シント共和国士官ソング准尉は辺境の不毛の大地の真ん中で、一人取り残されていた。情報端末は使えるものならとっくに使っている。個人の居所など発振したら、助けに繋がるより早く、波動を受信できる悪質な犯罪者を招きかねない。世界の一部にはサイバー犯罪組織がいくつもあるのだ。
そもそも重大な『魔法の』隕鉄鉱降り注ぐ流星雨の事件以来、部下が自分の事をさがしてくれているかは疑問だった。
足にした特殊な靴、ブースター・ブーツは高速滑空が可能だが、地面すれすれにしか飛ばないし、あまり距離が持たない。空を飛べるわけではないのだ、崖などに踏み入ったら墜死ものだ。だから敵か獣に襲われたりした非常時にしか、使いたくはない。不安な一夜を過ごし、朝を迎える。
食糧については、騎士から燻製にされた大ネズミの肉の残りをもらったから数日は持つが、飲み水はない。川の水を煮沸することもせずそのまま飲むしかない。護身用の武器が、ティルスから譲られた扱い慣れない短剣のみというのも辛いところだ。後は水晶球のような隕鉄鉱の塊だが。隕鉄鉱を検分し、ぎょっとする。純粋に透明な球体内に、なにやら映っている! ソングの部下の重機甲戦闘機ではないか。この空の光景ではない。見ればシントの飛行場すら隕鉄鉱には浮かぶ。ふと意識すると、はるか地下にいるらしき美しい無垢な身体の、幼い総統の姿すら。ソングは愛おしさに、思わず声を掛けてしまった。「閣下!」
思わぬことに、心底心配そうな返事が聞こえた。「その声はソングですね、貴官はご無事なのですか、戦闘機が事故で空中爆発したとの連絡は受けています」
「一切怪我はありません。偶然、王国竜騎兵に助けられて」
「そうですか、王国竜騎兵……」いささか戸惑った口調で総統は問う。「あなたはいったいどこから語りかけているのです。わたしの検索に掛からないとは」
「隕鉄鉱を見つけました。それが遠くの光景を照らすようです」
「それは承知しています。親愛なる貴官、あなたは魔力に目覚めたようですね、それしか考えられない。いまはどこにいるのです?」
「王国近くの辺境です、どうか、救助を。一人で共和国へ帰れる目途が立ちません。正確な座標は、X129.3、Y67.0です」
「いまメンタルケア担当、クワイエット・ラプター二佐の救助部隊に、垂直離着陸機による救助の命令を下しました。半刻もすれば迎えがくるはずです」
「それは恐縮です」ソングは感激していた。あの才媛で知られるクワイエット特務士官(下士官兵出の士官)。早くも二佐に昇進していたか……二十二歳の叩き上げで。ソングの士官学校時代では彼女を目標にせよ、とすら教えられたノンキャリア一のサムラメだ。
旧家の生まれで家紋だけ秀でているが経済難という、お偉方の薄汚い政治的陰謀がなければ士官学校へ進めたろうし、そこでも評価は高いはず。
いや、もし幼年学校卒業当時いまの総統なら、いきなり一下士官として前線へ出ることはなく、なんらかの支援を仰げたはずだ。『静かなる猛禽』とされる彼女の得意とする心理戦術は、一個中隊一個大隊に勝ると呼ばれる。
いまでこそ半ば医師のような地位にあるが、前線では悪鬼さながら……否、兵士を惑わす妖精のごとき働きだったとか。キャリア組を追い越した稀な特務士官。
総統はやんわりと語った。「それより過去の魔人ファイルを検索したのですが、貴官の魔力はシーカーセンサーらしいですね」
「シーカーセンサー……」ソングは馴染みのないこの言葉を暗唱していた。
「あらゆるものの真実を映し出すという魔法の耳目です。ソング、一刻も早い原隊復帰を願います。文字通り目のないわたしにとって、貴官の能力は非常に貴重なのです」
「了解しました、閣下。すぐにも任務に邁進します」
