都市アルセイデス太守の館の、会議場の灯は消えた。今日も、軍議は長引いた様子だ。都市が空賊団に襲撃されてから、一週間。終わったのは日が暮れて二刻はたってからだ。
ダグアはある部屋で立ちすくし、じっと待っていた。室内を見回す。ふと、短剣を発見した。ダグアは見覚えがあった。思い出深い品だ。おもわず手に取る。
足音がする。ずかずかと力強く、堂々と歩く音。それで、相手がわかった。フレイだ。
扉が開いた。フレイはぎょっとしたらしい。燭台の明かりから伸びる人影に。鋭く警告する。「誰!? 侵入者は厳罰に処されるわよ」
「それは御免願いたいですね、シャムシール卿。まあ、無礼は謝りますよ」もの柔らかな声で、ダグアは言う。「僕だって、侵入なんてしたくありませんでしたよ。ですが正門ではなにを話しても警備兵が、どうしても僕を通してくれなかったもので」
「ダグア、あなたなの……来てくれたの!」フレイは部屋に踏み入り、声を漏らした。「竜の脅威にさらされてから、ずっと会いたかったのよ」
「フレイ、あなたの召集には間に合わず、すみませんでしたが。いったいどうなっているのです、この街は。僕の名を聞くと魔物でも出たかのような騒ぎで……」ダグアは、最後まで言い切れ無かった。フレイが駆け寄り、彼の体をひしと抱き締めたのだ。ばきりと音がした。背に結わえておいた石弓の太矢が折れたらしい。旧友の熱烈な歓迎に、ダグアは少し頬を染めた。ぎこちなく抱き返す。と、力が緩みダグアはようやく息がつけた。ダグアは憮然と言った。
「……その一方で僕が当のダグアだとは、だれも信用してくれないのですから」
「鬼将軍とまで呼ばれるジャック隊長の警備兵部隊を倒した刺客とは、あなたはとても見えないわよ。可愛いダグアちゃん」ダグアのむすっとした顔を見て、フレイは笑ってつけ加えた。「うそ。冗談よ。ダグア、立派になったじゃない。昔のロッドみたいよ。相変わらず、彼の石弓を使っているのね……あら? 少し改造したの、裏打ちしてあるじゃない。腕力が強くなったのね、ダグア」
「ですから、この街はどうなっているのです? 僕を襲ったあの酔漢たちが警備兵とは、笑止ですね」
「彼らはあれはあれで、あなたを守ろうとしたのよ。わたしがあなたと初めて会ったときも、そうだったでしょう?」
「カモは先に手を付けたものの獲物。そのとおりだね」ダグアは文字通り、失笑した。あのままでは、他の悪質なごろつきが、ダグアを狙ったかもしれない。警備兵は、『無力な少年』の安全を、エール一杯くらいの見返りで与えようとしたのだ。
フレイとの出会いと同じだ。フレイはごろつきに絡まれそうになっていたダグアに、短剣を投げつけたのだ。もっともその短剣をダグアはなんなく受け止め、自分の力量を示した。それが、さっき手に取った短剣だ。
「だから、そんなに怒らないで。立ち話もなんだから、客間に通すわ。みんなも呼んでね。昔みたいに、火酒で乾杯といきましょう」
フレイは自室に備え付けられている伝声菅を開き、命令した。それから二人は蝋燭にぼんやりと照らされる暗い通路を進み、客室に入った。召使いが準備を終え、退出するところだった。燭台の火はもうついているが、暖炉の火はまだあまり燃えていない。だが、少しすれば室内は明るく照らされるはずだ。テーブルには六人分のグラスと酒の瓶がある。
「フレイ、あなたも立派になりましたね。これだけの都市の主とは」ダグアは室内の、高価な調度品を見回しながら言った。勧められるまま、柔らかい長椅子に腰をおろす。フレイは隣に座った。
「すべては、シオンの力量よ。彼の築いた財産を受け継いだだけだから」
「そうですか? 僕の仕入れた情報では、あなたの実家は相当な富豪だったとか。放蕩していたため親に勘当されていたのが、都市の主人になったことで許されたとか」
「痛い話しをするわね。まあ、事実だけど。戦士になりたいというわたしの意見を、親は認めなかったのよ」
「それで贅沢が出来なくなり、誰かさんをいじめて金を巻き上げていたのですねえ」
「わたし、ドラちゃんをいじめたりしたことないわ」
「だから……その名前が出ること自体、いじめの証拠ですよ。かれは、ヴァイ。ドラグーン・ツヴァイハンダーでしょう?」
「ダグア、悪い人の影響を受けたわね。ケインの真似なんかしなくていいのよ」
ノックがした。同時に突然、扉が開いた。応答を待たない無遠慮。その無作法ものはこう言った。
「呼んだかい、フレイ」ケインが入ってきたのだ。
フレイは礼儀知らずを咎めることもなく話しかけた。「ずいぶん早かったのね、今日中には来られないと思ったわ」
「仕事が済んだからな。フレイ、君の旦那を連れて来たぞ」ケインはにやりと笑った。テーブルをはさんで二人と反対側の椅子につく。
「誰が旦那よ!」フレイは手を伸ばしケインの頭をぽかりと殴った。ケインはテーブルに突っ伏した。
