ソングは危険を察知し、快適な温度と湿度のベッドの上で目覚めた。はっとして、状況を確認する。ここは病室ではないか! 慣れない魔力の使い過ぎで体力気力とも奪われ、魔人ペオとラドゥルとの交信中意識を失ったところまでは憶えている。
 時計を確かめる……丸二日眠っていたらしい。夜中の二時。腕には糖質点滴の針が刺さっている。
 疲労で身体が満足に動かない。しかし意識は覚醒済だ。『魔力』シーカーセンサーを使って、シントの様子を伺う。なんと、シントは臨戦態勢に入っている!
 民間人は普段の生活をしていたが、機甲戦闘機隊ならびに機甲戦車隊、機甲歩兵には出撃待機が掛けられている。シントの戦闘機、二百機ほどにはすべて補給が済み、整備員が幾度となく機体をチェックしている。
 知覚域を外へ向ける……キュートの竜騎兵隊、千騎以上が迫っている。それにオスゲルから譲渡された戦闘機百機近く。数の上で不利、それで出撃しないのか。対空機銃に夜明けまで応戦させる気か。いや、黎明を待つのであれば好機を逸するな。
 竜騎兵なら、飛行は騎竜に任せ、命令のみ行えばいいが。戦闘機の搭乗員はそうはいかない。操縦まで交えると、訓練は数年かかる。熟練するには千時間以上の訓練飛行が必要だ。キュート搭乗員は素人のはず、戦闘機動どころか巡航運航ができるかも怪しい。夜間には目視より、計器に頼る電子ナビ航法が必要なのに。
 ならば自動航法装置の満足に働かない、この深夜こそ攻撃の時。ソングは機甲師団連隊長に、出撃を進言した。魔力の意識介入は驚かせるだろうから、通信回線で。
 連隊長の二佐は開口一番に言った。「よろしい。これより機甲戦闘機隊第二大隊長をまかせる、ソーン・イング一尉。戦闘機大隊の出撃を許可する。貴官は情報通信端末にて指揮を執られたし」
 ソングは驚いていた。三階級も昇進していたのか。総統閣下にはシーカーセンサーで知り得た機密情報を、逐一滔々と報告していたからな。戦死者ですら、二階級特進なのに。まあ歴史上には一兵卒からいきなり将軍に抜擢された英雄もいるとは知っていたが。
 ソングは指揮卓前に座るや命じる。ウィンドウとコンソール・パネルが虚空に投影される。「新任のソーン・イング大隊長です。大隊全機、直ちに出撃下さい。躊躇する暇はありません。これは自衛のための戦いです、大義は私たちにあります」
 シントの各高層ビルの群れに設置された対空銃座は、重戦闘機大隊の出撃で一時沈黙した。シントを長らく鉄壁の要塞と化していた守り。ランチチューブ(射出管)から次々と戦闘機が射出される。
 ソングはレーダー情報を分析し、余人に真似できない早さで敵編隊の死角を見つけた。一気に作戦を積み立てる。
 四十機強の大隊を中隊ごと三隊に分け、一つは正面から敵と相対し(回り込まず真正面から応戦するのは神話の時代から続く戦闘機不変のセオリーである)、もう一つは側面に回り込み、最後の一つは上空を占め優位を確保する。
 これら三隊を一斉に投じ、同時に一撃離脱する。戦果や損害に構わない。離脱後は上空に昇り優位を確保し、連絡指揮系統が取れたところで、再突撃か退くかを決める。
「厳命だ、徹底せよ」ソングは命じていた。「目標は一騎、ハガリド王騎竜のみ。余計な殺しをするな!」
 慎重に突撃のタイミングを合わせる。いまだ!「全機、突撃! ぬかるなよ、戦果より生き残ることを優先せよ」
 三方包囲された電波照準式機銃の圧倒的な火力の集中で、闇夜が朱に染まった。ソングは直ちに離脱の命令を下すや、端末を見る。殺ったか? しかし敵キュートの通信回線(キュートでは『耳』と呼ばれている、キュート王国のあえて他国からの鹵獲品を使用している数少ない電子機器の一つ)から飛び込んで来たのは意外な声だった。
「国王たるハガリド陛下は倒れた。我は王子ティール・イス。王位以下すべての指揮権を引き継ぐ。我は王としてみなに確約する。シントの開城を!」
 ソングは驚愕した。直ちに意識介入し問いかける。「ティルス? なぜ、騎士殿が。貴方ならこれが無益な出兵であることなどお分かりのはず」
(しかしハガリド陛下は違った。シントを制圧して統合、帝国に対抗する所存だった。我の魔力で感知したが……聡明なる貴官、魔力に目覚めたようだな。それも都合の良い力だ)
「どういうことです?」
(こんな会話通信機を介しては頼めないからな、部下に聞かれたら大事だ。新王を呼称しただけの我が部下将兵をまとめるためには、戦うべき敵が必要なのだ。犠牲の出る前に敗走してくれないか、追撃はどのみちわれらの竜騎兵ではできない)
 ティルスが誠実に訴えていることはわかったが、ソングは悲痛に答えていた。
「形の上だけでも全軍敗走などできない。士気に係る。平和に慣らされてきたシントは、戦闘機無敵信仰が倒れたら瓦解してしまう」
(ならばやむないな)騎士、いや国王の言葉は苦しげだった。
 そのときだ。味方通信回線から強制割り込みが入り、頼りなげな声が響いた。総統だ。
「ソング! 非常事態が起こりました」総統の幼い声が震えている。「直ちにわたしのもとへ来て下さい。機甲戦闘機隊大隊指揮権は第一大隊長に移譲します」
 ソングは自分の大隊を手放すことを、ためらいはしなかった。総統の命令はなにものにも変えられないのだ。しかし自ら前線へも出ず、大隊を死地に見捨てる形になることは後悔した。指揮権を副長に引き継ぐ。総統閣下はどうされたのだろう?
