ペオはベッドの上で、暖かく柔らかく爽快に目覚めた。心地よい穏やかな夢を見ていたらしい。ここの『時代』に来て以来、満足に落ち着いて眠れる機会は少なかったからな。早朝で、ガラス戸から朝日が白く入り込んでいる。寝室は女性部屋だった。ソング、ラプター、フローラも一緒に眠っている。ケネロー婦人は自室らしい。都市領主だから無理はない。どうやらいちばん早く目覚めたな。昨夜は結局ソングすらスパークリング・ワインをしたたかに嗜んだのだから、唯一酒の入っていない自分は仕方無い。ペオはそっと起きると、一人シャワーを浴びた。昨夜は重大な取り決めをし、今日の正午に済ませることを皆は忘れていやいまいな。浴室から出ると与えられた衣服を纏う。
 各々起きて、みんな一様に気だるい雰囲気の中、着替えと朝食を済ませる。それから『仕事』に取り掛かる。ソングとラドゥルの魔力、シーカーセンサーとウェーブドライブを協調させる案は上手くいった。個人端末やケネローのモニター並びに、ここから彼方のシント総統の視覚野にもオスゲル帝国の居城、堅牢な要塞が映る算段だ。
 モニターに堂々たる砦が映った。ペオ以下ケネローに集う有志たちは固唾を飲んで成り行きを見守っていた。ソングの魔力でその内部へ壁を通り越して入り込む。
 オスゲル皇帝と思しき玉座にある豪奢な服装の優男。その前のホールで、でっぷりした初老の男とすらりとした美少年が、互いに曲刀を持ち楽曲の踊る旋律に合わせ美しくも激しい剣舞を演じている。舞といっても、テンポの速い曲に合わせた、決闘でもしているかのような素早い剣戟だ。刃が打ち合う度派手に火花が散っている。ペオは驚いていた。フーハク、それにハシ! 帝国潜入を果たしたのか? もしや皇帝を暗殺するつもりで?!
 目下最大の武力の権限を有する竜騎兵旅団長、ティルスは低く通る声でゆっくりと断言した。「聞こえるかオスゲル皇帝、勧告する。潔く降伏しろ。この状況下で国同士の勝敗どころか人類の帰趨は明らかだ。おまえだけでなく将兵に民間人の無数の命が助かる」
「ほう、伝令こそあったが、まさか本当に虚空から通信が来るとはな。おれはあいにく皇帝ではない。帝国第一将軍、雨師、ウシ公爵だ」
「は、ならば皇帝はどこだ。それにフーハク準男爵、そこでなにをしている。王国を裏切ったわけではあるまい。貴公ハガリド王に対し、『伯父上』と呼んでいたな。王族か。庶子たる我がどんな思いで生きてきたと思っている」
 ペオはぎくりとした。それをばらすとはティルスなんと愚かな、フーハクたちは命を賭して帝国に潜入して……彼の王族たるを嫉妬してのことか? 良く聞く酒の飲み過ぎの二日酔いってやつではなかろうな?
 フーハクは毅然と答えた。「魔力を手に飛竜を連れてなら、凡人よりはるかにマシだ。撃墜王騎士ティルスよ。そなたこそ変節するかも知れぬ。かつての名君ハガリドのように」
「あの狂気染みた征服欲の塊の、ハガリド王が名君だと?」
「わしは知っておる。八十近くまでは、な。不死の身にしてもいずれは寿命が来ると信じていたからだろうが。小国だったキュートを護り、戦争内政問わず自ら常に最前線で善く戦った。勇敢で公正な不死身の王として、人望は絶大だった。痩せた土地、貧しいながらも善政を敷いていた。領民に慕われていた。しかしいつまで経っても訪れ無い死の前に、永遠に老いる恐怖が狂気を産んだ。征服欲という最悪の鬼子を」フーハクは哀しんでいる。「不死なだけあり、いくら無謀な戦いでも勝ち続けられた。味方の大半が犠牲になろうと、一直線に敵将の首を取る。魔物と恐れられ、多くの弱小は戦わずして降伏した」
 ペオは訴えた。「フーハク、敵は旗幟鮮明ではないのか? あんたは王国準男爵だから」
「違うのだよ」フーハクの声は寂しげだった。「わしは帝国伯爵だ。何故ならわしはオスゲル皇帝の息子だ。故にハガリドは伯父。暴行により生まれた私生児とはいえ、母……皇帝を愛している。母国に身を捧げるは武人の本分」