「まあまあ」ダグアは身を乗り出し二人を抑えた。「というと彼ですね。狙撃騎兵ツヴァイハンダー。最近は『竜殺し』の名で通っているらしいですが」ヴァイはフレイの個人的玩具であり、フレイはヴァイの初恋の相手である。ダグアは疑問に思った。どうもこういう事情は、わからない。
「そうですね、ケイン?」ダグアの問いに答えは無かった。ケインの身体を起こして見れば、白目を剥いている。こうした光景に馴れ切っているダグアは動揺しなかった。「手癖の悪さと速さは、変わっていませんね。でもフレイ、手加減ってものを憶えたほうがいいですよ。あなたはマジで強いんだから」
「ずいぶんな言いぐさね。そのくらい承知してるわ」
「まあ、そうでしょうが。以前なら同時にケインの財布も盗っていましたからね。それに、フレイはこれも変わらない。もう、一介の流れの戦士ではないというのに。借りますよ」ダグアはグラスに火酒を注ぎ、ケインの口を開け中身を流し込んだ。
「げぼっ!」咳込むと、ケインは意識を取り戻した。ケインは瞬きすると苦労して焦点を合わせ、命を助けてくれた恩人に視線を移した。「?! 誰かと思ったら……ダグアじゃないか、来ていたのか。見違えたな。そうか。ダグア、久しいな」
「お久しぶりです、ソード・ケイン」ダグアは笑って一礼した。こうした癖のある面々との再会は、いつも一筋縄にはいかない。
「なあ、ダグア。おれなにか悪いこと言ったか? フレイは手を上げる相手を間違っている」ケインはぶつぶつと言った。「ヴァイだが、いまヤイバを迎えにやった。すぐに来るさ」
「黒衣の竜殺し。ドラグに間違いなかったのね」フレイは自分に言い聞かせるように言った。
「これで、役者が揃ったな。ダグア、いまおれ達は斥候員としてのおまえの力を求めている。事態は急を要すのだ。話しを聞いたか?」
「いいえ。まあ、だいたい分りますが。各地の空賊団の戦力を調べ上げろというのでしょう?」
「それもあるが……ではダグア、おまえは聞いていないのだな」ケインは、フレイに目配せした。
フレイはかぶりを振った。そのとき、再び扉が開いた。
部屋に黒衣の戦士が入り、直立して敬礼した。扉が閉じると、その風圧で漆黒のマントがふわりと翻る。「ツヴァイハンダー、参りました。フレイズランスに着任します、シャムシール卿フレイル閣下」
「ごくろう、ヴァイ。席につきなさい」フレイは真顔で言う。ヴァイの着席を見届けると彼女は笑いかけた。「フレイズランスではなくシオンズランスよ、いままで通り。わかった、ドラちゃん?」
「その呼び方は止めて頂きたいな。脱穀棒どの」むすっとヴァイは言った。
再び手を伸ばしかけるフレイを、ダグアは慌てて抑えた。二年ぶりの再会を、潰すわけにはいかない。と、思ったよりあっさりフレイは手を引いた。しかし、次の言葉にダグアはぞっとした。
「いいわ。ちょっと早いけど、さっそく乾杯しましょうね」フレイは一転してにこやかに言うと、ボトルを手に取り、みんなのグラスに火酒を注ぎ始めた。
「わたしも手土産を用意しました。どうぞ」ヴァイも笑みを返すと、背に負っていた荷物から錫の器を出した。蓋を開けると、冷たそうな氷菓子が入っている。甘ったるい匂いが部屋に充満した。
「気が利くわね、ヴァイ。雪山の贈り物ね。高かったでしょう?」
「取り皿とスプーンを用意しましょう。今夜は楽しくなりそうですね」
二人は、はははと笑いながら、互いの目をじっと見つめ合っている。恋人同士の楽しい団欒、と知らない人が見たら思うだろう。しかし、見ているダグアは血の気が引いていた。
「さあ、頂きましょうか飲んで飲んで」酒を勧めるフレイ。
「多めによそってあげますね。食べてください」かき氷を、ガラスの皿によそうヴァイ。
冗談ではない! ダグアは慌てた。二人は内心、火花を散らしているのだ。ヴァイは体質で、酒が一滴も飲めない。逆にフレイは大酒呑みなので、甘い食べ物が大嫌いなのだ。二年前の喧嘩別れが、まだ尾を引いているのだ。どうしよう……この二人がやり合ったら、血の地獄を見る!
「どうしたの。わたしの酒が、飲めないの?」フレイの口調が変わった。
「なにか食べてからでないと、体に毒ですから。お先にどうぞ」
「何の真似よ、冗談じゃないわ! 素直に謝れば、前の事許してあげたのに!」フレイは激発した。
ヴァイも怒鳴り返す。「それはこっちのセリフだ! 誰がおまえなんかに頭を下げるか!」
ケインはニヤリと皮肉った。「夫婦喧嘩か。微笑ましいな」
「だれが夫婦だ!」フレイとヴァイは揃って声を上げた。
ケインさんまで! 火に油とはこのこと。ダグアはもう限界だった。この三者が狭い部屋なんかで乱闘したら、非力な僕なんてぺしゃんこだ。逃げよう!
(続く)
後書き 都市要人スティ誘拐の緊急時というのに、またもほのぼの? ホームドラマになってしまった。フレイとヴァイは恋仲にあるのかどうやら。ケインは事態を達観していますが。空では無敵のダグアも陸に降りれば非力な少年ですね。