学歴信仰の裏には、年齢信仰があった。人間の知性は成長期を終える二十歳がピークだと。むしろ、大学受験を迎える十八歳がピークの山場で、それを過ぎたら大学はレジャーランド。講義なんて代返で逃れて合コン、酒タバコギャンブル異性交遊するので日本の大学生は世界一馬鹿な人種とさえされた。
実際、単純な記憶力と暗算速度は小学生から中学生にかけてがピークであり、文系の大学生なんてマジで算数の割り算筆記計算の仕方を忘れているのが存在する。
事実、わたしも大学時代は九九を半ば忘れていたが、情報科だったので、プログラマーは公式、関数を作れれば良し。計算はパソコン任せだなどと開き直っていた馬鹿だ(←凄まじい自慢)。
だが、総合的な見識、判断力、決断力に知識教養としては、やはり亀の甲より歳の功である。子供のころはなまじ余計な葛藤に囚われやすい。考えがとりとめもなくひっきりなしに浮かび、良く言えば悩み、悪く言うと雑念が多い。
そのたくさんの一見無意味に思えるかのような妄想的意識の中で、大人には真似できないとんでもない新機軸な発想が浮かんだりする。しかし大半は、無意味な、というより無利益な戯言を思いつくだけだ。もちろん成長過程においてそうした葛藤を常に抱き続け、「哲学」していたほうがいわゆる情操教育として、はるかに子供のためになる。子供は大人なんかより、いろいろ空想するものだ。
嘘みたいな話だろうが、わたしは五歳の頃から自分の年齢を逆算し、「もう人生の5%を使ってしまったんだ」と考えていた。
これを恩師(大学院出)に話すと、「人生が百年と考えていた辺りが五歳児ね」とからかわれた。そう、七歳少し前のとき祖父が死去し、人生がせいぜい七十年くらいと知ったときはショックを受けたものだ。生きること、命のこと心のこと魂のこと……社会というより世界、宇宙のこと神のこと。
これらはいまわたしが(例外的に真面目な)小説を作成するのに重要なテーマだが、それらの哲学観念は幼児のころ完成されていたといってよい。宗教観や宇宙世界観、科学的概念を常に理詰めで構築する子供だった。
作り話と思われないよう、別の話をする。幼稚園児時代のクラスの幼児が、天国と地獄、現世の絵をクレヨン描きしていた。現世から死後の道に到る道が、なんと天国行きと地獄行き、交差してあった。
そいつはわたしに、「自分は天国へ行けるなんて信じている人間は地獄へ落ち、ちょっと罪滅ぼしに地獄へ行こうかな、なんていう人は天国へ行けるんだよ」と素直な顔で笑っていた。幼稚園児が、こんな実直にすでに生と死を受け止め、倫理観的な素敵な発想を抱くのだ。
本人は覚えているだろうか。五、六歳児のそんな記憶。余談だがそいつが私立中学受験に落ち、わたしを馬鹿にしていじめていたものが一流大を卒業でき官僚になれたのが納得いかない。
そもそも頭が良いから勉強すれば成績が良いのであって、成績が良いから頭が良いわけではない。育った環境が悪く勉強できず、そのためたとえ成績が悪くても頭のいい奴は、知識問題はできなくてもロジック、パズル的な難問を解くし、いくら記憶力だけあって知識問題に満点を取れても、総合的な思考力が良いかは別問題だから、肝心な実技ができなかったりする。
わたしが合格した某旧国家資格だが、自己採点では知識問題62点、実技問題85点だった。ちなみに合格ボーダーラインは計約140点。危なかった。先輩からは、「知識問題ができないのでは、単なる勉強不足じゃん」と指摘されたが、事実はその資格はあの三流大、学科の同期でわたしくらいしか合格していないらしい。中退したので不明だが。
それにその資格の公式なテキストは、全部で十冊以上あるのだ。その膨大な量の中の六割強解けたのなら上出来ではないか。
まあわたしはそんなものまともに読んでいたら何年掛かるかわからないことを知っていたので、過去問題集を三年分ほど読んでいた。試験の七割は過去問と同じ、と聞いたからだ。
他には、用語辞典の無作為読みをしていた。登下校中の電車内とか、暇があれば辞典をでたらめなページを開き、見知らない項目があったら読む。これだけでは理解しづらいので、関連項目を引く、の繰り返し。夜は図書館が閉まるまで雑学系を濫読。
もちろん実技の方に関しては、空いている時間があれば、というか嫌いな講義をさぼって実習室に缶詰。やはりこの時間がいちばん大きかった。
これらでわたしは合格した。資格試験に大半の時間を注ぎ込んだので、大学の学科の成績は実技系以外軒並み悪かったが。
