キュート王国ケネロー自治領府は戦乱の間隙を縫い、正式に独立都市国家であることを表明した。これにより、王国帝国その他豪族から武力で抑えつけられ虐げられてきた地方の町や村も、自由への希望を与えられた。これは平時であれば、祝福すべきことだろう。しかし世界全体が圧倒的な怪物、魔物、デーモンの攻撃に晒された五日後のこととはいささか問題がある。独立を反乱と見なす鎮圧戦力が割けられない絶好の機会ではあるが。
ケネロー駐留中のシント士官ソングはその問題をいらいらと考えていた。世の中、つくづく分かり合えないものだ! まあ自分を馬鹿でないとは思わない、そこまで思い上がりはしないが、しかし民衆から税金泥棒と馬鹿扱いされる当の現場責任者の身にもなれ! シント国防予算の三分の一を使っただと!?
無人誘導ミサイルランスにしろと自分は言ったのに……。技術立国シント共和国の栄えある孤高たる理想誇り誉れ高き重複形象エンジニア連中ときたら、一度やるといったら歯止めが効かない。まさか光の文明の伝説に聞く、『巨大人間型戦闘用マシン』なんて……
辞令も無いのにデーモンが現れた夜から勝手にデザインを突貫作業し不眠不休三日二晩で設計し、そのまま強引に工場へ回し生産開始、既存の戦闘機戦車部品を寄せ集めて即席にでっちあげる算段とは。開いた口が塞がらない。
頼まれてもいない命懸けの任務を遂行し、四日ぶりのベッドで十三時間睡眠プラス、ケネローへの特別便機内の風呂の湯船でうたた寝半時間から生還した『英雄』、主任メカニックは朗々と説明していた。「ジェットミサイルでは航続時間が短いですし、目標に衝突したとき一撃で倒せなければいくらV/STOL機でもろくに動けなくなり使えなくなります。それに比べたらこのマシンはまさに魔人です。人間より十倍背が高く、千倍重いですけど」
ソングはモニター越しに威風堂々とそびえる鉄の巨人を見上げ、嘆息していた。もし戦果を挙げられなかったら……この技官どうしてくれよう。人並みの背丈のやせぎすな三十歳くらいの男。「貴官、個人識別コードは?」
主任メカニックはさらりと答えた。「AQBJ21。私には名前があります。リティン上等技術軍曹と申します」
ソングは思わず技官の顔を覗き込んだ。顔立ちの素は平凡だ。しかし決定的に眼差し優しい純真な瞳が、思わず魅かれてしまいそうな絶世の輝きを放っている。リティンか……戦史のどこかに重大な記録があったような名だが、思い出せない。おそらくたいへんな名家なのだろうな。とりあえず問う。「この機体のスペックだが……」
「仮称、フリーダム・ナックルファイターと命名しました。ブーストパンチする両拳が隕鉄鉱製です。隕鉄鉱がもっと手に入ったら、両足と両肘、両膝、両肩、額にも装着したいですね。理想を言えば装甲がすべて隕鉄鉱なら文句ないのですが。機体のスペアパーツは複数準備する前提です」
ソングはスペックに、起動動力トルクやドライブ出力、その他力学的な数値データ用語が出なかったことにほっとしていた。「ふむ、素手で戦うのか。確かに金属の機械が金属の武器を持つというのもおかしな話だからな」
「追加武装の案もあります。剣です。名付けてフリーズ・フォトン・ソード」リティンは得意気だった。「文字通り、光子を凍らせて剣にしたものです。デーモンは太陽光に弱いらしいから、効果は高いかと」
「光が凍る? そんな馬鹿な!」ソングは混乱していた。話が噛み合わない!
