「待っていました、ダグア」ヤイバは飛竜に乗るダグアを確認すると、厳かに頷いてみせた。「あなたが竜騎兵ならば、来ると思っていました」
「そうですか。ありがとうございます、敵を分断してくれて」ダグアは着地すると、地に降り立ち、ヤイバに歩み寄ると敬礼した。
「それは、お互い様ですよ。まさか、とは思いましたがね。やはり、あなたがあのときの竜騎兵、でしたか」
「そうですね。ところで、ケインがいないじゃないですか。二人はいつも一緒なのに」
「もう、永遠に一緒にはなれませんよ」ヤイバは目を伏せた。静に、答える。
その言葉の意味に、ダグアは度を失った。全身の血の気が失せ、背中を冷たいものが流れる。「ケインさんが? あのケインが、まさか……」
ヤイバはかぶりを振った。「ナパイアイ最精鋭の重装槍兵密集方陣隊を、単身引き付けて……脱出適いませんでした」
「なぜだ? ケイン!」ダグアは叫んだ。「口癖だったじゃないか、集団戦では剣は槍に敵わないって……」
「彼は、彼らしく戦い、逝ったのです」ヤイバは空を仰いだ。「皮肉なものですよね。あのかれが眠りにつくのが、こんな晴天の日とは」
「何故ですか。最期くらい、陽光に包まれた方が……」
「強い日差しが、傷に酷くしみていたことでしょう。やはり、眠るのは闇の中でなくては」
「闇にも、意味はあると、いうのですね」
ケイン。『仕込み杖』ソード・ケインはいつも陽気だった。その刺客としての性質と裏腹に。彼は戦いに際しては、どんな暗い、汚い手段をも辞さなかった。この男は自らの心の闇を、埋め尽くすべく血を呑んできたのではなかったか。
「ケインは言っていました。俺は世の中を憎んでいた。誰かを憎まずには生きていけないから、戦い続けてきた。だが、誰にも俺のようになってほしくはないと。弱さが罪になるなら俺は罪深い人間で、俺に強さはなかったのだと。わたしに言わせれば、強さこそ罪となるのかも知れませんがね。こんな混乱の時代にあっては、戦士の仁義など廃れています。ましてや刺客のそれとなれば。彼は、この地最後の真の刺客になるかも知れません……誰かが受け継がない限りは」
「ヤイバ、あなたは受け継がないのですか?」
「人には、人それぞれの生き方が、あるものでしょう。これからわたしは、ナパイアイに密偵として乗り込んで、エストックの支配体制を内部から切り崩すつもりです」
「そうですか……」
「ええ。ナパイアイ将軍スレッジは、戦死しました。エストの補佐官であったミゼリコルドは、戦争に反対したため、任を解かれた模様です。孤立したエストを攻める、機会なのです」
ダグアは納得したが、ある点が疑問だった。それを察し、ヤイバはうなずいた。
「もう一つ。どうしても彼ら、フレイにせよエストにせよが、わたしに譲歩しなければならない理由があったのです。ケインはわたしにあるものを託されましたから。相応しい持ち主が見つかれば、譲り渡すように。わたしはダグア、あなたこそ適任と思うのです。ですから、これを受け取ってください」
ヤイバは背から、厳重に布で梱包した長いものをダグアに手渡した。恭しく、と形容するほど礼を尽くしてそれを済ませる。「ソード・ケインからの、最後の贈り物です」
ダグアはそれを受け取った。ずしりとした手応えがあった。それがなになのか、見なくともわかる。自分は、託されたのだ。聖剣、アイシクルを。
「ケインは言っていました。俺に聖剣とは、皮肉なものだ。血塗られた魔剣のほうが相応しい、とね。しかしダグア、あなたなら……聖剣の持ち主にはふさわしいでしょう。血塗られた戦いの中にあって、あなたはいつも、争いを止めさせる事を考えていた」
「かいかぶりはよしてください。僕はただ、逃げることしか、自分が助かることしか、考えていなかっただけです」
「それが、ほかの仲間を助けることにも、つながったでしょう。加えて、敵となるはずだった、より多くの命をも救った。誰にでもできることでは、ありません。臆病と卑怯とは違います。臆病なのは卑怯な事ではない」ヤイバは微笑んだ。「ダグア、あなたは優しい青年です。優しさと臆病は違う。が、時として似ている。ですが、優しさこそ強さとなりえるのです」
「僕は強くなりたいとは思いません」言いつつも、ダグアは自分に言い聞かせていた。僕は戦士ではない、と。「強さは傲慢さと狭量さ、ひいては暴力の温床となりますから」
「それは力でしょう。力が強さではありません。いいですか、群れをなす狼が子鹿を襲うのは、勇気とは呼べません。子鹿を助けるためその逃げる時間を稼ぐ、親鹿にこそ勇気があるのです。我らの進むべき道は……」
ヤイバは続けているが、ダグアはもはや聞いていなかった。聖剣! 比類無い、強大な力を秘める兵器! ケインは敢えてこれを持たず、他を助けるために命を犠牲にした。都市を救うため? 大勢の民を守るため? 違うのだ……ダグアは恐ろしい事実を悟っていた。この行為はただひとり、僕の為になのだ。僕の持つ力を『彼』と対等にするために。嵌めましたね、ヤイバ! 僕にケインの後を継がせるために!
ダグアは剣を、背に負った。小柄な自分には、不釣り合いに大きい武器だ。以前も誰かに対し、同じ思いを抱いた事があるが……人は時として、手に余る程の力を行使しなければならないときもあるのだ。
まさに、いまがそのとき。この聖剣と、レイピアの魔剣。そして飛竜の群れを、封印するのだ。ダグアは、事実を暗唱していた。この二振りの剣は、対立する。打ち合わせれば、それぞれの力を、中和してしまう。魔剣と聖剣、双方が揃わなければ、竜たちの封印はできないのだ。だから、片方だけでは無意味。レイピアの同意を得なければ。
それが容易ではないことは、わかっていたが。竜が齎しえるものは……伝説の時代の魔法文明、古代の偉大な文明を再興できる記憶。だからレイピアは封印を、拒むだろう。
それでも。ダグアは憂いていた。力を一個人が持て余すことは、いかに危険かを。だから。ダグアとレイピアの目指す目標は、違うのだ。どちらが正しいかなんて分からない。けれど、これだけは分かる。人同士が殺し合う争いなんて、もうしてはいけない。つらい戦いになってしまったけど、僕には……
ダグアは夢想した。なぜ人は死ぬのか? 人は孤独を悲しむから永遠に耐えられないのだろう。そして大地へ還り一つとなる。再生の時を待って。
神は生を与えたが。同時に死を与えることへの矛盾に答えてくれるのか。生は嘘つきで不公平で気まぐれだ。だから時として人は生を憎む。死は誠実で公平で確かだ。だから人は死を旧友とした。
かつて人は神の領域を冒した。人は決して神にはなれない、という。これは嘘だ。違う。人は神になることもできる。しかし人として死ぬのが人の道だ。僕は人として死にたい。
空を仰ぐ。日は落ちるところだ。長い夕闇が戦場を包もうとしていた。ダグアの耳飾りに、アルセイデスとナパイアイが休戦協定を結んだとの、報が入った。
(続く)
後書き 自らには扱えない、聖剣アイシクルを受け継いだダグア。自然、舞台は整った。後はかれに意志が無くとも悲劇が待つ。