がじ、がじ、がじ。…痛っ……。がじ、がじ、がじ、がじ、がじ。…痛いぞ、おい! 肩に加えられる痛みにダグアは目覚めた。巨大な蛇が首に絡み、噛み付いているようだ。体中が熱い。毒に侵されているのがわかる。ダグアは逃れようと身をよじった。すると、二本の腕に引き戻された。蛇に腕があっただろうか?
「ダグア様、動かないで下さい。今、毒を吸い出しますから」
喋っているのは、クラムだ。年下の、ほんの少女。こんな戦場には、いちゃいけない……。
「止めてくれクラム、傷が焼ける様だ!」ダグアは思わず叫んだ。
「痛みます? 麻痺が解けて感覚が戻ったのですね。もう安心ですよ」
「きみが助けてくれたのか」ダグアは状況を理解した。苦痛との共存は生きている限り不可避か。目を開ける。顔に少女の栗色の髪がまとわりついていた。
「ええ。あなたを失うと思うと怖かったわ」クラムは涙ぐんでいた。明るい茶色の目が、潤んでいる。「もう二度と、一人で死のうなんてしないで下さいね」
「毒を吸うなんて。僕なんかのために、きみの命まで危険に」
「この毒は、傷口からしか入らないわ。経口では安全なの。潰瘍でもあれば別だけど……でもダグア様のせいで、ほんとうにおなかに穴が空きそうよ」
「ありがとう。でも、ここは敵陣だ。僕はもういいから、すぐに逃げるんだ」
「ダグア様を置いては、行きませんよ」
「クラム、きみは……」
二人は見つめ会った。だが、せっかくいい雰囲気なのに、そこに間延びした声がした。冒険商人を自称する変わり者の中年、アンカスがやってきたのだ。「そこにいるのはダグアか、魔術師の娘となに抱きついている?」
そう、クラムは魔術師だった。過去の文明の知識を歌にして後世に伝える、吟遊詩人なのだ。優しく笑うクラム。「助かりましたね、ダグア様」
「うわぁ! 吸血鬼!」アンカスは、血まみれのダグアの首とクラムの口元を見て悲鳴を上げた。後ずさると円月刀を引き抜き、クラムにかざす。腰が砕けてしりもちをつきながら、アンカスは叫んだ。「この妖術師め、ダグアをどうする気だ! 悪魔と血の契約でもしようというのか?」
「いくら魔術師だって、生きている人間を食べたりはしないわ」クラムは、ぷんぷんと怒っている。
「死んでたってだめだ!」アンカスは震え上がった。
「アンカス、剣を引いて……」ダグアは笑いをこらえて、言う……。
……
「ダグア! ダグア、しっかり」
暗闇の彼方からのレイピアの声に、ダグアは気付いた。昔の夢を見ていたようだ。状況は、すぐにわかった。気絶したのか。速度と機動性に優れるシザーズが急旋回すると、体力に劣るダグアでは加速に耐えられないのだ。だが、レイピアはこのシザーズを乗りこなしている……なんという。
ダグアは、目を開けようとした。いくら力んでも、まぶたが開かない? いや、開いているのに!「レイ、目が、目が見えない!」
「一時的なものだ。しばらくすれば、見えるようになる」レイピアは冷静に言った。口調は変わっていないが、言い方は変わっていた。「脳や眼球の貧血で起こる現象だ。きみなら、理解できるはず」
「ダグア、すまなかった。謝罪する」シザーズは丁寧に言った。「つい、誰でも主と同じだという、つもりで飛んでしまった。新兵にとってああした危険な急旋回は、乗り越えられさえすれば、大きな自信に繋がるだろうと思ったのだ」
「ぼくは、乗り越えられなかった。竜騎兵の適性として、失格ですね」言いつつも、本当にダグアは自信を喪失していた。初心を忘れ、なんと自惚れていたことか! 自分だって、いつも死と紙一重だったのだ……。
「そんなことはない」レイピアは、いつもの声で明言した。咎めでも、慰めの口調でもない。「まあ身体を鍛えない限り、戦闘要員としてはわたしを超えはしないだろうが。だがわたしが必要としているのは、偵察要員としての、ダグア。他なら無い短剣。偵察要員として、最高位の通り名である、ダグアを冠するきみの手腕だ」
「僕にできることなら」ダグアは起き上がった。目は、見えてきた。
「取りあえず、今の飛行を復習する。竜騎兵は、どんなときも冷静に状況を判断していなければならない。さきほどの、最高飛行速度はどれぐらいだった?」
「約、百四十歩毎鼓動数」
「! 正解。驚きだ。これは、シザーズの水平での、最大戦闘速度だ。では、飛行時間は?」
「離陸から、旋回まではたったの、百二十鼓動数」
「正解……到達した、最高高度は?」
「竜にしては低空でしょう、三百二十歩」
「完璧だ。ならば、飛行方位や座標、移動距離の推移は、聞くまでもないな」
ダグアは、完全に答えた。レイピアは、うれしそうにうなずいた。
「航法は、教えるまでもないようだ。ならば、応用まで。ダグア、きみはロッドから譲り受けた、計算機を持っているようだが。竜に乗れば、そんなものはいらなくなる」
「なぜですか?」
「竜は戦術計算機でもあるからだ。高度と速度がわかる。敵との距離を正確に測れる。時間を正確に計れる。現在の時刻がわかる。一度通った航路を、忘れない。とくに、特殊な飛行技術を、数学的に限界なところまで行うのに有効だ」
「そうなんですか!? 全然知らなかった……」ダグアは驚いた。ブレードは能力を隠していたのか?