「時空間伝導媒体エーテルに光子を取り込んでから零下三万度の冷気で凍らせたものです」
「エーテルとは存在が否定された物理物質ではないか! それに絶対零度はマイナス273度のはずだ。それとも単位が摂氏と違うのか?」
「虚の熱量なのです。科学は如実に進歩します」
ソングは疑問に思っていた……私は夢を見ているのではあるまいな? ロボットはもちろん、デーモンも戦争も軍隊もみんな夢で、起きてみたら少女時代の暖かい春の陽だまりの安らぎの中で目覚めて……
「ときどき、夢と現実の区別がつかなくなりますよ」リティンは独白していた。「これは夢ではないから立ち向かいなさいと、夢の中で叱られるのです。眠っていても仕事している」
「ふむ、貴官は勤勉だな」ソングは技官を認め、好感を抱いていた。後はこのナックルファイターとやらが無事に働いてくれれば良いのだが。「いつから始動できる?」
「動力系統は問題ありません、いまでも動かせます。ただ管制ソフトウェアが出来上がっていないので、基本的というか稚拙な動作しかいまはできません」
「動作制御をするのだろう、それならペオシィン一尉なら瞬時に組み立ててくれそうだな」
「それは頼もしい。ついでに電子機器系統にタキオン粒子探知機と先進波センサーも加われば万全なのですが」
「はあ?」我ながら間延びした声を出してしまったソングだった。
「ならば理論上、未来予測ができ無敵となること疑いありません。私の能力ではそこまで達しえないのが誠に残念です」かぶりを振るリティン技官。
……こいつとんだサイコ野郎だな、とソングは認識した。まさになんとかと天才は紙一重だ。心理医師であるラプター一佐はこれを知りつつ独走を見逃していたのか……国防費三分の一、賭けるとは大博打だったな。シントクレジットは、数値上の通貨だ。政府銀行から発行される貨幣の額と、国民の労働力とが掛け算されて、利益や損益、物価の上下、給料の上下となって跳ね返ってくる。労働力が問題だ。貨幣の発行高を単に上げるだけでは、無論インフレを招くだけだ。給料は上がるが物価も上がるのだから意味は無い。否、最悪物価は上がるのに給与は上がらず、生活に貧窮していくことすら起こり得る。
このジレンマは資本主義国家永遠の命題であろう。かつてこの国は一時期デフレ経済で、国民は貧困の直中にあったが貨幣の価値は高かったので、国際的競争力を維持できた。
リティンは吹いていた。「ナックルファイターの前にはデーモンなどまな板の上の鯉です。大前提、金魚や鯉は大きい水槽で飼うほど大きくなる。小前提、海は果てしなく大きい。結論、オタマジャクシでも海で育てばクジラ並の大きさとなる」
「論点がずれている」指摘するソング。「オタマジャクシは淡水でしか育たないからな」
「論点がずれていますよ」
ソングとリティンは笑い合った。ここで通信が入った。ラプター一佐からだ。「私はケネローに着いたよ。ソング、貴官は……ふむ、リティン上等軍曹と一緒か、ならばちょうど良い。少し早いが、夕食を一緒にどうだ? フローラとレパード、それにティルスとラドゥルとペオシィンを誘っては。ケネロー婦人に招かれている」
これは無論、断れない誘いだな。こうして高級居酒屋の一つのテーブルに九人は揃った。
ラプターが切り出した。「技官リティンの三尉への昇進を祝って、乾杯しよう。各自飲み物を決めてくれ」
リティンは驚いている。「三階級も私が特進でありますか?!」
「ミルクティー」と、フローラ。
「コーク」と、レパード。
「カルアミルクを」ラプターは頼んだ。
ソングは驚いていた。「お酒を飲まれるのですか? ミルクコーヒーかと思いました」
「これはコーヒーのリキュールなのだ、私の嗜好に合うのだよ。フローラのミルクティーをブランデー割にしないか? レパードはコークハイ。ソングはどうする?」
「私は未成年ですし……シントで禁じられている薬物は……」
ラドゥルは口を挟んだ。「ここは国外、法の圏外だ。僕はドライジン・マティーニを頼む」
ペオシィンは続いて頼んだ。「俺はアルコールフリーのストレート・ウォッカを」
ソングは慌てていた。「子供が酒なんていけません!」
ケネロー婦人はクスクスと笑った。「アルコールの無いウォッカと言えば、真水のことですよ。面白い女の子ですわね、わたくしは赤ワインを。騎士ティルス殿にはビールはいかがでしょうか。主賓リティン技官にはスパークリング・ワイン、ソングもいかがです?」
こうしてグラスが運ばれ、記念すべき晩餐が始まった。モニターにはシントからの映像……フリーダム・ナックルファイターが、夕焼け空に向かって純白の太陽光を胸元から放っていた。次の新月まで後二十日以上ある。間に合うか? 激動の日々が続くだろう。
ケネロー駐留中のシント士官ソングはその問題をいらいらと考えていた。世の中、つくづく分かり合えないものだ! まあ自分を馬鹿でないとは思わない、そこまで思い上がりはしないが、しかし民衆から税金泥棒と馬鹿扱いされる当の現場責任者の身にもなれ! シント国防予算の三分の一を使っただと!?
