ドラゴンフライは敵イージス艦に鹵獲され、地球の衛星、月軌道上にシフトさせられていた。俺は一人エアロックを抜け、イージス艦内部に誘導される。まるきりの無人艦、居住スペースは小さい。モニター超しに、大地が話す。
「意外だろう、ここまで作戦を逆手に捕らえられるとは。われらには協力者がいたからね。ご紹介しよう」
 モニターに別のウィンドゥが開く。現れた男に愕然とする。横島直人! こいつ俺を裏切って。
「直人、貴様!」
「は、もともと二重スパイさ。エージェントの役割りは二つの組織双方の情報を操作し、互いに繁栄させることにある。汚い仕事さ。紳士にしか勤まらないってね」
「紳士なんておまえに言えた口か! 裏切るつもりなら、何故俺に海賊なんてやらせた。何故ピクシーなんてつけた?」
「過去、ほんの八十年代での未来予測では、機械化による労働力の削減、融合炉による無限のエネルギーは予期されていたが。ここまでの情報化社会の発達は、どんな学者も想定していなかった。パソコンと携帯。無線電話なんて、シミュレーターなんて。現実と区別できない映像の中を、歩きまわれるなんて」
「直人、なにを言っている。質問に答えろ!」
「答えているさ。最新の技術を持ってしても、人間を超える人工知能はできない。現在のコンピューターではね。単純に、計算速度では人間を遥かに上回っても、状況判断や分析といった能力は劣る……心当たりがあるだろう」
「ピクシーのことか? はっきり言え!」
「そうさ。ピクシーは機械ではないからな」
「言っていたじゃないか。ピクシーはAI、人工知能だって……」
「そのとおりだ。うそは、言っていない。だが、ロボットやアンドロイドだなんて、一言も言ってないぞ。機械仕立ての人形が、ファンタジーアニメの妖精のように、宙に浮いたり、ぱっと姿が消えたりすると思ったのか?」
「では、ピクシーはなんなんだ!」
「妖精さ、そう命名されている。ピクシーはロボットではないんだ。涼平の脳内に埋め込まれた、生体思考回路なんだ」
「俺の脳?」
「涼平、おまえにとっては、本当の人間に見える。触ることもできる……触っているかのような、感触を得るだけだが。だが、それは涼平にとってのことだけ。回りからは、見ることはできない」
「おまえからだって、どのオペレーターからだって、ピクシーは見えていたはずだ!」
「そう、無線通信回路とリンクすれば別だ。ピクシーは、この操作を行っていた」
「説明してもらおうか。事としだいでは、俺はおまえを許さない」
「人間の脳は、いまだコンピューターの数億倍の潜在能力を占める、とされる。しかし単純な数学的処理速度では、遙かに劣る。脳みそが三次元回路だからな。
 ここで、脳のごく一部の神経を、人工的にいじくって二次元回路を組み立てる。結果、人間の脳内にコンピューターが誕生する、というわけだ。虚像であり、生き物ではない。
 だが、知能はもちろん、自我も持ち合わせる。それが、機械のコンピューターとは違う。つまり、涼平とピクシーは同じ脳でものを考える。だが、ピクシーは涼平とは別人格なのだ」
「では、ピクシーは俺の脳内の、想像の産物なのか!?」
「虚像だが……実在している。現実を受け入れろ」
「勝手な真似を!」
「しかたがなかったんだ。だが、許可はとったぞ」
「誰のだ! 一典か?!」
「涼平、おまえのだよ」
「俺は、そんな承諾はしていない!」
「そうだな。覚えては、いないからな」
「どういうことだ?」
「記憶は、無いだろう? それが、必要だった。涼平、おまえとお嬢さんの仲を、本当の人間同士のように密接にするためにね」
「記憶を、消したのか。そうか。以前の俺は、その手術を受け入れた……」
「そう。おまえは、志願したんだ。失敗するかもしれない……死ぬより、悲惨なことになるかもしれない賭けに。常人には真似できないな。だが敬虔なクリスチャンで、正義感の強いおまえなら。そしておまえは持ち前の精神力で、手術を乗り切り……妖精を自分の相棒にした。並みの人間なら発狂していたろう」
「直人、おまえまさか!」
「そうさ、このプロジェクトの最初の被験体はおれだ。おれはこの手術により、一部の知能が向上し、工業技術分野での多くの開発が可能になった。だが、それは一時のこと……おれのなかで、もうひとつの人格が肉体の所有権を求めて暴れ出した。
 多重人格だ。廃人同然になったおれは、再手術でなんとか助かったが、もう昔のような働きはできない。おれのもう一つの人格は、破壊されたが残骸が、亡霊のように残っている。少し気力体力が弱るや、すぐに幻覚、幻聴に襲われる。
 妄想の強迫観念から逃れるため、向精神薬を使い……いや、言葉を取り繕ってもしかたがない。麻薬づけになり、酒浸りの日々……。奇妙な符号じゃないかい、かつてコンピュータープログラムのオブジェクトは、デーモンと呼ばれていた。堕天使、妖精」
「それを押さえるために、飲みたくもない酒を、飲んでいたってわけか」涼平は嘆息した。「おまえに頼んだ俺が馬鹿だった」
「いまごろ気付いたか、このたわけ」
 涼平の心中に、冷たいものが吹き抜けた。