれば間違いなく処刑されるが、どのみち指揮官に虚偽の報告をしたから死は避けられないのだ。

 この激戦下、前線に赴く新兵の寿命は二週間と皮肉られていた。事実そうだった。それを自分は二カ月近く生き伸び、すでに古参の兵となっていた。

 狩猟番としての経験が、自分を銃の腕だけではなく目端の利く戦況の読める兵士としていたのだ。加えて。

 兵士は、すうっと息をするや、手で地面を触った。気温の推移と湿気の感触からわかる、きっとこれは明け方、周囲一帯に霧が出るな、それも深い。

 その好機を利用し、敵陣の後背に回り込む。輜重物資に放火してやれば態勢は五分となる。

 は、我ながら狂人めいている。これは『強盗の法則』だ。高価な宝飾品を店頭から奪い取ることなら、誰にでもできる。ただし捕まって縛り首になるのが避けられないから、誰もやらないという理屈だ。

 兵士は狩猟番だったから知っていた。自分にとってのささやかな狩りも、平民から見れば垂涎の的だと。肉は金持ちの食べ物だ。平民も肉を食べることはあるが少しだし、毎日とはいかない。

 内乱前、可憐な美貌で知られる王女殿下が、平民の日給の十万倍もの賭け事をひと夜に費やすのを特に好んでいたと聞く。それを打倒するが解放軍のはずだったのに。

 なんのために戦うのか。命を掛けて勝ったところで昇給は微々たるものだし、自分では戦いもしない税を貪るだけの為政者どもを喜ばすだけではないか。全国民数百万中の数百人。一万人につき一人の特権階級。

 兵士たちの命なんて、支配層にとっては外交の不始末どころか政治遊びの駒に過ぎない。こんな非道が許されて良いのか?

 兵士は天を仰いだ。念じる。雷よ、落ちよ! 空よ荒れよ大地よ揺り動けよ……。神よ。腐り切った人の世に天罰を下されよ。魔女なら魔法も掛けられたかもしれないな。虚しい怒り……

「兵隊さん?」突然の女声の問い……!

 魔女! あの書記官が付いて来たのか。

 鋭く言う。「きみは誓いを破ったね。ならば魔女は火炙りだ! 逃げのびて欲しかったのに……」

「ごめんなさい、頼みなの。敵への密書を偽造したわ。異国訛りくらいお手の物よ。敵国都市に異国軍の侵略部隊が迫っていると。偽書疑心の計、包囲を解いて撤退してくれるはず。敵の軍服を手に入れたわ。これで密書を敵指揮官に届けてくれれば……法外なお願いだけど、頼めるのは貴方だけなの」

 兵士は驚いていた。敵国の軍服を着るなんて国際法違反だ! 発覚したら、捕虜にされることもなくその場で銃殺だ。しかし、これで大勢の命が救えるなら……

 

 青年兵士は敵陣に一人後方から回り込んで入って行った。その後の兵士、ただの一兵卒の記録などどこにも残っていない。確かなのは、この戦場で敵大隊が膠着した塹壕戦の戦線を突如放棄し撤退していき、その後大局的な視点からも戦禍は全体的にまばらになり、静かに休戦へ収束していったという事実だけである。

 

(終)

 

後書き 五千文字程度の短編としては、捻りが足らない平凡な物語でした。反省……キャラに名前が無いし……意図的に激動たる箇所をはしょって想像まかせにし、その他長編と違って極力文章を削りました。