……崇高なる自由のために! 我らには戦う義務と権利がある! 愛すべきものを護るために! 偉大なる自由と権利のために! この乱世を正し真なる平和を!……
 命が……代償だぞ。避けようの無い死の前にどんな自由がある。なにが権利だ。義務とやらを押し付けているだけではないか。平和……響きの良い言葉だが、それを求めるためになぜ戦うのか。本末転倒だ。戦争……炎……燃えていく……爆音、硝煙の匂い……剣戟の響き。血、赤い、すべてが……死は赤と黒で染められている。いずれすべて白き灰となるまで。友人の村人も隣人も。母さん! 悲しみは憎しみに転じた。それは狂気を産んだ。激情に身を委ねた。力……戦い……憎い。それが人の世の常というなら、破壊してやる! この僕が、なにもかも、ことごとく……
 
 朝、女士官はようやく覚醒の兆しを見せた。まだ頭がぼやけているようだが、睡眠薬でも使ったのだろうか。それとも魔法か。とするとティルスは大した魔力の持ち主だ。
 ペオのようすが妙に落ち着かないことに、ラドゥルは気付いていた。「どうした、シィン。ここにきみの敵はいないよ」二人同士の嘘であった。二人が魔人であることに気付かれたら、ティルスは王国へ二人を連れ帰ろうとするだろう。
「あ……いや、あの女性が心配でな。王国の捕虜とされるのだろう? せめて名前くらい訊いておきたいな、ラル」
「シント共和国士官、ソングだ」ティルスは平坦な声で答えた。昨日のいさかいは忘れたかのように、ペオに真剣な眼差しを送る。「我が王国では、優秀な人材は次々と登用している。転向する気があるのなら、国王陛下に召し抱えられるだろう。安心したまえ、シィン」
「軍人として……」ソングは弱々しい声を発した。「礼節はわきまえているつもりです。紳士的な厚遇、感謝します。キュートの騎士よ。私を診てくれたらしい少年と少女にも……」
 ペオがぴくり、と身じろぎした。なぜかペオとソングは数瞬、視線を交わした。ラドゥルは、この二人知り合いだな、とふと思った。するとペオは魔名をこのソングに教えたのか。これは、ティルスには秘密にしておきたいところだな。
「では、そろそろお目覚め願おう」ティルスは穏やかに言うや、ソングの瞳を覗き込んだ。たちまち、はっとした面持ちでソングはびくり、と全身を震わせた。覚醒したらしい。明らかにティルスは精神を操る魔法使いだ。
 ソングは立ち上がり、姿勢を正した。冷静な声で明言する。「騎士ティール・イス。それにラル、シィン。改めて感謝します」
「朝食にしよう、シントの士官よ。昨夜の残りでよければ」
 冷めたネズミの肉は、珍味としてならいけたものだった。しかし、ペオは渋面で不味いと不満を言っている。この少女、かなり裕福な家庭に育ったな、とラドゥルは思った。
 
 四人と飛竜一騎、騎士に促されるまま旅に出た。ラドゥルは訝しんだ。王国へ向かう方面とは違うではないか。と、川に行き当たった。水の補給を考えていたわけか。
 ?! 橋元に人が、遺体が転がっている。五人。いずれも足に銃創があった。しかし致命傷は、後ろから刃物で斬られた首だ。それとは別に二人の手や鼻に、鋭利な刃物で切られた小さい傷に気付いた。これはペオの短剣では? 憤慨する。「ひどいな、処刑の跡だ。負傷し役に立たないものは捨てるってわけだ。背後にどんな巨悪が潜んでいることか」
「我らの王国ではないぞ」ティルスはきっぱりという。
 ソングも断言した。「共和国もこんな酷い仕打ちはしないわ」
「これは一罰百戒、見せしめだな。火の無いところに煙は立たぬってね」ペオは皮肉に言い放った。「火事の原因の大半は放火さ」
「なにが言いたいのです?」ソングは問う。「火事とは?」
「いや、火事のときはみんな結束するからね。同じ場所なら敵味方関係なく」
「対立する王国騎士と共和国女士官が、手に手をとってとは……」ラドゥルはクスクス笑った。「これはなかなかおもしろい悲劇ではないか? 平和的で良い」
 この不謹慎な冗談に、騎士と女士官は微妙な表情だった。
「端末を使わせて頂かせるかしら」ソングの問いに、ティルスはうなずいた。
 ソングは左手首にはめた機械装置をいじくり始めた。顔を上げる。「どうやら、これね」ソングは文字と映像が虚空投影される端末を、ティルスにかざした。「ここら一帯を仕切っているのは、オス・シゲル、オスゲルよ。地方領主のくせに、統一帝国新皇を僭称しているわ」
「魔人だな。太陽、神の力か」ティルスはうなった。「過去の文明を破壊したのは、地上で太陽が爆発したのが原因だ。その名を受け継ぐなど忌まわしい」