「間者だったのか。あんたは好いやつだよ、敵にしたくない。ではハシ、お前まで……」
「土師侯爵だ。おれはオスゲル皇帝とウシ公爵の嫡子だよ。ペオシィン、ラドゥル。一目まみえただけだが逢えて良かった。だが、けじめはつけなくては。フーハクの異父兄は人格者だからな。おれも尊敬しているよ。伯爵の地位にさせておくのは惜しい傑物だ。まあ人が良すぎるのが欠点か」
 ペオは疑問を口にした。「ハガリドが双子であることは判明していたが。その片割れの妹とはオスゲルなのか? すると不老の身のはず、老婆ではあるまい?」
 ウシは答えた。「そう、少女……永遠の、な。不老の身を持つおれの妻だ。おれが十六のときから二人して帝国を作り上げた。息子ハシも早くも一人前になった。年上の義理息子フーハクと並びおれたちは帝国三傑とされる」
 この発言と同時に、玉座の背後からペオとさして年も変わらないであろう容貌の、露出部の多い服装の人並みの背にまだ肉付きの細い絶世の美少女が現れた……ここまでいくと顔面凶器だ。男なら狂喜するところだろうが、求めるあまり流血沙汰になりかねない刃物の鋭さの美しさだ。
 少女……オスゲル皇帝は語った。「不吉な鬼子を産んだ責で、わらわの母は後宮を追われた。ハガリドは保護されたが、わらわは追放され母ともども辺境へ。なんら欠損の無い、五体満足ではあるが。発育が遅く疾患と見なされた。二十歳というのにまだ少女期。新たな種、ひとを超えた存在……わらわは3ビットシフトだ。それとも4ビットか」
 ペオはこのセリフの意味に気付いた。戦慄する。オスゲル皇帝、彼女は……自分と同じ『技術』を持っている! 電算機論理演算……。
 オスゲルは続けた。「寿命を司る遺伝子が、二進数で三、四桁ずれている。八倍ないし十六倍だ。命なんて神の気まぐれ、不老不死すら起こりえるのさ。もっともいくら不老の身でも、いずれ精神が参ってしまう。寿命で死なずとも死因はいくらでもあるしのう。極貧の中、奴隷として束縛され地獄のような少女時代を送った。いや、いまでも身体は少女のままだが。破瓜の血を流した十四歳のときから魔力は発動し、老いることはない。男といえば、みんなわらわの身体目当て。無力な当時、凌辱されるしかなかった。しかし成長するにつけ、わらわはこの美貌をもちうる術を知った。富も武力も権力も思いのままだ。そなたらに選択肢をやろう、どちらも悪くない二つだ。わらわの配下の将となり、貴族の爵位を賜るか。あるいは軍を預かる責任を捨てて、恩賞だけ受けて士官待遇となるか。選べ」
 ペオはこの皇帝の美しくも儚げな魅力に、多くの男が手玉に取られたのだな、とつくづく感じていた。肉体年齢は自分とさして変わらないだろうに。
 ラドゥルは即答で吐き捨てた。「どちらもごめんだ。誰が犬になんかなれる! 僕は自由人だ。シント軍属でもない。こんな茶番……年寄りと子供を巡っての殺し合いなど馬鹿らしいじゃないか?!」
 ペオは驚いていた。天然自然体の見習うべき好青年ラドゥルでも怒ることあるのだな。
 次いでティルスも断言した。「帝国将軍どころか王国騎士、共和国士官の地位すら不要! 我は一戦士として貴様らと戦う! 貴様らが降伏するまでは」
 ソングも語り掛けようとしていたが、ラプターが引きとめた。二人でなにかひそひそ囁いている。策があるのかな、この従軍心理医師。皇帝は凶悪な鋒目豺声の予想とはかけ離れていた。カリスマアイドルか。事態が盤根錯節としてきたな。これでは策がないと抜本塞源に解決できないか。自然な帰結としては、どうやら帝国が極端に多く隕鉄鉱を手に入れたのだな。デーモンの脅威を前に強気でいられる理由だ。しかし隕鉄鉱を使うには『精霊』ナノマシンで活性化する必要がある。それがオスゲルにもあるのか……やっかいだな。
 ……当たり前のようだがオスゲルとの交信は、長引いたもののなんら進展することなく、物別れに終わった。