……ケネローの賭場を出るなり、ペオはフーハクに恐ろしい剣幕で噛みついた。「なにがエサの食い逃げを見せてやる、だ。エサになったのはあんただろ、おっさん!」
フーハクは全然応えていない。軽く言ってのける。「は、エサになったって、たかだかミミズの二、三匹」
「二十二、三匹じゃなかったっけ? それにエサはミミズどころか伊勢海老だったじゃないか。まさか負けるとわかっている勝負で金貨を軽く賭けるだなんて。金持ちなんだな、フーハク」
「わしは仮にも貴族のはしくれだ。財力は馬鹿にできんよ」
「貴族はもっと国のために尽くすべきではないか、この戦時下に賭博なんかに散財して、不謹慎な」
ラドゥルも同意した。「このケネローはともかく、王国都市の路地裏には喰えない貧民が溢れているしね。僕も立ち寄る先ではいささか多めに支払いをしてきたよ。偽善かな」
フーハクは引用した。「民衆が自由に娯楽に興じ、息抜きできない社会など、全体主義だ。散財したその金は国営賭博場の懐、一部は国庫に収まる理屈。貧民保護となる」
「どうせ無駄な公共事業……否、王侯貴族の私的遊戯に消えるだけさ。乞食に与えるなら銅貨一枚もしない一切れのパンだ。銅貨一枚あれば余裕で一斤買えるな、成長期の少年だって満腹できる。金貨一枚あれば二百人分の食費だ」いらいらと説教するペオだった。なんの目的があってケネロー婦人がこの道楽男を紹介したのかわからない。ここで、この場の三人に近寄る者がいた。
「無礼だ、小娘、その男無敵だぞ、天下無双の豪傑だ」割って入る甲高い声……一見十五、六の線の細い長身の美少女に見えたが、黒い皮革の上下の服装に靴に、喉仏からして人並みの背の男だ。左腰に刀を帯びている。フーハクに歩み寄る。
「おう、ハシか」親しげに声を返すフーハクだった。しかし!?
ハシと呼ばれた少年は驚くべく俊敏な抜刀術で、瞬時にフーハクを逆袈裟に斬り上げていた。フーハクは軽く身体を左に傾けるだけで刃をかわしていた。次いで右回し蹴りで少年の腕を狙う。少年もまた手慣れた動きで、くるりと足を避け構え直す。
フーハクは快活に笑った。火酒の小瓶を煽る。「腕を上げたな」
「異父兄さまには、とてもまだまだ敵わないよ」一礼し、曲刀を鞘に戻す少年だった。
ペオは驚いていた。このオヤジの父違いの弟か……ま、それはおいて互いにすごい腕だな。『風伯』に『土師』とは神がかりだ。
「あ、お嬢ちゃんお坊ちゃん。わしとハシはこれから帝国に乗り込むよ。しばし調査が必要だからな。きみらも武運期待するぞ」ほんの二刻ほどの交友だったが、あっさりとフーハクはハシを連れて去って行ってしまった。
ペオとラドゥルも互いの騎竜に乗って、ケネローを後にした。またこの大空へ羽ばたく……? フーハクとハシ、なにかおかしいな、異父兄弟って、三十五歳以上開きがあるぞ! 母親何歳? ありえない……はっと気付く。不死たるハガリド王の双子の妹、不老の女性か、まさか。訊ねておくべきだったか。
いつの間にか夕暮れが迫っていた。暗闇になってしまえば、闇目の効く飛竜はともかくそうはいかない乗り手はお荷物だな。そういえば、シントの技術なら暗視スコープくらい作れるはず。これは発案してもいいな、実用新案がこの時代生きているなら。
ともあれ帝国方面の辺境へ飛び戦線復帰する二騎だった。ペオは高度を取りたかったが、ラドゥルが高く飛びたくないと否定し、比較的低空から敵を探していた。眼下は水と緑の層少ない、砂塵吹き抜ける乾いた荒野が続くだけだ。
上空と背後に気を配りつつ、飛行する。いいかげん精神的に疲れてきた。日は沈みつつある。これ以上侵攻するのは危険ではないか? ペオは離脱と帰還を考え始めていた。
「ペオ! あれを」敵のジャマーで雑音混じるアナログ設定の通信機で警告するラドゥル。「どうやらシント竜騎兵一騎が、四騎の帝国竜騎兵と戦っている。とんだ度胸だな」
「マイ・レディ」シザーズは教えた。「おそらく味方はあの騎士のブレードです。機動性に決定的に優れるのは良いですが、反面速度にやや劣るために逃げられないから闘い続けるしかないのでしょう」
「一対四で良く戦えるものだ、さすがティルスにブレードだな、よし援護するぞ……って、ラドゥル!?」
