新米士官の自分としては、さらさらな黒髪で琥珀色の目をしたペオース・ウィン、魔王と英雄の魔名を持つ少女の情報はもっと知りたかったのだが。思うところあってソングは任務を終了とし、そうそうに立ち去った。足にした移動用の機器、ブースター・ブーツを作動させ、地面を高速で滑空する。
 ソングがシント領内に戻るのに、さして時間はかからなかった。シント主都中央の、官公庁区内に入る。エレベーターに乗り、その最深部へ。
 これから総統閣下に会見するとなると、気が重かった。
 総統こと、第一市民は障害児であったが、幼少のころの知能検査で驚異的なスコアを弾き出していた。以後、生ける超電算機として情報処理を任され、その絶対的な能力からわずか九歳にして総統に任ぜられていた。以来三年、シントの運営は滞りない。
 幾重にもネストされた複雑に絡み合う電脳世界のシステム障害を、一瞬にして解決してしまう能力はシントにとって絶対であった。
 総統は齢十二といえ、知識面では比類ない。当然だ、シントのすべての情報端末の処理を行っているのだから。総統自ら体験せずとも、通常の人間の数百年分の含蓄がある。だから判断力分析力にしても、どんな大人より勝っている。加えて、幼い故に可能な高速で柔軟な思考。知性面からすれば、人類に並ぶものはない。
 加えて度量面においても、とても子供とは思えなかった。総統からはソングは心服されている。普通の軍人なら、命令違反は即、死を意味するが。ソングは無制限の決定権を与えられていた。十九歳の新米准尉にとっては、信じがたい厚遇だ。
 さらにソングは魔法を忌み嫌っているシントでの稀な、魔名を持つ魔人なのだ。それだけで三年前唐突に魔名が与えられたとき、ソングは処刑されるはずだった。
 だが新たな幼い総統閣下は、シントの民の人権には寛大だった。ソングは忠誠と引き換えに、士官学校への入学が、軍人となることが義務づけられた。決してソングの本意ではなかったが。
 孤独、という点でソングと総統は共通点を持っていた。絶対的な他者との相違。社会の異分子にして求められし者。
 シントでは普通の国民は英数のコードで管理される。それをもじってあだ名で呼び合うのが慣習だ。ソングのように固有名詞を与えられた者は少ない。いや、魔名を持っているはずのものも数人はいるはずなのだが、それらは記憶消去の処置を受けたらしい。
 記憶消去。それが妙に引っかかる。あの少女は、記憶が無いらしいから。これは総統閣下に直接確かめねば。
 地下三十階にある総統のプライベート・ルームへ古びたエレベーターで降りていく。個人データが自動暗証チェックされ、装甲された幾重もの扉が開く。中に入るや、いつものようにソングは総統の華奢な姿に息を呑んだ。
 裸体だった。もっとも陰部に性器が無く、くせのある白金色の髪の流れる、頭から下はまだ毛も生えていない総統の裸体は、淫猥さを感じさせることはなかった。むしろ機能美にも似た印象を受ける。顔面に存在しない両の眼と相成って、神々しさすら感じさせられた。
 ソングは端末椅子に座っている総統の前に、ひざまずいた。総統は立ち上がると歩み寄り、自らもひざをついてなんとソングの額に口づけをした。奇妙な陶酔感が、額から全身に痺れる。なんと心地よい、悦楽……このまま時を止めてしまいたいほどの。
 総統は、そのままの姿勢で優しく語りかけた。「いきさつは知っています、親愛なる貴官」
「はっ……」ソングの声は感激と快感に震えていた。命令違反の罪は、不問とされたのだ。
 子供の無邪気な声で、総統は続けた。「ですが、無論すべてではありません。わたしの検索範囲は、限界があります。謎ですね、あの少女。ペオース・ウィンですか」
 驚いて、ソングは総統の顔を見た。瞳の無い顔は微笑んではいるが、感情が伺えない。この総統が知らないことだと? 嘘を吐いているのだろうか。いや、それなら自分にあの少女、新しい魔人の抹消を命じるはずはない。
 シント二十万の民衆には、すべて『端末』がついている。個人の見聞き体験したことのほぼすべては、総統の管理する中央情報集計装置に収められているというのに。無論、バックアップも万全を期し、シント秘密の個所の幾つもの別サーバーに蓄えられている。総統以外の閲覧は違法で厳罰もの、それにほぼ不可能だ。
 歴史では前文明前世紀、二十世紀の個人自由主義は、二十一世紀に発展した情報化社会により異質化されたとされる。個人情報の保護と情報の公開が対立し、守秘義務と表現の自由が対立していた。それらを両立させ情報化社会と共和国を維持するのに欠かせないのが、情報の絶対の検閲官たる優れた中央処理装置……総統なのだ。
「閣下がご存じない……」ソングは茫然とつぶやいた。「なにものだったのでしょう。やはり、私が抹消すべきだったのでしょうか」
「それを確かめる必要がありますね」やんわりと言う総統。「そこで、ソーン・イング。あなたを機甲戦闘機隊中隊指揮官に任じます」
 今日の会見は驚愕が絶えない。飛行隊中隊指揮官だと? 大抜擢ではないか! 本来なら一尉か三佐の役職だ。
 もっとも、個人の空戦技量では、ソングはB級パイロットだが。シミュレーターの空戦指揮では、その戦術技能は卓越していた。対等の条件なら、有利な戦局を作り出し味方にほとんど犠牲を出さずに敵を撃退するのが士官学校時代の常だった。
「謹んで拝命致します、閣下。私でよろしければ。ですがなぜ……」
「キュートの竜騎兵隊が動きます。あの少女が王国の手駒になるのは避けたいところです。再び接触なさい。すみませんが、正確な座標は失われました。采配は任せます」
「了解致しました。再度、こんどは空から散って捜索してみます」
「それと……」総統は戸惑うように語りかける。「少女のごく至近に、この上なく危険な人物が潜んでいたらしいのです。詳細はわかりませんが、お気をつけて。では、退出なさい」
 総統は立ち上がった。ソングも続けて起きる。ソングは敬礼するや、プライベート・ルームを後にした。ふと寂寥に囚われる。こんな地下の一室に閉じ込められ、自由に外へ出ることもできない総統への。