「もっとも、それを使いこなせる乗り手は少数派だ。空賊にはおそらく皆無だな。そして、撃墜王もまた」
「え? 撃墜王のことを、なぜご存じです」
「この前の戦いで知った。撃墜王の騎竜は、遠征偵察奇襲用。シザーズのような制空戦闘用ではない。そのため、わたしが乗るシザーズとは能力が違う。おそらく撃墜王の騎竜には、わたしの騎竜にはない能力が隠されているはず」
「そうですか」ダグアは納得した。ブレードは、空中戦に必要な計算機能が一部、無いらしい。その代わり、各地の地理地形の知識と、その記憶力は抜群だ。いま思えば敵だった空賊の竜の多くには、それが欠けているのだろう。
「さあ、きみに撃墜王を探し出してもらうぞ。わたしの部隊は、魔法の道具を持っている。それを使うのだ」
「魔法?」
「つまりは失われた文明の遺産の、機械のことだが。これを見なさい」レイピアは、自分の左耳を指差した。小さな飾り気の無い、耳飾りが付いている。「通信機だ。これで半径五千歩以内なら、離れたところにいる仲間と通話でき連携が取れる。きみにも譲るから」
「そんなものが! まだ現存していたなんて……」
「この、『耳』は古代の遺産としては、比較的多く残っていた。だが、ダグア。君の、魔法の目だって、存在していたんだからな。それは、古代の探知機だろう?」
「そのとおりです。しかし、それを機械と呼んで良いものか。僕の『目』は、肉体と一体化しているのですよ……ですから、仲間に貸したりはできないのです」
「ほう? それは興味深い。だが、どちらにせよ今の我々の技術力では、理解できるものではない、か」
「すみません、レイ」
「いや謝る筋合いのことではない。それに空賊の連中は、実は大した脅威ではないんだ」
「空賊を相手にしない、というのですか?」
「彼らには将足りえる器のものが、一人もいない。統率力を欠く、烏合の衆だ」
それはダグア自信、感じていたことだった。いつも数に任せて攻め、反撃を受けると山を崩し逃げ散る。それも狙うのは戦力の無い小さい町や村ばかりで、この前のアルセイデスような都市への襲撃はまれだ。全体の数が都市の竜騎兵の十倍あろうと、同じ空賊同士で縄張り争いをしている連中だ。統一されたレイピアの部隊の敵とはなりえないか。「ならば、空賊など問題ではないのですね」
「だが敵はいる。外に、内に。わたしは、敵として戦った竜騎兵の中でも、特に能力的人望的に優れるものを戦いの後、部下としてきた。例えばキーン、わたしの副官がそうだ。かれは土着の郷士で、無力な田舎の守り手として竜を駆っていた。暴税を強いる野心剥き出しの地方領主が村へやってきたとき、キーンは領主の竜騎兵を撃退した。
わたしはうわさを聞きつけると、激高し襲ってくる領主の竜騎兵部隊を、キーンとともに打ち負かした。いまやキーンはわたしの忠実な部下というわけだ。撃墜王相手でも、そうありたかったものだが」
ダグアは背筋に痺れるものを感じた。この前の『戦い』のとき。レイピアはその実力を出し切っていなかったのだ。レイピアは話を続けている。
「他にはスティール。彼は主に弩を使う狩人だった。しかし空賊の竜騎兵を森林に広く仕掛けた大掛かりな罠により捕らえ、一躍英雄となった。捕らえられた飛竜は、無能な乗り手を見限り彼の騎竜となった」
「有能な竜騎兵が空賊になることを防ぐどころか味方にしていたのですか」
「そうだ。民間人からの登用もあった。特異な学識、技能に秀でたものを、極秘裏に試練をさせて能力を見極め、部下としてきた。さて、時間も無いことだし。空中戦のコツを、簡単に教える。竜騎兵に、最も必要なのはなにか? わかるか」
「いいえ」
「判断力だ。戦端を開くか、退くか。これだけで勝敗の八割方は決まる。無論、それを支えるためには、勇気や冷静さが伴わなければいけないが、一言で言うと判断力となるのだ。それを培うには、知識と経験、双方がいる。ダグア、きみはこの点において相当の資質を備えているはずだ」
「買いかぶらないで、くださいよ」
「銘記してくれ。きみにそれが欠けていたら」レイピアの表情が、陰った。「空はきみだけでなく、幾万もの民衆の墓標となるだろう」
(続く)
後書き 端役の少女クラム。ダグアとは惹かれあっている様子ですが、回想場面では互いに子供過ぎましたね。続編で明らかなようにダグアが愛した女性は一人なのに、彼を慕う女性は何人も……別にハーレムストーリーではありませんが。ダグアが単なる飛行で気絶とは、らしくない初めての失態かもですね。