ラドゥルの騎竜ハーケンは、超高速で一直線に、背後低空の死角から敵竜に突っ込んでいった。一瞬のうちに鉤爪で抑えつけ、牙で敵竜の首筋を食い千切る。敵竜はどっと大出血し痙攣しながら墜ちていった。
この奇襲に怖気づいたのか、残る三騎の敵竜は脆くも反転してばらばらに全力で散って逃げて行った。分散して追うのは無論危険過ぎできない。ペオはもっとも遅い一騎を追尾し、なんなく緩い巴戦の後シザーズの炎で丸焼きにできた。戦闘は終わった。
シザーズが驚愕した声で語る。「ハーケンとは、奇襲と白兵戦が強力な飛竜ですね……ひとたび組みつかれたら、このわたしも敵いません。しかし機動性が極端に鈍い。ハサミを交える、巴戦ならわたしが勝ちます」
「救援感謝するが、そんなことよりも」ティルスがいつになく声を荒げる。「あの敵、ラドゥルに気付いていなかったぞ! 背後から不意打ちするなど卑怯な!」
「奇襲を用い背後から仕留める」シザーズは淡々と答えていた。「これが空中戦の本来の在り方です」
「どこに名誉が!?」怒鳴るティルス。
「名誉?」意外そうに嗤うシザーズ。「兵士に美徳などありませんよ。貴方が戦いに殺しを美化されたいのならば、話は別ですが」
ティルスの騎竜、ブレードは断言していた。「敵に襲われたら正対して応戦せよ、これが空中戦の古来より不変の基本ですよ」
シザーズはシニカルな声で反論した。「並の竜ならば、そうでしょう。最大速度に優れるわたしはそんな愚策を取る理由は無い。敵に発見されたら、逃げること。進退の主導権を握れるのだから、戦うか、退くかを選択できる。決定的な強みです」
ティルスは主張する。「もっともひとたび互いに互いを発見してしまっては、ものを言うのは機動性。ブレードの絶対的機動性、軽快な旋回能力に旋回半径の小ささが真価を発揮する」
シザーズはくつくつ笑った。「速度は機動性も補ってくれます。旋回半径が大きくても、旋回速度さえ早ければ敵の背後を取れる」
ペオは不機嫌に提案した。「理屈はいい。そろそろ引き揚げないか、腹が減って仕方無い」
ティルスは答えた。「シントまで戻るには遠いな、時間が掛かる。今夜は狩りをして野宿しないか?」
ラドゥルは指摘した。「駄目だよ、西の空をごらん? 明らかに雨雲が迫っている。いままで僕らは幸運にも大した雨に降られなかったけど、今夜は土砂降りになるよきっと」
はっと気付くペオだった。「するとジャマーの効果も洗い流されるな、おそらく。ならば翌日は総当たり戦だ。いまはケネローに入れて貰わないか? ここからならブレードでも一刻でつく」
雨粒がポツン、とペオのほおを打った。ラドゥルは深くフードをかぶった。
ティルスは賛成した。「あの保養地か。了解だ、ここは本降りになる前に、急ごう!」
フーハクは全然応えていない。軽く言ってのける。「は、エサになったって、たかだかミミズの二、三匹」
「二十二、三匹じゃなかったっけ? それにエサはミミズどころか伊勢海老だったじゃないか。まさか負けるとわかっている勝負で金貨を軽く賭けるだなんて。金持ちなんだな、フーハク」
「わしは仮にも貴族のはしくれだ。財力は馬鹿にできんよ」
「貴族はもっと国のために尽くすべきではないか、この戦時下に賭博なんかに散財して、不謹慎な」
ラドゥルも同意した。「このケネローはともかく、王国都市の路地裏には喰えない貧民が溢れているしね。僕も立ち寄る先ではいささか多めに支払いをしてきたよ。偽善かな」
フーハクは引用した。「民衆が自由に娯楽に興じ、息抜きできない社会など、全体主義だ。散財したその金は国営賭博場の懐、一部は国庫に収まる理屈。貧民保護となる」
「どうせ無駄な公共事業……否、王侯貴族の私的遊戯に消えるだけさ。乞食に与えるなら銅貨一枚もしない一切れのパンだ。銅貨一枚あれば余裕で一斤買えるな、成長期の少年だって満腹できる。金貨一枚あれば二百人分の食費だ」いらいらと説教するペオだった。なんの目的があってケネロー婦人がこの道楽男を紹介したのかわからない。ここで、この場の三人に近寄る者がいた。
「無礼だ、小娘、その男無敵だぞ、天下無双の豪傑だ」割って入る甲高い声……一見十五、六の線の細い長身の美少女に見えたが、黒い皮革の上下の服装に靴に、喉仏からして人並みの背の男だ。左腰に刀を帯びている。フーハクに歩み寄る。
「おう、ハシか」親しげに声を返すフーハクだった。しかし!?
