強行私掠艇ドラゴンフライは、太陽系外宇宙を浮遊していた。エーテルドライブ(通常推進ドライブ)は、ウォーム状態にはあるが作動させていない。いくら通常ドライブで加速したところで、広大な宇宙では星から星へなんて辿り着けないのだからシフトドライブ(空間跳躍ドライブ)の補佐的役割りを果たすだけだ。
 シフトで目標天体至近に跳躍、通常ドライブで数時間、あるいは数日かけて接近する。エーテルドライブはもしくは、戦闘時の移動用だ。
 涼平はロングピースを一服しながら、皮肉げに思い返した。
 むかしのライトSFに、0.5Gの加速で旅行者が宇宙船酔いし、うんうんうなっている描写があった。そいつは地面に寝転がっているだけで酔うのか? 幸せなやつだ。等加速度運動で、酔うはずはない。むしろ自然では無加速、つまり無重力の方が人は酔う。宇宙酔いだ。人は加速度の変化、揺さぶりで酔うのだから。
 しかしその小説には、推進の際振動で船体が揺らいだ、なんて描写はないのである。
 レーザー光線を撃たれてから目で見てよけるアニメヒーローがいた。それに熱中していた、こんな矛盾したロジックさえ理解しなかったやつが、現役で国立大の工学部に入学した。数学、物理学を単に公式の暗記だけで済ませ、公式の理論に意味に実現象について考えなかったようなやつが、単に試験に受かっただけで進学する。
 当たり前だが、レーザーは光だ。見えた、ということは既に目に命中したということなのに。第一、光を避けるなら天文学的な加速、マス・ドライバーなんて比較にならない爆発的な初速が必要だ。9Gの加速で気絶するのが人間なのに。
 そのアニメでは、ロボット同士が亜光速で移動しながら戦う設定だった。秒速三十万キロなんて、10G加速でも何日必要だよ。だいいち、亜光速なんかで移動していたら、うらしま効果で時間的にそいつらは孤立してしまう。
 過去の傑作とされるSF小説に、ブラックホールに引き込まれた宇宙船が、他の船すべてのロケットエンジンを詰め込んで加速、脱出するなんて話がある。または、船体を半分切り離し、反動で脱出するなんて話も。どんな加速をしたって光の壁は超えられないというのに、光より速く収縮するブラックホールからどうやって逃げられるというのか。まったく、そんな小説ですらネビュラ賞を貰っているのだからな。
 馬鹿な話だ。相対性理論を数式だけ諳んじ、実現象として理解しないやからがのさばっている。光ですら脱出不可能ということは、どんな加速を試みても不可能という自明の理が何故わからないのか。相対性理論により、質量を持つ物質の速度は光速を超えられないのだから。どんなに加速しても、質量が無限に増加し、それに伴う加速に必要な推力は減退し、光の速さは超えられないのだ。
 光とは、空間を伴う限界の現象だ。逆方向では、光は無限に引き伸ばされ、その波長は無限大、周波数はゼロとなる。順方向では、光は限りなく圧縮され、波長は限りなくゼロ、周波数は限りなく無限大、エネルギー的にも無限となる。
 涼平がタバコを吸い終えると、ピクシーは現れた。
「涼平、説明してくれない? あんなにたくさんのミサイルを散布するなんて。しかも全弾、空弾頭なのは?」
「ミサイル機雷作戦。敵の予測進路上に、推力を点火していない誘導ミサイルを伏せておく。一方で身軽になったドラゴンフライは、敵側面に回りこむ。手近な獲物を次々とシフトランチャーで捕らえる。一人十字砲火の完成だ」
「たった一機で、不特定多数の敵を相手にするというの?」
「危険はない。敵はおそらく、反撃はしない」
「どういうこと?」
「敵を包囲するときは逃げ道を開けろ、これが前提だ。戦争とは敵戦力の殲滅を持って成す、なんてのはプロイセンの時代の膠着した塹壕戦までだよ」
「数に勝る敵を、逆に包囲するなんて」
「敵もそう無能ではないさ。負けないことは大切だが、負ける前に逃げるほうがもっと重要だからね。命あってこそ、再戦の機会もあるというもの」
「そう……やってきたみたいよ、追っ手。通信、傍受するわね」
 ……