「食事の他に湯を用意させましょう。辺境に何日もいたのでは、湯浴みもできなかったはず」ここまでは安堵した優しげな総統の口調が、とたんに平坦になった。「キュートがわたしたちのシントに向けて、宣戦布告しました。公式な宣告です」
ソングはこの事態に打ち震えていた。あの紳士的な騎士がいる王国と戦争だと? 緊張で乾いた声で話す。「兵は不祥の器、絶対に戦は避けるべきです。どちらにとっても大義のない無名の師。それに辺境の彼方にある帝国の脅威もあります」
総統は困ったように答えていた。「キュートの大義は、王子がわたしたちのシントに殺されたから、というのですが。悪質な言いがかりですね」
「王子が亡くなったと? いや、齢百を超える王の子とは?」
「亡き王妃との直系の王子は最年長が六十七歳の三男、しかしすでに耄碌の気があるとのうわさでした。魔人ではない。戦争の口実にする、生贄にされたのではないでしょうか」
「まさか実子を謀殺するとは! ハガリド王とは、そこまで非情なのですか?!」
「憶測を述べただけです。王は戦場においては英雄とされています。どちらが正しいかなど、わたしにだってわかりませんから」
「私を助けた竜騎兵は、騎士道の鑑のような若者でしたよ。王国とは戦いたくないのです」
「オスゲル帝国のことなら知っています、手を打ちました。戦力は半減するでしょう。流言をしかけたのです。ドラゴンなんて魔物はいらない、ドラゴンの肉は美味、牙も爪も鬚、棘、鱗も宝飾品となる。眼球は万能薬と。帝国の連中、真に受けてドラゴンを狩っていますよ。ドラゴンの屍骸の値段は跳ね上がったのです。おまけに、その噂はキュートにも飛び火しました。王国でも、竜騎兵たちの立場は危なくなっています」
悪戯っぽく笑う総統だった。ソングも光景を想像し、とんだ喜劇とクスリ、と笑った。しかし、総統はすぐに平静な声で語った。「むしろ飛竜の有益さを実証するために、王国は我らに対し、竜騎兵を使わないといけない立場なのですが」
「それは大事ですね……ですがならばその意志をくじけば、王国を掣肘できるはず。帝国も牽制でき、当面の安泰の確保を……」
否、いまや自分はその現場を直に見ることができるのだ! ソングは総統にその件を試すと告げ、お礼を言うと、会話を止め。自分の魔力を『解放』した。
驚くべき速さで、光景が流れていく……シントの機械化された、硬質な街並みが。メインストリートの人混みと景気のいい喝采。
ふと、視点が自由なのに気付く。戦闘機で飛ぶときのように、視点を高く移した。眼下にシントの全貌がありありと見える。
さらに視点を高く。見たこともない、どうやらキュートらしき建物の街も見つかった。未開の国だな、光の文明の遺産を受け継いでいるシントとは違い過ぎる。
辺境の南の彼方へ意識を飛ばせば、帝国が見えるはず……。しかし辺境はあまりに広大過ぎ、調べるのは手間取りそうだった。ここらでもう、救助の飛行機が近寄ってくる轟音が聞こえた。
通信が入る。さっぱりした若い女性の声だった。「王国騎士に助けられるとは、危機意識について再度言うべきかと思ったが、とりあえず帰るぞ」
これは! クワイエット二佐ご自身が迎えに来てくれたのか。心理学を専門とする、二佐ならではの問い。ソングの体調や負傷などに気を配り、あえて女性の二佐自らお声掛けくださったのだ。ソングは無事救助された。というか、機甲戦闘機二個小隊つまり八機の護衛というものものしい帰還となった。まさに要人待遇だ。大型の救助用垂直離着陸機に搭乗する。出迎えたのは、くせのあるウェーブのかかったやや長い黒髪の白衣の女性……ソングが敬礼するより早く、クワイエット二佐は五階級下のソングに敬礼していた。悪戯っぽい微笑みで。機内ではまず、すっきりとした甘さの冷たいさわやかな総合栄養ドリンクを渡され、ゆっくりのどを潤した。爽快な温度のミストシャワー室が用意されていた。制服を脱ぎたっぷりのボディソープ泡立つ湯船に浸るや、女性衛生兵が優しく身体を洗ってくれた。心地よさに張り詰めていた気が抜け、どっと睡魔に襲われた。
