「結局、竜殺しにも会えなかったなあ。うまくいかないものだ」ハマドリュアデスを去るとき、ダグアはブレードに漏らした。例によって街の外の森の中、深夜である。
「もう少し、調べられなかったのですか?」
「いや、危なくてね。一触即発の状態だったよ。軍事力の均衡が、ひどく崩れているのが原因だ。まもなく空賊同士で内乱が起こるだろう。住民を主体とした反乱の可能性も高い。無政府状態になるかもしれない」
「誰かが、支配者の騎竜を多く仕留めたためですね」
「まったくだよ。竜殺しとやらの暗躍のおかげで、不用意な戦乱が起こる。いい迷惑だ」
「ダグア、あなたに比べれば竜殺しの仕事など、かわいいものですよ」人の事が言えるのですかと、竜は苦笑した。「で、収益の方はどうでした?」
「一枚」
「金貨……? では、ないですよね」あなたのことだから。竜は呟く。
「でも、銅貨でもないよ」ダグアは銀貨を取り出し、器用に跳ね飛ばして弄んだ。「都市での高い一泊、差し引いたしね。猪一頭の毛皮の代金としては、こんなものさ」
「ダグア、お言葉を挟みますが……」
「だって、食べ物は大抵自足できるし。なにも、不足は無い」
「たしかに、高い一泊だったようで」やれやれと息を付く、飛竜。諦めたように、ブレードは言う。「また、難民に施しをしたのですね」
「まさか。無理やり恐喝されたんだよ。剣も帯びない貧弱な僕なんかに、勝ち目はないだろう?」
「あなたが? 御冗談を! そんな暴漢倒して身の程を知らせるのが、真の慈悲というものです」
「だが更生させようにも、ハマドリュアデスの都市は腐敗し過ぎていて。警備兵に突き出したところで、無駄というものだよ。賄賂で逃げられるだけだ。それとも、死刑? そこまでしたくないね」
「そうだとしても、ただでさえ少ない収入から……まったく、わたしの相棒は」
「なにか不満かい、ブレード」
「いいえ。あなたは野心はないですが、理想は高い」ブレードは片翼を降ろした。
「それはどうかな」ダグアは翼から背に上り、騎竜鞍にまたがった。「ブレード、飛翔! 目的地は、少し遠いぞ。旧王都クリスだ。いま、座標を確認する」
ダグアは経緯儀ともなる計算機を北極星に向け観測し、時刻と方位からたちまち三角関数で座標と航路を弾き出した。計算機なしでは、一刻もかかる演算だ。
「クリス、ですか。それはまた、なぜですか」舞い上がりながら問う。
「竜の出現と関係がある。ブレード、きみは生まれた時のことを憶えているか?」
「わたしは……われわれ竜は、正確には生まれたのではありません。ただ、存在が有ったのです。そのときに。知識としては。遥か過去の人間に作り出された、とは認識しますが、実感はありません」ブレードは高度を取り、水平飛行に移った。
「伝承によれば、竜は魔術師が異界から召喚したとされているが。兵器として」
「おとぎ話、ではそうでしょうが。ダグア、あなたはどう考えますか」
ブレードは、魔法の光の文明を知っていた。飛竜はみな、覚えているのだ。だが、不用意に人間に教える事は避ける。悪用されたら困るというのも理由だが、なによりその人間を破滅させるかもしれないのが大きい。過去の魔法『科学技術』は、現在の人間には理解しがたいものだ。
もう一点は、魔女狩りだ。世界に大破壊をもたらした融合炉の惨劇以来、魔法は邪悪な知識との、偏見が広まったのだ。下手に魔法を使えば、捕まってリンチの揚げ句、火あぶりにされかねない。この世は迷信盲信の雲に閉ざされた、まさに暗黒時代だ。
昔の魔法文明は、教育の普及が非常に進んでいた。なんと民衆の過半数が、二十年に渡る教育を受けていたのだから。魔法もそのくらいなじめば何でもないことだが、いまのこの時代では駄目だ。学校に行ける子どもは金持ちだけだ。貧しい民衆では、文字を知らないのは当たり前。過去の王侯貴族すら、文盲は珍しくなかったくらいだ。
主人ダグアは例外と言える。だが、生まれは貧しかったと聞く。ダグアはなんとか文字と計算を覚えたころ、偶然千里眼を身につけた。それも魔法文明の遺産だが習得できるとは、よほどの才能があったのだ。『眼』、それは単に使い方を知っているだけでは生かせない。使いこなせるだけの度量と感受性なくては。
だが生活費を稼ぐため、賭博をしたのが運命の転機だった。魔法の目を使えば楽勝なのはよかったが、いかさまの濡れ衣を着せられ逮捕された。確かに厳密にはいかさまだが、証拠は出ないはずだ。それでも有罪とされるのが、王国のやり方なのだ。ダグアは膨大な罰金を科せられた。
結果裁判も無しに奴隷となり、奴隷鉱山に送られる。肉体的に非力なダグアは過酷な労働と待遇により、死ぬ寸前だったとか。だが、救いの手が差しのべられた。王国人事局の高官が、書記官として取り立ててくれたのだ。
解放戦争半ば、鉱山に解放軍がやってきた。ダグアを助けたのは、ソード・ケインという戦士だ。ダグアはあくどい奴隷商人を倒すのに、協力した。だが攻撃の前に、書記官にしてくれた恩人だけは逃がしたという。その名をスティレット。
