ペオは王国騎士ティルスから別れても、そう平原を歩もうとはしなかった。ティルスの飛竜が――捕虜の共和国士官ソングを乗せて――飛び立つのを確認すると、後を追う。
 今日の日も、もはや傾き出した。空腹感に見舞われるが、食糧が大ネズミ肉の燻製だけというのが痛いところだ。数日分は十分にあるとはいえ、臭みの強い味の悪さには。
「いったいどうするつもりだい、ペオース?」ラドゥルが間延びした声で訊いてくる。
 ペオは断言した。「ソングには恩を受けたのさ。俺は彼女を助ける」
「やはり、きみとあの女士官は知り合いだったか」
 はっとする。やみくもに情報を漏らすのは危険だろうか。しかしこの少年は、あの『目覚め』以降常にペオの身を守っていた。「おまえに話しても害はないだろうからな。しかし俺はティルスにも恩を受けた。おまえにもな」
「勇敢だな、義理堅いしきみは単なる女の子じゃないね」ラドゥルは柔和に笑っていた。「でも、どうやって?」
「キュート王国とやらに乗り込む。我ながら軽挙妄動だが他に方法があるか?」
「ないでもないんだが……僕一人では力不足だと思うな」
「どうするんだ?」
「僕らは魔人だよ、無論、魔力を使うのさ」
 ペオは訝しく思った。問う。「魔力とはそんな都合良く使えるものなのか、どうやって」
「僕自身、魔力の正体は掴めていないよ。魔人により使える魔法は様々だ。それぞれの魔人が万能に使えるものでもないし」
「魔法ねえ……ファンタジーRPGじゃあるまいし。あ……わからない。話を戻して」
「僕の魔力は波動発振、ウェーブドライブでね。主に電子機器を遠隔操作できる。きみ、それにソングの魔力はまだ覚醒していないようだが。対してティルスは伝承に聞くマインドブラストの使い手だな。四人の魔人が辺境の一カ所に集まるなんて、とんだ珍事だね」
「魔法……。いったいなんでそんなものが実在するんだ?」
「さて、ね。一説では魔人だけに反応する、『精霊』のおかげとも聞くが、過度に発展していた前文明の置き土産かもしれない」
「前文明とは?」
「神話の時代の、人類の絶頂期さ。が、滅んだ。『融合炉』とやらの世界各地の連鎖爆発によって。シントは文明を受け継いでいるのだがね。オスゲルもまた、シントから盗んでいる。全世界が光により繋がっていた、光の文明。キュートは不吉なものとして忌み嫌う」
 ペオは当惑していた。怪力乱神というのも、世界にはあるらしいな。魔法に神話の文明とは、オカルトめいている。が、亀毛兎角だ。ありえない。規矩準縄がつかめないから。言い捨てるペオだった。「は、荒唐無稽な戯言だ」
「きみは魔力を目の当たりにしたことがないらしいね。ティルスどのの意識操作の術では、分かり辛かったかな」
「あれが魔法? なるほど、催眠術ってやつか」
「いや、あの騎士のマインドブラストは、そんな軽い技ではないはず。伝説によると自分の感情を相手に叩きつける魔力だ。単なる催眠ならともかく、生のままの激しい怒気など放たれたら精神の弱い人間には致命的な脅威だよ」
「ほう……それは恐ろしいな」
「だから、とにかくもう手は打った。シントの戦闘機に、ティルスの竜騎兵の座標を知らせたんだ。いくら強くても竜の騎士どのは、二人乗りではとても戦えない。着地して捕虜を捨てて戦うしか手はないはずだ。何機もの戦闘機相手にね。すると竜を失うかな? 王国の都市へは徒歩ではそうそう辿り着けないよ」
「そういうことか。それにしても手が速いな」
「僕は、戦争は嫌いなんでね。捕虜なんて悲劇は避けたいからさ」
 この乱世にあって、あくまで戦争を否定するか。ラドゥルは、決して権力者に阿諛追従するような人間ではないな。自分もそうでありたいと願うペオだった。