「ゴキブリには殺虫剤は効かない」大地の声だ。「殺虫剤は単に毒性だけで虫を殺そうとしているから効かないのさ。ゴキブリは洗剤を掛ければ即死する。油分をとりさって、表面に粘着、呼吸できなくするから。生命力、抗生の強いゴキブリに殺虫剤は効かないのさ。効くとしたら洗剤か新聞紙かスリッパだ。僕らはゴキブリに洗剤を掛け、弱ったところで新聞紙で叩き、スリッパで押し潰す……」
 ……
 涼平はパッシブレーダーを確認した。座標は、予測とほぼ同じ。彼我距離、三千キロメートル。見たところ、敵は先のイージス艦に加え、哨戒艇五隻を投入している。
 さっそく、作戦を開始する。敵予測シフト地点に忍ばせばら撒いておいたミサイルの右翼の一基を点火し、敵艦隊とは逆方向に撃ち放つ。たちまち、敵艦隊はそれに目掛けて加速していった。掛かったな。ミサイルを涼平の船と誤認しているのだ。
 大地から通信が入った。
「臆病者。逃げ足だけは速いんだな、ゴキブリが」
「上等だね。一匹ゴキブリを見つけたら、あとなんだった?」
 涼平はそう答えた。直ちに全ミサイルを大地の艦隊目掛けて撃ちこむ。完全な包囲戦術だ。五十三発の対艦ミサイルは、12Gという狂ったような加速で突っ込んでいく。
 が、敵艦隊はミサイルを雨の様に乱射してきた。対戦闘機向けの、小型ミサイルだ。対ミサイルミサイルか! しまった、予測していなかった。まさか敵艦隊が対艦用武装を捨ててまで、小型艦のドラゴンフライだけを目標とするとは! 洗剤作戦とはこのことか。
「ピクシー、シミュレートを!」
「このままではこちらの対艦ミサイルは、敵小型ミサイルにすべて叩き落されてしまうわ、二分と掛からない」
「作戦変更! ピクシー、すべての対艦ミサイルを、α軸120度旋回してくれ、敵艦のロックは解除」
「了解、ミサイルを囮にして逃がすのね」
「そうだ。逃げ切れないミサイルは、自爆させてくれ」
「了解、少しでも敵ミサイルを巻き込むようにするわ」
 数千発という、小型敵ミサイルの群れは、対艦ミサイルを追尾して散っていってしまった。涼平は冷や汗を掻いていた。まだ、打つ手はある。対艦ミサイルの方が、加速度も射程も長い。
「ミサイルは弧を描く様に旋回、再度敵艦隊を狙ってくれ」
 敵の小型ミサイルは、百秒ほどの加速でもう推進力を失ってしまった。次々と自爆して消えていく。しかしまたもや俺は意表を突かれた。敵艦隊が、レーザーキャノンを斉射してきたのだ。
 一見乱射しているかに見えるレーザーだが、光の速さで突き進むレーザーにとって、たかだか数千キロの距離の加速度12Gのミサイルなど、静止しているも同じだ。だが、ミサイルに精密に照準を合わせるのは困難なはずだった。敵も新技術を使用したらしい。涼平の用意した対艦ミサイルは、すべて敵レーザーに撃ち落された。
 大地から通信が入る。
「こんなことでくたばりはしないだろう、ゴキブリ。さあ、姿を見せろ。スリッパで踏みつけてやる」
 こうなれば、逃げるしかない。敵味方、なんという無意味な消耗をしたものか。ミサイルだって一発十万ドルはするというのに。十億円以上もの消費だ。地上でそれだけあれば、一生遊んで暮らせる。
「ピクシー、離脱だ。緊急退避用のΣポイントへ」
「了解、エンター!」
 なんて醜態だ、戦果もなく逃げ延びるだけとは。しかし、退避の準備はもとからできている。瞬時にシフト、離脱できる。
 シフトアウト……!? 涼平は愕然とした。Σポイントに敵無人戦闘機が六機配備されている!
 再シフトの余裕はとてもない。捕らえられたな、戦闘機相手では勝ち目はない。次いで、大地のイージス艦隊もシフトアウトしてくる。
 大地から繰り返し降伏勧告が入る。
「停船せよ。対艦ミサイルの弾頭は空だったな、われわれにも無益な人殺しをする気はない。緊急退避ポイントは、月と天の川の光源により、地上からは外宇宙背景輻射に紛れる『薄闇』のポイントを選んでいたな。もうおまえは四回はそのポイントを点々としたから、別のポイントも予測していたのだ。この広大な宇宙で網に掛かるなど馬鹿に思えるが、なまじランダムアクセスでは座標を見失う危険が伴うから工夫していたのはわかる。裏目に出たな」
 無人機相手に、命張る理由は無い。ピクシーを道連れにすることはできない。涼平は降伏勧告を受諾した。
 ピクシーは哀しげに目を向けると、姿を消した。