宇宙移民、なんて二十世紀のSFではさかんに問われていたが。現実は。いわゆるワープなんて数学上、素粒子レベルでしか実現不可能だった。奇跡のシフト空間発生までは。
 仮に亜光速の移民船を作ったところで別の恒星系、それも地球の生命の生存できる惑星に辿り着くなんて、確率論的に、宇宙の始まりから終わりまでの時間をかけても絶望的だ。
 だいたい、加減速の際に相対的時間歪曲が起こるから、船は時間的に孤立してしまう。
 スペースコロニーなんて、夢物語に過ぎないはずだった。エーテルドライブなんてない既存の技術では、エネルギー的に無理なのだ。『魔法革命』以前の現在の発動機出力では、一度に百トンを打ち上げるのも到底不可能、宇宙ロケット、宇宙船のドライブ推力が百倍になっても無理。一万倍で何とかというレベルだ。まあ百倍あるなら宇宙旅行は十分可能ではあるが……
 これらの思考を、ピクシーは読んでいたのか話してきた。「宇宙へ出ても、地球型異星人なんて巡り合えなかったわね、まあ、たかが太陽系内の話だけど」
 涼平は答えた。「問題は、あそこだ。月。あんな天体が、他なら無い人間の住む地球の衛星となっていることが、証明している。まず、その巨大さ。地球の大きさの四分の一。比率としてはこれほどの大きさは、太陽系の他の惑星にも例がない。
 それから、見かけ上の大きさが、太陽とほぼ同じだということ。それによって、古来から神話では太陽と月を対に神格化していた。
 何よりも、自転・公転周期が地球の自転と全く同じということ。これにより、月の裏は決して見えない。ほんの少し自転速度が違うだけで、崩れてしまうはずなのに、月の裏は地上からは決して見えない。偶然も重なれば必然となる。
 なぜ地球に生命が誕生したか。太陽との立地条件もあるが、進化を加速させたのは月だ。満ち引きにより刺激を与え。ギリシア神話では、アポロンとアルテミス、太陽と月を崇拝していた。命を育む太陽と並んで、月は神格化されていた。
 火星はといえば。フォボスとダイモスの二衛星があるとして、小さすぎる。火星人は人間の子孫なのだ。ひとたび大地に海に還元されてから甦った人間」
 ここでレッドアラートがまたしても! サイレン音に真っ赤な警告表示、なんなんだ!? 敵襲か、いや、ありえない。こんな早くなんて!
 ピクシーは警告していた。「ジンバレルのコウがクラックされた! これではジェイルバード艦隊は全滅するわよ! というか、このクラックでは日中バイオ艦隊及び、SDFも多国籍軍も地球外シフト空間すべての機体が無力化されてしまう!」
「ピクシー、きみに対処できないか?」
「無理よ! ひとたび侵入を許せば、電算機を破壊するなんて容易なこと、破壊するほうが創造するより何桁も簡単なことくらい、当たり前でしょう? それこそソフト本体の数兆分の一未満のコードで破壊されるわ」
 クラックだと、しかし誰が……0のはずはない。するとまさか? 通信を入れる。「直人、おまえなのか!?」
「そうさ、真理を見捨てるわけにはいかない。過半の投資をして編成された機動戦力を失ったいま彼女の家、大資本家の新庄家はこのままでは日中バイオに謀殺される」直人の顔は歪んでいた。「すまないな、涼平。おれは世界の敵を護るものなんだ。誓いを思い出せ」
 はっとする涼平だった。ジェイルバードの掟。間違っているならば、神すら敵とする。輝いているならば、塵芥でも救う。虐げられる一人のためなら、全世界を敵に回す……「直人! おまえは戦い抜いた。争う理由は無いはずだ」
「欺瞞に満ちたこの世界で、おれはおれにできることを果たしただけだ。誰も間違っていなくとも、世に葛藤は起こる。すべてが完全な理解の上に成り立っているはずもない」
 世の中に絶対的な正義なんてない。絶対的な悪なら存在するのかも知れないが……倫理感を人間の視点からではなく、拡大して考えればたしかに人の世で起こる善悪など相対的なものだ。
 ピクシーは告げた。「でも、いずれ日中バイオの刺客がやってくるわ、地上にいて無防備な直人は間違いなく殺される」
 直人は肩をすくめただけだった。モニター越しに、ロシア製拳銃トカレフらしい発砲音が聞こえてきていた。日中バイオの連中か!
