新進気鋭たる二十一歳の騎士ティルスは、捕らえたシント士官が自分より頭二つ――ティルスはハガリド国王と並ぶ偉丈夫だった――は低い華奢な女性であったことに困惑していた。兵士としては、十六のころから前線にあった。だが騎士として初の任務の戦果がこれでは体裁が悪く話にならない。捕虜として連れ帰るには、心苦しかった。しかし、もともと魔人を集めよとの任務。王国に転向させれば大功績だ。
 ティルスの『魔法』マインドブラストにより、無防備に眠りに落ちた女性の容姿は愛くるしく可憐だが、性愛の対象とするにはティルスには不釣り合いだった。どう見てもこの女性は、無力でけがれを知らない子供のようなものだから。ふと、気付く。
 この女性は妖精エルフかな? シントでは格差社会が、長い間続いた。小柄なものは小柄なものと、痩せたものは痩せたものと、賢いものは賢いものと、美しいものは美しいものへと交わり続けた結果、血が濃くなっているのだ。
 酒飲みな太っちょドワーフ小人に、人間の子供のような無邪気なハーフリング小人、さらにはなんと額に角ある大食巨漢のオーガー鬼までいるとあらば、シントとキュート、どちらが魔法の国だかわからない。さしずめティルスはハーフトロルといったところか。この構図は喜劇だな、とティルスは軽く自嘲した。
 エルフとドワーフのように、あまりにかけ離れたもの同士では、子はなかなか生まれなくなっていた。どんなものとも子を残せるのが生のままの『人間』とされている。
 ほんらいみんな対等な人間なはずなのに、こうした格差をつけるところがシントの独善的な矛盾の側面だ。シントは共和国……民衆に政策を左右する権利と決定権があるとの建て前だが。対するキュートは専制の王国。あの老王一人の支配する国だが。
 言葉は悪いが、シントの総統は生来の障害児と聞く。生殖能力の無い。つまり、一代限りの存在。それもうわさが本当なら、まだわずか十二歳。その境遇には憐憫すら覚える。
 対するにキュート王国のハガリド陛下は、百を超える年齢、王妃はとっくに亡くしているのに後宮にはいまだうら若い寵姫が何人もいるとか。老いてなお、旺盛なことだ。
 逆にシントでは、徹底した管理体制の下排他的な閉鎖社会が続いた。結果、二十万程度というあまりの人口の少なさと相まって、ほんらいの人間の種を維持できなくなってきているのだ。シントでは、それがまっとうな純潔を守る健全さとされているのだが。むしろ不健全さを感じずにはいられなくなるティルスだった。
 ティルスはこの女士官の魔名を考えていた。ソーン・イングか。氷の悪魔、豊かさ。試練と忍耐、魅力。シントの民では、この意味を知ってはいなかったろう。
 対するティール・イスは戦いの神の槍。古来の神話によると、大神オーディンの槍、グングニル。決して狙いを外さない。我は大そうな魔名を得たものだ。その魔名がわかったとき、ティルスは騎士として最大の栄誉を賜った新任とさかんにうわさされた。
 ハガリド陛下もまた魔人で、ハガル・ニイド……氷に冬と火急時の力、障害と必要性と互いに相反する興味深い魔名をしている。調和の象徴と、王国では敬われている。
 その陛下のもとへこの魔人のシント士官を連行して……武勲と呼べるのだろうか。ソングの機甲戦闘機を爆発させたのは、ティルスではない。なにか事故でもあったのだ。突発の出来事で、ティルスが彼女を救出できたのはまったくの偶然だった。これを運命と呼ぶなら、なにが幸運なのかはわからないが。
 このような魅惑的な女、好色な陛下の目に留まれば後宮に引きずり込まれること確実だ。ぞっとしない想像ではある。しかし任務は遂行しなくては。そのときだ。
 捕らえた女性士官が眠ったまま苦しげに身じろぎした。「ペオースを……」
 うわごとをいうソングに、ティルスはぎょっとした。ペオースだと!? ルーン文字に曰く『突発事』、我らの神話の魔王。サイコロの……運命の振り壺。ソングはうわごとを繰り返していた。「ペオース……見つけなければ……ウィンを」
 ティルスは思い悩んだ。これは王都に連れ帰るわけにはいかなくなりそうだな。このシント士官は魔人だし。なにやら秘密を帯びている。不用意な扱いはできない。ティルスは眠っている女性士官を軽々と抱きかかえると、自分の飛竜『ブレード』へ騎乗した。命じる。「ブレード、飛翔! 予定航路を離れるぞ、この辺境付近でひとまず様子を見る」
 飛竜ブレードは神経質そうに、おどおどと訊ねた。「よろしいのですか、我が君? 与えられた任務を逸れている行為に思えますが」
 任務逸脱は死の厳罰だ。ティルスは騎士としての名誉の方がその義務に勝ると信じていた。例え死を賜るとしても誇り高く。恐れている騎竜をなだめるように、ティルスは自信たっぷりの快活な声で答えた。「例外も時には発生する。安心して我が命に従え」
 ブレードが翼を打った。砂塵が舞い上がる。ゆっくりと、竜騎兵は空へ飛び立った。
 発覚すれば、ハガリド陛下は激怒されるだろうな。騎士称号剥奪だ。しかし、ティルスはハガリドの何十人といる庶子の一人なのだ。老体にしてわずか齢十六の我が母を弄び捨てた男……それが国王ハガリド。
 嘲弄する。いまはたしかに忠誠を誓う、しかしいつかその居城が砂上の楼閣であることを思い知るが良い。国の指導者の力量に、好むと好まざるとに関わらず、すべての民衆の命運がかかっているというのに。野心、いや肥大した虚栄心を満足させるためだけに成り上がった老人。国王の歩く道は戦禍の屍山血河によって敷かれ、居城は敵味方問わず兵士たちの人骨で築かれ、至尊の王冠は敵将の頭蓋骨なのだ。
 それを自覚することもない狭量で傲慢な人間……王は、父は強すぎたのだ。弱きものの痛みを知るには。だがティルスは違っていた。卑しまれて育ったかれには。
 戦争には、殺し合うのには大義名分が必要だ。高給取りの将官ならともかく、薄給の兵士の士気、敵愾心に係る。しかし鎖国政策を敷くシント共和国に、つけいる大義がどこにある? 王国は欺瞞を繰り返してきたのだ。乱世に付け込んで、民衆を扇動し、いかにも隣国が脅威であるかのように思い込ませ。侵略戦争を行い、殺戮と略奪と凌辱を……
 もっとも、ひとたび併吞された領内の治安は落ち着いている。なまじ無能な領主が支配していた時よりは、王国は善政を行っている。ハガリド王は比類ない辣腕家なのだが……
 二人乗りのドラゴンが飛行する空は、夕の日に紅く彩られてから次第に藍色に、闇色へと染まりつつあった。