無人誘導ミサイルランスにしろと自分は言ったのに……。技術立国シント共和国の栄えある孤高たる理想誇り誉れ高き重複形象エンジニア連中ときたら、一度やるといったら歯止めが効かない。まさか光の文明の伝説に聞く、『巨大人間型戦闘用マシン』なんて……
辞令も無いのにデーモンが現れた夜から勝手にデザインを突貫作業し不眠不休三日二晩で設計し、そのまま強引に工場へ回し生産開始、既存の戦闘機戦車部品を寄せ集めて即席にでっちあげる算段とは。開いた口が塞がらない。
頼まれてもいない命懸けの任務を遂行し、四日ぶりのベッドで十三時間睡眠プラス、ケネローへの特別便機内の風呂の湯船でうたた寝半時間から生還した『英雄』、主任メカニックは朗々と説明していた。「ジェットミサイルでは航続時間が短いですし、目標に衝突したとき一撃で倒せなければいくらV/STOL機でもろくに動けなくなり使えなくなります。それに比べたらこのマシンはまさに魔人です。人間より十倍背が高く、千倍重いですけど」
ソングはモニター越しに威風堂々とそびえる鉄の巨人を見上げ、嘆息していた。もし戦果を挙げられなかったら……この技官どうしてくれよう。人並みの背丈のやせぎすな三十歳くらいの男。「貴官、個人識別コードは?」
主任メカニックはさらりと答えた。「AQBJ21。私には名前があります。リティン上等技術軍曹と申します」
ソングは思わず技官の顔を覗き込んだ。顔立ちの素は平凡だ。しかし決定的に眼差し優しい純真な瞳が、思わず魅かれてしまいそうな絶世の輝きを放っている。リティンか……戦史のどこかに重大な記録があったような名だが、思い出せない。おそらくたいへんな名家なのだろうな。とりあえず問う。「この機体のスペックだが……」
「仮称、フリーダム・ナックルファイターと命名しました。ブーストパンチする両拳が隕鉄鉱製です。隕鉄鉱がもっと手に入ったら、両足と両肘、両膝、両肩、額にも装着したいですね。理想を言えば装甲がすべて隕鉄鉱なら文句ないのですが。機体のスペアパーツは複数準備する前提です」
ソングはスペックに、起動動力トルクやドライブ出力、その他力学的な数値データ用語が出なかったことにほっとしていた。「ふむ、素手で戦うのか。確かに金属の機械が金属の武器を持つというのもおかしな話だからな」
「追加武装の案もあります。剣です。名付けてフリーズ・フォトン・ソード」リティンは得意気だった。「文字通り、光子を凍らせて剣にしたものです。デーモンは太陽光に弱いらしいから、効果は高いかと」
「光が凍る? そんな馬鹿な!」ソングは混乱していた。話が噛み合わない!
