城塞都市オレアデスの、警備本部の一室。警備兵の中でも高位だとわかる、無骨な板金鎧をまとった中年の男は、いつものように部下を相手に早朝から昨夜の今日で酒を呑んでいた。
白髪混じりの頭髪と無精ひげ。赤ら顔、でっぷりとした体格。地位と身なりに対して緩んだ表情には、まるで威厳は感じられない、自堕落な男。それが、アクスの主人だった。
建物の外の、庭。そこで飛竜アクスは、窓越しに憎々しげに主人を見つめていた。あいつは、自分の立場をわかっているのか? この都市を守る、竜騎兵としての自覚は? こんなときに空賊が攻めてきたら……。
アクスの悪い予感は、的中した。報告を受けたのだろう、主人が飛び上がったのだ。
「領空侵犯……侵入者だと? 我が君主の留守中に!」主人は、熱り立っている。「すぐに迎え撃つぞ! 騎竜を用意させろ」男は、どすどすと足を踏みならし肥大した巨体をゆすり、部屋を出た。そのまま通路を進み、建物の外へ向かう。その後を取り巻きが数人、慌てて追いかける。行く手には、もちろんアクスがいる。
「隊長! ブラジオン様、武器をお忘れです」取り巻きの一人が時代物の小銃を手渡した。
「おうよ!」ブラジオンは得物を受け取った。竜に駆け寄るや、重い身体を苦心して持ち上げ、なんとか鞍に乗り込む。ブラジオンは叫んだ。「アクス、飛べ!」
「どこに?」アクスは不機嫌に返答した。
「敵竜が飛んでいる場所だ!」ブラジオンは息巻いた。
竜は冷たく聞いた。翼は、ちらとも動かさない。「それは、どの方角か?」
「とにかく、飛べばいいのだ! うすら馬鹿め」
「そのような中傷を!」竜はいらだちと憎しみに燃えた目を乗り手に向けた。こんな乗り手に忠誠を誓えるものか。それでも義務は、義務だ。翼を打ち、砂塵を巻き起こして宙に上がる。
「見えたぞ! 右上方だ、追え!」ブラジオンは吠えた。
「あれは、小鳥だ。我が食事とするつもりなら、追うが?」竜は答えた。「竜は左舷後方だ。向かうのか?」
「無論だ、回頭しろ、突っ込め!」ブラジオンは悪びれることもなかった。
アクスは諦めて、命令に従った。緊急出撃は、よくある事なのだ。戦闘になるかは、分らなかった。相手が直接都市を攻撃しない限り、手は出さない。牽制の睨み合いが続くのが普通だったからだ。だが、無能で血気ばかり勝る主人を持てば、何を望めようか?
竜はすこぶる嫌な予感がした。
ブラジオンは、落ちぶれた郷士だった。以前は巨大な富と武力を有し、暴虐の限りを尽くしていたとの噂もある。その力は、ある女騎士の力により奪われた。
だが、この男は保身と根回しには長けていた。オレアデスの権力者となった大商人に取り入り、短期間で警備兵隊長の地位を手に入れたのだ。この地位は、誘惑に屈する者なら、余禄が大きい。犯罪組織や密輸商人からの、贈賄があるからだ。
しかしブラジオンは大それた不正は行わず、また見逃しもしなかった。アクスは知っていた。主人は公明正大というより、所詮は小人物なのだ。過去の経験で、犯罪に関わることは懲りているだけだ。確かに、職務には熱心だ。しかし能力がそれに及ばない……竜はわが身の悲運を嘆くのだった。
……
「……またか。ブレード、都市から竜が一騎飛び立った。それも、かなり大きい。どうやら目標は僕ららしい」ダグアは、左後方に竜を発見すると、ぼやいた。竜は距離を取って、少しずつ間合いを詰めながらブレードと平行に飛んでいる。「飛ぶ度に厄介に巻き込まれる。なんだって言うんだろうね」
「慎重に、見つかりづらい航路を進んでいるのですが。最近は飛竜に対抗するため、各地で防空網が張られていますからね。狼煙、反射鏡、警鐘、早馬。見つかり次第、治安当局の竜が出動するのです」