「太陽こそがすべての命の源よ。シントでは太陽の光を、そのまま電力にして利用しているわ。核融合炉なんて無粋な真似はしていない。コストは高いけれどなんら汚染もない」
「待った」ラドゥルは対立する両者に割り込んで語り出した。「オスゲルは単なる地方領主などではない! キュートとシントを足して数倍する、強大な帝国だ。人口にしてもキュートに匹敵し、科学技術面ではシントに比肩する。本拠地の砦の堅牢さは凄い」
「なぜそれを知っている?」怪訝なティルスの問いに、ラドゥルはさらりと答えた。
「そりゃ、僕はそこから逃げてきたのだから。それは悪辣な帝国だよ、ごろつきの群れと変わらない。役に立たないものや不平分子は即粛清、混沌とした無秩序を武力で抑えつけている。作物の六割が税とされる莫大な税収を武器に、中央は前文明並に発展している」
 ぽつりというペオ。「三竦みか。これじゃまるで三国志だ」
 三竦み、か。ラドゥルは思いあぐねていた。オスゲルはあらゆる力を使える。科学技術面、魔術法力面双方を。シントからも、キュートからも拉致されたものが多いためだ。
 しかし奴隷同然の扱いをされる民衆は無法な支配に、陰では不満を募らせている。帝国の否定をすれば死、だがそれでも。キュート国王はシントを攻め落とし併合しようとしているらしい。ここは事態を変え、キュートとシント、双方が結束しオスゲルに対抗してくれれば理想だが。現実はそううまく転ぶものか。
 ティルスとソングの二人を和解させれば、平和的解決の手段も……
「苛斂誅求な圧政の帝国か。奸佞邪智とはこのことだ」
 うそぶくペオに、ソングは問うていた。「貴女は古語がわかるのですね。高材と見受けます、若輩にしても得難い才知です。古典を葦編三絶されたのですか?」
「しょせんは口耳の学だ。買い被りするな」
 言葉の意味を解せないラドゥルは困惑していた。古語とは、ペオはどこぞの令嬢か? いや、それにしては今一つ品位に欠けるが。ティルスも会話を理解していないそぶりだった。
 ラドゥルは知りうる限りを語った。「帝国は急速に版図を伸ばしている。勢いはキュートの比ではない。技術的にも、シントと並ぶ戦力が拡大の一途だ。抑えようがない」
「拱手傍観しているわけにもいくまいが、勝算のない戦いは無意味だ。それに」引用するペオだった。「百戦百勝は善の善たるものにあらず、という。戦わずして勝つ、が最善だ」
 ティルスは反論していた。静かに断言する。「最後の一兵まで信念の下に戦い抜く、それが軍人の矜持だ」
「互角なら敵すれば即ちよくこれと戦いだが。少なければよくこれを逃れ、若からざればよくこれを避くだよ。戦ったところで殺されるか、捕虜にされるかだ。いまは逃げるんだ」
「同感です。兵は詐を以って立つ、といいます」ソングはペオの肩を持った。「迂をもって直となす、です。全面戦争に持ち込むには時期尚早かと。天の時はまだ恵まれてはいません。実を避けて虚を撃つ。兵の形は水に象る、上善は水のごとし」
「兵は拙速を聴くという。智慧ありといえども勢いに乗じるに如かず。勢に求めて人に責めず。機が熟してから一機に攻撃をたたみ掛ける。逃げは決して消極案ではない。戦力を温存しておけば再戦の機会もある。死んでしまっては話にならない」
 ティルスは動じていなかった。あくまで主張する。「正面から戦うことこそ騎士の誉れ。犠牲も出るだろうが敵王城を陥落させるまで戦うべきではないか」
「用兵の最低は城攻めだよ」
 ラドゥルにはペオとソングの言葉の意味は半分も解らなかったが、ティルスと平行線であることはとにかく感じられた。意見する。「シィン、きみは兵士ではない。もうこの場を引き上げるべきだよ」
「そうだな、蛙鳴蝉噪な会議だ」ペオは息を吐いた。「ラル、それにティルス。世話になったな。俺は失礼するよ」
「行くあてはあるのかい?」
「ラルこそ一竿風月な暮らしをして。見習うとするよ、曳尾塗中な生きざまも魅力だしな」
「僕もついていこうか。一人旅は退屈だしね」
「好きにしろ。騎士どのに士官どの、窮冦には迫ることなかれ、さ。防戦ならまだ見込みはある。街談巷説に惑わされるなよ、大事を前に、蝸牛角上の争いは避けることだ」
 ラドゥルは小難しい言葉を操る少女に、好奇心が湧いていた。魔人としてどんな働きを見せるか興味深い。
 ティルスはふっと笑った。快活にいう。「きみは度量あるな。お礼に肉を分けるよ」
 ラドゥルはペオを伴い、王国騎士と共和国士官に挨拶するや、場を離れた。気ままな流れ旅、なんら不安はなかった。