ハシと呼ばれた少年は驚くべく俊敏な抜刀術で、瞬時にフーハクを逆袈裟に斬り上げていた。フーハクは軽く身体を左に傾けるだけで刃をかわしていた。次いで右回し蹴りで少年の腕を狙う。少年もまた手慣れた動きで、くるりと足を避け構え直す。
フーハクは快活に笑った。火酒の小瓶を煽る。「腕を上げたな」
「異父兄さまには、とてもまだまだ敵わないよ」一礼し、曲刀を鞘に戻す少年だった。
ペオは驚いていた。このオヤジの父違いの弟か……ま、それはおいて互いにすごい腕だな。『風伯』に『土師』とは神がかりだ。
「あ、お嬢ちゃんお坊ちゃん。わしとハシはこれから帝国に乗り込むよ。しばし調査が必要だからな。きみらも武運期待するぞ」ほんの二刻ほどの交友だったが、あっさりとフーハクはハシを連れて去って行ってしまった。
ペオとラドゥルも互いの騎竜に乗って、ケネローを後にした。またこの大空へ羽ばたく……? フーハクとハシ、なにかおかしいな、異父兄弟って、三十五歳以上開きがあるぞ! 母親何歳? ありえない……はっと気付く。不死たるハガリド王の双子の妹、不老の女性か、まさか。訊ねておくべきだったか。
いつの間にか夕暮れが迫っていた。暗闇になってしまえば、闇目の効く飛竜はともかくそうはいかない乗り手はお荷物だな。そういえば、シントの技術なら暗視スコープくらい作れるはず。これは発案してもいいな、実用新案がこの時代生きているなら。
ともあれ帝国方面の辺境へ飛び戦線復帰する二騎だった。ペオは高度を取りたかったが、ラドゥルが高く飛びたくないと否定し、比較的低空から敵を探していた。眼下は水と緑の層少ない、砂塵吹き抜ける乾いた荒野が続くだけだ。
上空と背後に気を配りつつ、飛行する。いいかげん精神的に疲れてきた。日は沈みつつある。これ以上侵攻するのは危険ではないか? ペオは離脱と帰還を考え始めていた。
「ペオ! あれを」敵のジャマーで雑音混じるアナログ設定の通信機で警告するラドゥル。「どうやらシント竜騎兵一騎が、四騎の帝国竜騎兵と戦っている。とんだ度胸だな」
「マイ・レディ」シザーズは教えた。「おそらく味方はあの騎士のブレードです。機動性に決定的に優れるのは良いですが、反面速度にやや劣るために逃げられないから闘い続けるしかないのでしょう」
「一対四で良く戦えるものだ、さすがティルスにブレードだな、よし援護するぞ……って、ラドゥル!?」
ラドゥルの騎竜ハーケンは、超高速で一直線に、背後低空の死角から敵竜に突っ込んでいった。一瞬のうちに鉤爪で抑えつけ、牙で敵竜の首筋を食い千切る。敵竜はどっと大出血し痙攣しながら墜ちていった。
この奇襲に怖気づいたのか、残る三騎の敵竜は脆くも反転してばらばらに全力で散って逃げて行った。分散して追うのは無論危険過ぎできない。ペオはもっとも遅い一騎を追尾し、なんなく緩い巴戦の後シザーズの炎で丸焼きにできた。戦闘は終わった。
シザーズが驚愕した声で語る。「ハーケンとは、奇襲と白兵戦が強力な飛竜ですね……ひとたび組みつかれたら、このわたしも敵いません。しかし機動性が極端に鈍い。ハサミを交える、巴戦ならわたしが勝ちます」
「救援感謝するが、そんなことよりも」ティルスがいつになく声を荒げる。「あの敵、ラドゥルに気付いていなかったぞ! 背後から不意打ちするなど卑怯な!」
「奇襲を用い背後から仕留める」シザーズは淡々と答えていた。「これが空中戦の本来の在り方です」
「どこに名誉が!?」怒鳴るティルス。
「名誉?」意外そうに嗤うシザーズ。「兵士に美徳などありませんよ。貴方が戦いに殺しを美化されたいのならば、話は別ですが」
ティルスの騎竜、ブレードは断言していた。「敵に襲われたら正対して応戦せよ、これが空中戦の古来より不変の基本ですよ」
シザーズはシニカルな声で反論した。「並の竜ならば、そうでしょう。最大速度に優れるわたしはそんな愚策を取る理由は無い。敵に発見されたら、逃げること。進退の主導権を握れるのだから、戦うか、退くかを選択できる。決定的な強みです」
ティルスは主張する。「もっともひとたび互いに互いを発見してしまっては、ものを言うのは機動性。ブレードの絶対的機動性、軽快な旋回能力に旋回半径の小ささが真価を発揮する」
シザーズはくつくつ笑った。「速度は機動性も補ってくれます。旋回半径が大きくても、旋回速度さえ早ければ敵の背後を取れる」
ペオは不機嫌に提案した。「理屈はいい。そろそろ引き揚げないか、腹が減って仕方無い」
ティルスは答えた。「シントまで戻るには遠いな、時間が掛かる。今夜は狩りをして野宿しないか?」
ラドゥルは指摘した。「駄目だよ、西の空をごらん? 明らかに雨雲が迫っている。いままで僕らは幸運にも大した雨に降られなかったけど、今夜は土砂降りになるよきっと」
はっと気付くペオだった。「するとジャマーの効果も洗い流されるな、おそらく。ならば翌日は総当たり戦だ。いまはケネローに入れて貰わないか? ここからならブレードでも一刻でつく」
雨粒がポツン、とペオのほおを打った。ラドゥルは深くフードをかぶった。
ティルスは賛成した。「あの保養地か。了解だ、ここは本降りになる前に、急ごう!」