「都市を守る竜は、空賊に対抗している。しかし所属不明な僕らはそれと見分けつかない、ここは戦闘を回避しなければ。僕らは味方ではなくとも敵ではない」
「でも、こちらは所属不明。相手は我らを敵と認識して掛かるでしょう」
ぱーんと響く銃声が、両者の会話を遮った。見ればオレアデスの騎竜の乗り手は、得意気に銃を手に、空の薬莢を排出し、弾丸を再装填している。
「なんだ? あの乗り手、銃を持っているぞ」ダグアは首を傾げた。敵?竜までは、まだ千歩は距離がある。
銃火器は魔法文明の遺産である。現代の技術では装填に手間が掛かり不発も良く起き、威力も射程も弓以下とおもちゃのようなものしか鋳造できない。それに対しいま放たれた銃は魔法文明の時代から伝わる年代物の逸品。一丁で戦局を一変できるシロモノだ。
威力と射程に決定的に優れる銃に対しては、剣や弓ではまるで太刀打ちできない。どのような重厚な板金鎧をまとっていても、銃の弾丸はそれを貫通してしまう。
だから魔法文明のころの歩兵戦は現代のそれとまったく違い、兵士は一切鎧を纏わなかったとする逸話さえある。それは一笑に付される馬鹿な話とされるが、ダグアは実戦向きと認識していた。
そもそも、金属の鎧そのものが肉体を束縛する手枷足枷なのだから。体力を無駄に消耗するだけだ。軽装で散って走って戦った方がはるかに優位だ。大規模な合戦でもない限り、小人数同士の戦いならば。しかし、敵は竜に乗って板金鎧に銃。こいつは滑稽な図だ。
だからダグアは苦笑した。「ブタに真珠だな」
ブレードも鼻を鳴らした。「どうします。銃といってもわたしには、大した傷にはなりませんが。身体にめりこむ弾丸の苦痛は大きいですが、致命的にはなりません。翼に当たってもたいてい口径は小さく、さほどの穴は空きませんし」
「そうだ。小銃の弾丸には三種類。鉛のような柔らかい金属の弾丸は、竜の鱗にあまり有効ではない。硬い撤甲弾は、貫通力は増すがかえって翼を引き裂く力は弱い。細かい散弾なら、翼に大打撃を与えるが、射程は至極短い。まず装備されていないだろう」
ブレードは進言した。「ですが、いずれも人体に命中すれば、被害は甚大です」
「当たりはしないよ」言うや、第二弾が発射された。それは、たっぷりブレードと百歩は離れて後方に飛び去り、落ちていった。それは明るい昼間であり、しかも曳光弾ではないので、その軌跡はダグアの{眼}でしかわからないが。「ほらね。飛行中弾丸は、逸れるから。弾道を計算しない限り至近距離でなければ、当たるものではない」
「威嚇のつもりでしょうか?」
「いや。あの乗り手、銃の照準通りに狙いをつけて撃ってきている。威嚇でなく、命中させる気だ。やれやれ。それじゃあどうやったって当たりっこないのに」
「ますます、どう対処するか迷いますね。われらが都市から十分離れれば、引き返すとは思いますが。深追いするほど愚かな竜騎兵でなければ」
「不安になってきた。あんな乗り手に都市の防衛が任されているなんて。このまま逃げるのは、乗り手の為にもオレアデスの防衛の為にも良くないようだ。これは直々に、飛行戦術を披露し乗り手の不明を明かさなければ」
「では応戦されるのですか? それは珍しい、こんな見え透いた挑発に」
(続く)
後書き 端役の警備兵隊長ブラジオン。棍棒を意味するこのオヤジはまるで無能ですが。幸運が味方して、終盤美味しい役回りをしますよ。飛竜アクスもこの後見せ場が数点あります。アクスは『竜騎兵の恋人』のトゥルースの騎竜でもありますね。