こうして解放軍に入ったダグアは千里眼を生かし偵察兵となり、幼くして騎士の部隊に配属された。そこで任務をこなしながら、数学や物理学の高等教育を身につけた。それは砲兵としての必須科目だったから、たまたま学べたのだ。戦場で砲弾の雨をかい潜りながら……。
「魔法とまで呼ばれる驚異的文明の時代」ダグアは持論を述べた。「現在は魔法として伝説になっているものも、当時はありふれた文化の一端に過ぎなかった。数学・物理学・錬金術・占星術等の学問を学べば、当然の帰結として導かれる技術だったのだ。その過去の人間達の魔術師。いや『技術者』が。様々な生物の長所を合わせ、生体の一部一部を部品として用い、数々の驚くべき生命体を造り上げた。その中でも、おそらく最高傑作がドラゴンだ。空を駆ける飛竜」
「われわれは所詮、作り物、ですか」
「すまない、相棒。きみを傷付けるつもりは無かった」
「良いのです。どうせわれわれ竜に魂は無いのですから。これも、知識として知っているだけですが。知性はあっても、自我はないのです。感情はありますが、作り物。心はありません」
「人間の力では、人知を超えた知性を作り出すことはできても、心を作ることは出来ないのかも知れない。それは神だけに行えるのだろうね。計算機は、人の能力では多大な時間をかけなければ出来ない数学的問題を、一瞬で解ける。でも、機械装置に魂が宿るとは思えない。僕は、計算機の関数を組むことはできるが、それ以上はわからない」
これなのだ、「目」を使いこなす主人の力量は。迷信の闇を見通す炯眼。断片的な知識から、適切な答えを導き出せる感受性の個性。常人が身につけたところで、単なる望遠鏡にしかならないだろう、それを。
「魂のある人間は、死しても再び生まれ変われるといいます。わたしには望むべくもありませんが」
「生まれ変わり、か。本当ならいいな。迷信と捨て去るには悲しすぎる。だがブレード、きみは定命の存在ではない」
「たしかにわれわれには、寿命はありませんが。ですが、死んでいった同胞を羨むことさえ、ときにはあるのです。夢の無い眠り、闇の中で憩うことを。戦闘の道具として生きてきた道は、平坦ではありませんでしたから」
「そうか。悩みを抱えているのは、誰しも同じだな。だが、今はいい。僕が話したかったのは、旧王国建国の際についてのことだ」
「フランベルジュ王国ですね。あの建国には、多数の我ら竜と……二つの魔剣の力が関わりました」
「だが、つい先年まで竜も魔剣も、伝説の存在として葬られていた。悠久の時の流れの中に、忘れ去られようとしていた」
「理由があったのですよ。平和と安寧の時代が訪れるとすれば、われらドラゴンの存在は邪魔でしたから。われらの力が必要とされるときまで、眠りにつくこととなったのです。魔剣が相応な力と意志を持つ人物の手に渡り、再び使用されることになったときまで。
その際に、われらの取る道は全く相反する二つです。一つは王国に戦乱を巻き起こすであろうその魔剣を、われら竜とともに封印する。もう一つは。二つの魔剣が、それぞれ力ある主の手に渡った場合ですが……分断された王国を再び一つにまとめるため、魔剣の主に忠誠を誓う」
「二つの魔剣か。僕が知っているのはフランベルジュ、本名をフレイムタン(炎舌)と言う魔剣だ。その主はそれを使い、封印の魔物、ドラゴンを仕留めた」
ブレードはそれを知っている。シオンは分断された国土を再統合するため、魔剣を手にした。王国を打倒した英雄騎士の矛盾する行動。なぜか。未知の脅威に備えるためとしか思えない……。ブレードは説明する。
「その力に対抗する、もう一種類の剣があるのです。魔剣に対し聖剣と位置付けられたそれはクリスタルソード、本名アイシクル(氷柱)と呼ばれています」
「それらが王国と王都の名前になったのだな。となると」ダグアは考え込んだ。「炎の魔剣は一度は使用されたが、封印された。それなのに竜の群れは旧王国全土に広がり、戦乱を起こしている」
「氷の聖剣が、何物かの手に渡っていると考えられます。いまや炎舌も、封印されてはいません。我らは、魔剣を封印するために現れたのですよ」
「僕は可能なら、魔剣を封印する。ブレード、きみを含め竜たちには再び眠りについてもらう。二振り魔剣の封印が解かれた、とはな。以前のその魔剣の主は、命と引き換えにそれを封印したのだ。彼の献身を無駄には出来ない」
「承知しました。ですが、憶えておいて下さい。魔剣に真の所有者が現れたとき……我らはもう一つの選択をします。我らは魔剣の主に従って、新王国を築くべく戦う定めなのです。ダグア、あなたには気に入らない話しでしょうが」
「そうだな。だから、クリスへ向かうんだ。かつてフランベルジュは王宮の倉庫に保管されていたというから。もうひとつのクリスタルソードについても、何か手掛かりがあるかも知れない」
竜とその乗り手は、夜空を一直線に飛び続けた。この航路では、クリスに入る前に、オレアデスの近くを飛行する。両者はそんなことは気に留めていなかった。
(続く)
後書き 魔剣と聖剣の秘密……私の別作品で登場した設定が、すでにあったのですよね。ああ、このころは若かったなあ……