わたしは学生時代通して英語が一番苦手だったが。わたしの世代はだいたい、英語教師すら英会話が出来ない時代だったのだ。いまはネイティヴスピーカーの講師が来てくれるそうだが。
 中学の英語教師がしたり顔で、「リンゴはアップルではなく、アポーと発音します。水はウォーターではなくワーターです」なんてなんとかの一つ覚え知識を披露し、他の単語はほとんど全部日本語カタカナ発音。オレンジはオーレンジ、バナナはバーナーナーと発音した方が正しいらしいが、それらには触れなかったくらいのレベルの話。
 それでいて、「私の大学の友人はカタカナ発音しか出来ませんが、それでも外国人と英会話できるのですよ」なんて自慢する始末。「友人は」って、自分が英会話できないのを強調してどうするのか。
 英語のヒアリングテストでも、教師は自分で聞きながら「これでもかなりゆっくり発音してくれている「らしい」のですけどね」と言っていた。「らしい」、などと話すこと自体、自分が録音を聴きとれていない証拠ではないか。
 これでは無論、そんなテストで満点を取れる生徒の方がはるかに上である。こうなると自慢だが、わたしの英語偏差値は40だ。
  
 歴史教師も、偏った知識を教えていた。「政府の腐っているK国の国民は飢餓状態にあります。今年の冬を乗り越えられないでしょう!」などと厳しい顔でのたまっていたが、事実はその国は人口の1%も餓死者を出していない。なまじアフリカや中東の難民の方が大勢亡くなっていた。
 それに、「中世ヨーロッパの主食は肉です。パンではありません」などと断言していたが、事実は当時肉を食べられたのは金持ちだけ。農奴はパンやミルク粥、コーンスープなどを主食にしていた。
 日本だって中世の主食は米ではなかった。白米は金持ちの食べ物、農民はアワやヒエ、キビ等を食べていたのに。しかも町と農村では逆転現象があった。保存の効く米は高価なものの町人は食べていたが、保存の効かない野菜は深漬けにしても高価なのに、いつでも食べられる農村なら大根などの値はろくにしなかった。いわゆる大根飯だ。
 魚だって町民からは高根の花だったが、農村では雑魚は田畑の肥料にされた。いわゆる田作りである。
 そもそも歴史は王侯貴族や金持ちの文化しか教えていない。ドラマ時代劇はほとんど町民しか登場しないが、事実は当時人口の九割は町に住めない農民か漁師、町に住むのは残りの九分の商人や工職員、最後の一分が士族、浪人、侍だ。
 正確に庶民の生活を赤裸々に描いていた漫画は『カムイ伝』だが、これは政府から原作者圧力を掛けられたらしい。
 さらに教師は三国志の主人公、劉備は漢王朝の王子であるのは嘘っぱちですけどね、などと吹いていたが。事実は先祖に当たる劉勝は百人以上子をもうけていた。それだけ子がいれば、少しは劉備が血を引いている可能性余裕にあるではないか。
 歴史教師は第二次世界大戦とは違い、古代に中世当時の戦争は科学力ではなく数です、としていたが。ならば有名な信長の桶狭間の戦いをどう説明するのだ? 事実は戦争の鍵を握るのは戦略に戦術であり、それを裏付けるのが情報だ。これらは立派な科学、学術に区分されるはず。孫子の「敵を知り味方を知れば、百戦危うからず」である。
 古代欧州アレクサンダー大帝が数万の兵力で、総計数十倍はしたはずの戦力に打ち勝った秘訣はここにある。事前に侵略する国の情報を仕入れ、辺境を守る勢力などスルーして拠点となる首都などの要所を一気に強襲すれば。孫子の「兵は拙速を尊ぶ」ランチェスター戦略の「一点集中」だ。
 だいたい、いくら乱世であれたいていの平民は普段は平和に慣らされているから、いきなり殺戮略奪凌辱野心剝き出しな良く訓練された軍隊の侵略など受ければ総兵力で勝っても、統一された士気が保てず瓦解する。アレクサンダー自身、支配下では正面決戦よりむしろ、抵抗勢力のゲリラ戦に苦戦していたらしい。これこそ情報戦だ。
  
 学生時代、太平洋戦争時の日本の戦艦「金剛」がドイツで建造されたとのたまっていた化学講師がいた。事実はイギリスなのだが。戦艦の建造は何年間もかかる。第一次大戦で日本と同盟国だったイギリス製と知らなかったとは。いくら大学教授とはいえ専門分野が違えば素人なのが証明されたな。
  
 昔都心の駅で、大道芸人がいたな。小物を使って一人芝居で、美術作品を真似する芸。ミロのヴィーナスや、ミケランジェロ像、モナリザの微笑み、ムンクの叫び等など。それを続け、観客が集まってきたところで彼は観客にエキストラの協力を頼み、幾人も登場する絵画(? 忘れた。真夏の夜の夢かな?)を演じて芸を締めくくったのだ。これはユニークでおもしろかった。
 しかし、観客に一人馬鹿がいたのだ。「なにあれ~っ。ただ人に動いてもらっているだけじゃない。てっきり超能力でみんなを操っているのかと思ったのに。馬鹿みたい」とか大声で言って、けらけら嘲笑しているのだ。
 この言動で、このおばさん(三十歳くらいかも知れないが当時ガキのわたしとしてはおばさんだった)は芸術に無知な上、御都合主義に働く超能力が実在すると信じているとんでもないビリーバーであることがわかる。恥を掻いたのは自分だ、などと誰も説明はしなかったが、実に痛い光景だった。
  
 痛い思い出としては、高校の生物のテストが89点だった。わたしは八十点台なんて恥ずかしいと答案を伏せていたのだが。教師が一言。「今回の期末で最高得点は89点でした」と。
 そうしたら、85点くらいだったらしい男子生徒が、女子生徒たちから黄色い声を浴びせられていた。
 同じく、微積分で85点だったとき。わたしに、「おい、おまえカンニングしたろう」と後ろの生徒から言いがかりをつけられた。そいつも85点だったのだが、答案を確かめると、彼は最後の問題を間違え、わたしは最後から二番目の問題を間違えていた。
  
 こういう馬鹿ないさかいがあるから、わたしはとことん学校が嫌いだ。ストレスがたまるだけ。中学模試と高校模試の偏差値格差が10くらいあった世代だ。それを知らない付属校エスカレーター組は、「自分は工業高校なんかじゃなければ、もっと良い大学へ入れたんだ」などと勘違いして一般受験組を馬鹿にしていた。そいつらはしょせん私立高出のボンボンで、多くが進級できず留年していた。
 勉強を競争ではなく、好んで楽しんで満足できるのが理想である。病床中のいま、貯金は減っていく一方とはいえ、自由に楽しんで読書と創作に浸れるのがつくづく幸せである。