 涼平は叫んだ。「承知の上か。直人! こんな終わりなんてありかよ、勝ち逃げか!?」
「涼平、おまえは戦士だ。仲間に必要とされる時に生き戦い、仲間に必要とされる時に戦い、死ねる。だがおれは違う……おれにとって、自分の命は宇宙すべての存在と等価だ。自分一人死ぬのも、全人類が滅ぶのも同じだ」
「直人! だからこそおまえは戦えるはずだ、愛する一人を護るためなら、おまえは全世界を敵に回しても戦う、それが俺が知る直人、俺の親友だ!」
「ああ、親友だ。おまえはクリスチャンでアニオタでロリコンでさえなければ完璧なのにな」
「余裕かましている場合か!」
「戦うとも、おれは戦士には程遠いが、真理を守るためなら宇宙そのものを滅ぼしても良い。おれには密造拳銃スクリームがある、おれのハンドガンの実力は知っているだろう?」
「だが相手は義理も筋もねえチンピラが何百人と!」
「ああ、おれはここで死ぬが。時空は輪廻するとあれば……もとの時代に戻ればおまえの世界ではおれは生きているだろう。時の狭間でまた会おうぜ、相棒!」
「おまえ何様のつもりだ! 悲劇のヒーローにでもなったつもりか? いま助けに行く、待っていろ、それまで逃げろ! シフトランチャーで拾い上げてやるから……」
 成す術なく、銃声が近づいてくる。間に合わないのか、モニターは切られた……。次いでコウの報告が届いた。戦死扱いか。
 訓練中に事故死した新兵を除けば、二階級特進で二等兵な兵士なんて史実珍しいのではないか? 直人元四等工兵……
 神無月は語りかけていた。「俺にもクラックは阻止できないが、時間をさらに遡行すれば、宇宙そのものがなくなるのなら、その誕生の瞬間にたどり着ける。時空は輪廻し、もとの時代へ戻れるはず。いつだってジェイルバードは甦る。何度でも、時代を超えて……」
「そうさ、世に欺瞞のある限り俺たちの旅は続く。許してくれ、とはいわない。いつか道は交差する」
「艦隊戦後の無数のデブリを回収する必要があるわ」ピクシーが驚愕の声を上げる。「惑星軌道や彗星軌道に乗っているのよ! 数十年周期で地球に流れ落ちるわ。地球との最大衝突予測時は西暦2000年から666年後よ。そのとき『端末』が働いていたら、生きた金属ナノマシン媒体が地上に降り注いでしまう」
「無用だ」
「え?」
「いいのさ」涼平は軽く言った。「そのときには地上では。戦争なんてない、平和な時代になっているだろうからね」
「ようやくおうちに帰れる……」通信モニターに現れた元帥一典はエグエグ泣いている。「なにもかも、失うことになるけど、もういいよね。結果より、家庭が大事っていうもんね」
「結果より、過程が大事、か」一典が漢字を間違えているとは露知らず、涼平は同意した。「そうだな。苦しい道のりだったが、決して不毛な日々ではなかった。ピクシー、地球へ最後のシフトを頼む。おそらくシフトはこの一回しか使えない」
 未来への……もといた二十一世紀へのシフトは、無事に済むだろうか。涼平は、込み上げる感情に触れるかのように、胸ポケットに手をやった。愛喫の、ロングピースをつまみ出す。ピクシーは困った顔を見せていた。あの時代へシフトするのを最後に、ピクシーは涼平の中から消えるはず。
 涼平はタバコを口に加え、古びたジッポで火をつけた。そして、辛口の煙を胸いっぱいに喫いこんだ。芳醇な刺激臭が、部屋に充満する。あんなもの、どこが「ピース」なのかしら、などとピクシーがぷりぷり怒っている声がした。
  
* 時の鎖 終 *