そもそも重大な『魔法の』隕鉄鉱降り注ぐ流星雨の事件以来、部下が自分の事をさがしてくれているかは疑問だった。
足にした特殊な靴、ブースター・ブーツは高速滑空が可能だが、地面すれすれにしか飛ばないし、あまり距離が持たない。空を飛べるわけではないのだ、崖などに踏み入ったら墜死ものだ。だから敵か獣に襲われたりした非常時にしか、使いたくはない。不安な一夜を過ごし、朝を迎える。
食糧については、騎士から燻製にされた大ネズミの肉の残りをもらったから数日は持つが、飲み水はない。川の水を煮沸することもせずそのまま飲むしかない。護身用の武器が、ティルスから譲られた扱い慣れない短剣のみというのも辛いところだ。後は水晶球のような隕鉄鉱の塊だが。隕鉄鉱を検分し、ぎょっとする。純粋に透明な球体内に、なにやら映っている! ソングの部下の重機甲戦闘機ではないか。この空の光景ではない。見ればシントの飛行場すら隕鉄鉱には浮かぶ。ふと意識すると、はるか地下にいるらしき美しい無垢な身体の、幼い総統の姿すら。ソングは愛おしさに、思わず声を掛けてしまった。「閣下!」
思わぬことに、心底心配そうな返事が聞こえた。「その声はソングですね、貴官はご無事なのですか、戦闘機が事故で空中爆発したとの連絡は受けています」
「一切怪我はありません。偶然、王国竜騎兵に助けられて」
「そうですか、王国竜騎兵……」いささか戸惑った口調で総統は問う。「あなたはいったいどこから語りかけているのです。わたしの検索に掛からないとは」
「隕鉄鉱を見つけました。それが遠くの光景を照らすようです」
「それは承知しています。親愛なる貴官、あなたは魔力に目覚めたようですね、それしか考えられない。いまはどこにいるのです?」
「王国近くの辺境です、どうか、救助を。一人で共和国へ帰れる目途が立ちません。正確な座標は、X129.3、Y67.0です」
「いまメンタルケア担当、クワイエット・ラプター二佐の救助部隊に、垂直離着陸機による救助の命令を下しました。半刻もすれば迎えがくるはずです」
「それは恐縮です」ソングは感激していた。あの才媛で知られるクワイエット特務士官(下士官兵出の士官)。早くも二佐に昇進していたか……二十二歳の叩き上げで。ソングの士官学校時代では彼女を目標にせよ、とすら教えられたノンキャリア一のサムラメだ。
旧家の生まれで家紋だけ秀でているが経済難という、お偉方の薄汚い政治的陰謀がなければ士官学校へ進めたろうし、そこでも評価は高いはず。
いや、もし幼年学校卒業当時いまの総統なら、いきなり一下士官として前線へ出ることはなく、なんらかの支援を仰げたはずだ。『静かなる猛禽』とされる彼女の得意とする心理戦術は、一個中隊一個大隊に勝ると呼ばれる。
いまでこそ半ば医師のような地位にあるが、前線では悪鬼さながら……否、兵士を惑わす妖精のごとき働きだったとか。キャリア組を追い越した稀な特務士官。
総統はやんわりと語った。「それより過去の魔人ファイルを検索したのですが、貴官の魔力はシーカーセンサーらしいですね」
「シーカーセンサー……」ソングは馴染みのないこの言葉を暗唱していた。
「あらゆるものの真実を映し出すという魔法の耳目です。ソング、一刻も早い原隊復帰を願います。文字通り目のないわたしにとって、貴官の能力は非常に貴重なのです」
「了解しました、閣下。すぐにも任務に邁進します」
「食事の他に湯を用意させましょう。辺境に何日もいたのでは、湯浴みもできなかったはず」ここまでは安堵した優しげな総統の口調が、とたんに平坦になった。「キュートがわたしたちのシントに向けて、宣戦布告しました。公式な宣告です」