 指揮卓前から立ち上がり、めまいにしばしくらむ。ソングの意識は、はっきりしていたが『魔力』の先日の使い過ぎで身体は力が抜けていた。考えてみれば、丸二日眠り続けてそれから食事を取ってもいない。戦闘状況下では空腹の方が冴えるものだが、体力を回復する必要もあった。しかし最優先は総統だ。
「閣下、どうされたのです?」能力を使い、語りかける。「戦時以外の非常時とはなにごとですか」
(共和国政府議員並びに官僚が……ある事件を機に、分裂してしまったのです。わたしは暗殺されるかも知れません。この体制下で政変となると、国家の存亡に関わります。親愛なる貴官、貴女ならわたしを守ってくれるはず)
「わかりました。直ちに向かいます」
 盲目の身の総統はシント最下層、地下三十階にあるプライベート・ルームを離れては、生きられないのだ。総統の地位を放棄すれば障害児として医療を受けられるだろうが、より優れた後任がいない限り許されるはずはない。エレベーターを魔力で確認する。
 総統の警備員とは明らかに違う武装した兵士が入口を占めている。これは明らかに反抗勢力だな。エレベーターは総統の操作が無ければ動かない。ここは別経路から地下に潜り、途中からエレベーターに乗ることだな。
 ソングは端末を開き、シントの見取り図を出した。エレベーター至近の地下へ続く道を検索する。すぐに検出できた。
 換気口。縦横に張り巡らされたそれを使えば、地下へ潜るのは容易だ。問題は換気用のローターが刃物のように旋回していることだが、これは自分の通る箇所だけ総統に停止して貰えばいい。
 食事を取る時間は無い。ソングは滋養ドリンクを二本飲むと気合を入れた。新品の士官の制服が汚れることに閉口しつつ、ソングは換気口を這って行った。小柄な自分だからできる所業だった。冠履倒易な乱世に向かっている。総統が立場危ないとは。
(他に迂回路はありませんね)総統は謝意を表明した。(すみません、高貴な貴女にこんなコソ泥のような汚れ仕事をさせて。続きですが、いまや役人どもの六割がわたしを排斥しようとしています。それも、新たなる総統の椅子を狙う野心ある高官に多い。わたしを支持し擁するものはむしろ貧しい生い立ちの野党所属中級下級官僚です。ラプター二佐の部隊が応戦してくれています)
「乱臣賊子の汚名などいまさら気にしません」ソングは、はっと息を吐いた。「だが城孤社鼠の類は手に負えない。閣下の治世の功を忘れて奸臣どもが」
 ソングにはこうして換気口を通りながらも、総統の哀しまれた姿が目に取れた。街を確かめるや、叛徒どもはあろうことか障害児である総統を罵倒している。
 市民は平和に慣れ過ぎたな……ソングは皮肉に思っていた。いまの総統がその地位に就くものの三年前まで、シントは通信回線・記憶装置メンテナンスなどで、半日も全情報処理システムが停止することが月に一、二回は当たり前だったというのに。
 その間電子機器・指揮系統が無防備になるから、ほとんど歩兵だけで犠牲者を出しつつ異国の侵略を防いでいたものだ。それを一瞬で解決する、過重労働の献身的な総統相手によくも……狭い空調管内をくぐり抜け、おおよそ安全な地下四階まで達すると、ソングはエレベーターまで戻った。ここからはもう楽だ。総統に頼み、一気に地下三十階まで降りる。そのときだ。
「非礼お詫びします」すぐ頭上からの悪戯めいた声。
 千里眼を有するというのに灯台もと暗しとはこのこと、虚を突かれた。ソングは息を呑んで、エレベーターの天井から中へ降りてくる二人に感嘆した。「ラドゥル! 来て頂けたのですか、ペオシィンも」
 『どうやって』は愚問である、電磁波を気ままに操れるこの少年なら、電子ロックシャッター等を素通りするのは容易なのだ、それに探知機から気配を消してしまうのも。
「シント圏内に入ってから……」ペオは語った。「隕鉄鉱同士の斥力がぱたりと消えたな、なぜかは知らないが」
「有難うございます」ソングは感激に涙していた。「殊勝です。貴方達は優しい方ですね」
「ま、気にしないで。単なる気まぐれだからさ」ラドゥルはあくまで飄々としていた。「それよりシントとキュートが大空中戦をしている真っただ中で、なんでシントの総統閣下が罪人扱いされているんだい?」
「私にもわかりません」ソングは悲痛に漏らした。「これから総統に面会します。奇しくも三人もの魔人が魔法を忌み嫌うシントに集まったのです。総統に入室の許可を貰いますね」
「貴女に閉ざす扉はありません」無邪気な、が、さみしげな声。「入りなさい、ようこそ三人の魔人たち」