 ペオはこの少年に好感、淡い好意を抱き始めていた。一視同仁の心の持ち主。類まれな度量にして羽化登仙、厭離穢土ってやつだな。閑雲野鶴を友に生きる、か。悪くない。
「が、どうするんだ? 旧都と新都とやらは、互いを異端邪説とみなしているのだろう? まして帝国ってやつも。王国と共和国が戦争となれば、漁夫の利を得るのはオスゲルだ」
 ラドゥルは親切にも事態を滔々と語った。旭日昇天の勢いで版図を広げている帝国。暗雲低迷な気配がするな、無力な民衆は跼天蹐地に瀕している。とうてい安居楽業とはいえない治世だ。唯々諾々として縛られるわけにはいかない。
 ペオは聞き終えるや、この地の国が安宅正路を貫かんことを祈った。しかし、その帝国と王国の寄って立つところを知り、失笑する。
「乱世を武力で平定し全土を統一だと」ペオは皮肉にはっと嘲った。「八紘一宇なんて不可能だし時代錯誤だ。その愚行により歴史では何億もの人間が犠牲になったというのに」
「歴史? まるで神話の時代の伝承に聞こえるよ。時代錯誤ってどういうことだい、それではきみはこの国で育ったみたいではないように思えるね」
 はっとした。しかしなにも思い出せない。苦しげに言う。「それは……俺自身思っていた。俺にはむしろ、科学文明の発展したシントの方が馴染むかもしれない。だが、ソングからはシントへの立ち入りは禁ぜられたし、俺が科学技術のなにを理解しているわけでもないと思うが。だが俺は過去、都市に住んでいた気がするんだ、こんな荒野ではなく」
「もちろんだよ、こんな辺境、まともな人間は立ち入らない。騎士どのの飛竜の仕留めてくれた大ネズミだって、武具無しでは襲われたらひとたまりもないよ」
 その時だ。凄まじい轟音を上げて、飛行機が四機編隊で上空を通過した。ペオは質問した。「シントの戦闘機か、あれが」
「間違いないね、ソングは新米士官らしいしあの美貌だ。同僚連中みな、血眼で捜しているだろうね」
「なんてこった。皮肉にもこんどは騎士、ティルスの身が危険になったな。飛竜とはたしかに強いだろうが、どう考えても戦闘機には敵わない。ソングが人質にとられる可能性もある……いや、あの自尊心の強い騎士がそこまでやるとは思えないが」
「飛竜でも、戦術を駆使して得意な巴戦に持ち込むなら戦闘機相手に、そこそこ戦えるよ」ラドゥルは両手でくるくるとどうやら空中戦の軌跡を描きながら説明した。「もっとも二人乗りでは機動戦術が取れない、いまは無理だね」
「ラドゥル、おまえの力で撃退できるか?」
「やろうと思えば容易だが」ラドゥルはいつも通りクスクスと笑い、即答していた。「オスゲル帝国の脅威を前にして、シントの戦力を削ぎたくない。それに繰り返せば、魔人としての僕の存在が露見してしまう」
「魔人、か。オスゲル皇帝も魔名なのだろう? どんな魔力を秘めていることか」
「そうだね、風評はさまざまだが僕の憶測することには、おそらくいまだ中年にして一代で成り上がった傑物だろうね。オスゲル帝国の紋章は、オスとシゲルのルーンを重ねた鉤十字型で、こう……」言いながら、ラドゥルは地面に小石で文字を刻んだ。
「まるでハーケンクロイツじゃないか!」反射的に叫んだペオだが、なんでそんな単語が浮かんだのかは、わからなかった。ペオは発言を取り繕った。「あ、俺は意味もわからない。ただ、禍々しさを感じる。卍をみたいな文字だな……あれ、卍ってなんだっけ」
「異国語かな。僕の相棒もハーケンといってね」
「相棒? 一人旅をしているのではなかったか」
「いまは一人だけど、僕には過ぎた相棒がいる。一騎当千とはハーケンのことだ」