KY氏よろしく傲慢かましてもらえれば、成績が良いとは単に試験を効率よく解けるに過ぎない。頭の良し悪しとは関係ないし、頭の良し悪しが人間性ではないのは当然だ。
了
実際、単純な記憶力と暗算速度は小学生から中学生にかけてがピークであり、文系の大学生なんてマジで算数の割り算筆記計算の仕方を忘れているのが存在する。
事実、わたしも大学時代は九九を半ば忘れていたが、情報科だったので、プログラマーは公式、関数を作れれば良し。計算はパソコン任せだなどと開き直っていた馬鹿だ(←凄まじい自慢)。
だが、総合的な見識、判断力、決断力に知識教養としては、やはり亀の甲より歳の功である。子供のころはなまじ余計な葛藤に囚われやすい。考えがとりとめもなくひっきりなしに浮かび、良く言えば悩み、悪く言うと雑念が多い。
そのたくさんの一見無意味に思えるかのような妄想的意識の中で、大人には真似できないとんでもない新機軸な発想が浮かんだりする。しかし大半は、無意味な、というより無利益な戯言を思いつくだけだ。もちろん成長過程においてそうした葛藤を常に抱き続け、「哲学」していたほうがいわゆる情操教育として、はるかに子供のためになる。子供は大人なんかより、いろいろ空想するものだ。
嘘みたいな話だろうが、わたしは五歳の頃から自分の年齢を逆算し、「もう人生の5%を使ってしまったんだ」と考えていた。
これを恩師(大学院出)に話すと、「人生が百年と考えていた辺りが五歳児ね」とからかわれた。そう、七歳少し前のとき祖父が死去し、人生がせいぜい七十年くらいと知ったときはショックを受けたものだ。生きること、命のこと心のこと魂のこと……社会というより世界、宇宙のこと神のこと。
これらはいまわたしが(例外的に真面目な)小説を作成するのに重要なテーマだが、それらの哲学観念は幼児のころ完成されていたといってよい。宗教観や宇宙世界観、科学的概念を常に理詰めで構築する子供だった。
作り話と思われないよう、別の話をする。幼稚園児時代のクラスの幼児が、天国と地獄、現世の絵をクレヨン描きしていた。現世から死後の道に到る道が、なんと天国行きと地獄行き、交差してあった。
そいつはわたしに、「自分は天国へ行けるなんて信じている人間は地獄へ落ち、ちょっと罪滅ぼしに地獄へ行こうかな、なんていう人は天国へ行けるんだよ」と素直な顔で笑っていた。幼稚園児が、こんな実直にすでに生と死を受け止め、倫理観的な素敵な発想を抱くのだ。
本人は覚えているだろうか。五、六歳児のそんな記憶。余談だがそいつが私立中学受験に落ち、わたしを馬鹿にしていじめていたものが一流大を卒業でき官僚になれたのが納得いかない。
そもそも頭が良いから勉強すれば成績が良いのであって、成績が良いから頭が良いわけではない。育った環境が悪く勉強できず、そのためたとえ成績が悪くても頭のいい奴は、知識問題はできなくてもロジック、パズル的な難問を解くし、いくら記憶力だけあって知識問題に満点を取れても、総合的な思考力が良いかは別問題だから、肝心な実技ができなかったりする。
わたしが合格した某旧国家資格だが、自己採点では知識問題62点、実技問題85点だった。ちなみに合格ボーダーラインは計約140点。危なかった。先輩からは、「知識問題ができないのでは、単なる勉強不足じゃん」と指摘されたが、事実はその資格はあの三流大、学科の同期でわたしくらいしか合格していないらしい。中退したので不明だが。
それにその資格の公式なテキストは、全部で十冊以上あるのだ。その膨大な量の中の六割強解けたのなら上出来ではないか。
まあわたしはそんなものまともに読んでいたら何年掛かるかわからないことを知っていたので、過去問題集を三年分ほど読んでいた。試験の七割は過去問と同じ、と聞いたからだ。
他には、用語辞典の無作為読みをしていた。登下校中の電車内とか、暇があれば辞典をでたらめなページを開き、見知らない項目があったら読む。これだけでは理解しづらいので、関連項目を引く、の繰り返し。夜は図書館が閉まるまで雑学系を濫読。
もちろん実技の方に関しては、空いている時間があれば、というか嫌いな講義をさぼって実習室に缶詰。やはりこの時間がいちばん大きかった。
これらでわたしは合格した。資格試験に大半の時間を注ぎ込んだので、大学の学科の成績は実技系以外軒並み悪かったが。
KY氏よろしく傲慢かましてもらえれば、成績が良いとは単に試験を効率よく解けるに過ぎない。頭の良し悪しとは関係ないし、頭の良し悪しが人間性ではないのは当然だ。
了