「時空間伝導媒体エーテルに光子を取り込んでから零下三万度の冷気で凍らせたものです」
「エーテルとは存在が否定された物理物質ではないか! それに絶対零度はマイナス273度のはずだ。それとも単位が摂氏と違うのか?」
「虚の熱量なのです。科学は如実に進歩します」
ソングは疑問に思っていた……私は夢を見ているのではあるまいな? ロボットはもちろん、デーモンも戦争も軍隊もみんな夢で、起きてみたら少女時代の暖かい春の陽だまりの安らぎの中で目覚めて……
「ときどき、夢と現実の区別がつかなくなりますよ」リティンは独白していた。「これは夢ではないから立ち向かいなさいと、夢の中で叱られるのです。眠っていても仕事している」
「ふむ、貴官は勤勉だな」ソングは技官を認め、好感を抱いていた。後はこのナックルファイターとやらが無事に働いてくれれば良いのだが。「いつから始動できる?」
「動力系統は問題ありません、いまでも動かせます。ただ管制ソフトウェアが出来上がっていないので、基本的というか稚拙な動作しかいまはできません」
「動作制御をするのだろう、それならペオシィン一尉なら瞬時に組み立ててくれそうだな」
「それは頼もしい。ついでに電子機器系統にタキオン粒子探知機と先進波センサーも加われば万全なのですが」
「はあ?」我ながら間延びした声を出してしまったソングだった。
「ならば理論上、未来予測ができ無敵となること疑いありません。私の能力ではそこまで達しえないのが誠に残念です」かぶりを振るリティン技官。
……こいつとんだサイコ野郎だな、とソングは認識した。まさになんとかと天才は紙一重だ。心理医師であるラプター一佐はこれを知りつつ独走を見逃していたのか……国防費三分の一、賭けるとは大博打だったな。シントクレジットは、数値上の通貨だ。政府銀行から発行される貨幣の額と、国民の労働力とが掛け算されて、利益や損益、物価の上下、給料の上下となって跳ね返ってくる。労働力が問題だ。貨幣の発行高を単に上げるだけでは、無論インフレを招くだけだ。給料は上がるが物価も上がるのだから意味は無い。否、最悪物価は上がるのに給与は上がらず、生活に貧窮していくことすら起こり得る。
このジレンマは資本主義国家永遠の命題であろう。かつてこの国は一時期デフレ経済で、国民は貧困の直中にあったが貨幣の価値は高かったので、国際的競争力を維持できた。
リティンは吹いていた。「ナックルファイターの前にはデーモンなどまな板の上の鯉です。大前提、金魚や鯉は大きい水槽で飼うほど大きくなる。小前提、海は果てしなく大きい。結論、オタマジャクシでも海で育てばクジラ並の大きさとなる」
「論点がずれている」指摘するソング。「オタマジャクシは淡水でしか育たないからな」
「論点がずれていますよ」
ソングとリティンは笑い合った。ここで通信が入った。ラプター一佐からだ。「私はケネローに着いたよ。ソング、貴官は……ふむ、リティン上等軍曹と一緒か、ならばちょうど良い。少し早いが、夕食を一緒にどうだ? フローラとレパード、それにティルスとラドゥルとペオシィンを誘っては。ケネロー婦人に招かれている」
これは無論、断れない誘いだな。こうして高級居酒屋の一つのテーブルに九人は揃った。
ラプターが切り出した。「技官リティンの三尉への昇進を祝って、乾杯しよう。各自飲み物を決めてくれ」
リティンは驚いている。「三階級も私が特進でありますか?!」
「ミルクティー」と、フローラ。
「コーク」と、レパード。
「カルアミルクを」ラプターは頼んだ。
ソングは驚いていた。「お酒を飲まれるのですか? ミルクコーヒーかと思いました」
「これはコーヒーのリキュールなのだ、私の嗜好に合うのだよ。フローラのミルクティーをブランデー割にしないか? レパードはコークハイ。ソングはどうする?」
「私は未成年ですし……シントで禁じられている薬物は……」
ラドゥルは口を挟んだ。「ここは国外、法の圏外だ。僕はドライジン・マティーニを頼む」
ペオシィンは続いて頼んだ。「俺はアルコールフリーのストレート・ウォッカを」
ソングは慌てていた。「子供が酒なんていけません!」
ケネロー婦人はクスクスと笑った。「アルコールの無いウォッカと言えば、真水のことですよ。面白い女の子ですわね、わたくしは赤ワインを。騎士ティルス殿にはビールはいかがでしょうか。主賓リティン技官にはスパークリング・ワイン、ソングもいかがです?」
こうしてグラスが運ばれ、記念すべき晩餐が始まった。モニターにはシントからの映像……フリーダム・ナックルファイターが、夕焼け空に向かって純白の太陽光を胸元から放っていた。次の新月まで後二十日以上ある。間に合うか? 激動の日々が続くだろう。