ソングはこの事態に打ち震えていた。あの紳士的な騎士がいる王国と戦争だと? 緊張で乾いた声で話す。「兵は不祥の器、絶対に戦は避けるべきです。どちらにとっても大義のない無名の師。それに辺境の彼方にある帝国の脅威もあります」
総統は困ったように答えていた。「キュートの大義は、王子がわたしたちのシントに殺されたから、というのですが。悪質な言いがかりですね」
「王子が亡くなったと? いや、齢百を超える王の子とは?」
「亡き王妃との直系の王子は最年長が六十七歳の三男、しかしすでに耄碌の気があるとのうわさでした。魔人ではない。戦争の口実にする、生贄にされたのではないでしょうか」
「まさか実子を謀殺するとは! ハガリド王とは、そこまで非情なのですか?!」
「憶測を述べただけです。王は戦場においては英雄とされています。どちらが正しいかなど、わたしにだってわかりませんから」
「私を助けた竜騎兵は、騎士道の鑑のような若者でしたよ。王国とは戦いたくないのです」
「オスゲル帝国のことなら知っています、手を打ちました。戦力は半減するでしょう。流言をしかけたのです。ドラゴンなんて魔物はいらない、ドラゴンの肉は美味、牙も爪も鬚、棘、鱗も宝飾品となる。眼球は万能薬と。帝国の連中、真に受けてドラゴンを狩っていますよ。ドラゴンの屍骸の値段は跳ね上がったのです。おまけに、その噂はキュートにも飛び火しました。王国でも、竜騎兵たちの立場は危なくなっています」
悪戯っぽく笑う総統だった。ソングも光景を想像し、とんだ喜劇とクスリ、と笑った。しかし、総統はすぐに平静な声で語った。「むしろ飛竜の有益さを実証するために、王国は我らに対し、竜騎兵を使わないといけない立場なのですが」
「それは大事ですね……ですがならばその意志をくじけば、王国を掣肘できるはず。帝国も牽制でき、当面の安泰の確保を……」
否、いまや自分はその現場を直に見ることができるのだ! ソングは総統にその件を試すと告げ、お礼を言うと、会話を止め。自分の魔力を『解放』した。
驚くべき速さで、光景が流れていく……シントの機械化された、硬質な街並みが。メインストリートの人混みと景気のいい喝采。
ふと、視点が自由なのに気付く。戦闘機で飛ぶときのように、視点を高く移した。眼下にシントの全貌がありありと見える。
さらに視点を高く。見たこともない、どうやらキュートらしき建物の街も見つかった。未開の国だな、光の文明の遺産を受け継いでいるシントとは違い過ぎる。
辺境の南の彼方へ意識を飛ばせば、帝国が見えるはず……。しかし辺境はあまりに広大過ぎ、調べるのは手間取りそうだった。ここらでもう、救助の飛行機が近寄ってくる轟音が聞こえた。
通信が入る。さっぱりした若い女性の声だった。「王国騎士に助けられるとは、危機意識について再度言うべきかと思ったが、とりあえず帰るぞ」
これは! クワイエット二佐ご自身が迎えに来てくれたのか。心理学を専門とする、二佐ならではの問い。ソングの体調や負傷などに気を配り、あえて女性の二佐自らお声掛けくださったのだ。ソングは無事救助された。というか、機甲戦闘機二個小隊つまり八機の護衛というものものしい帰還となった。まさに要人待遇だ。大型の救助用垂直離着陸機に搭乗する。出迎えたのは、くせのあるウェーブのかかったやや長い黒髪の白衣の女性……ソングが敬礼するより早く、クワイエット二佐は五階級下のソングに敬礼していた。悪戯っぽい微笑みで。機内ではまず、すっきりとした甘さの冷たいさわやかな総合栄養ドリンクを渡され、ゆっくりのどを潤した。爽快な温度のミストシャワー室が用意されていた。制服を脱ぎたっぷりのボディソープ泡立つ湯船に浸るや、女性衛生兵が優しく身体を洗ってくれた。心地よさに張り詰めていた気が抜け、どっと睡魔に襲われた。