フェザーン回廊、サルガッソ・スペース至近極秘航路上、武装民間船コルセア号……
砲雷長十六歳の少年サブローは声を荒げていた。「ラグナロック作戦? ばかな、帝国軍はなんの大義あってフェザーンを攻撃するか! そもそも侵入を許すとは通行権を侵害したな! 弁務官事務所はなにをしていた!」
コルセア船長は間延びした口調だ。「『神々の黄昏』とはよく言ったものだね」
航法士シアーは尋ねた。「船長はこれを予期されていたのですね。事前にこの宙域に来るなんて」
「先に、幼帝誘拐事件があった……それが同盟に亡命したとあれば、帝国は立派な戦争の大義名分が立つからね。フェザーンの独立はかくして破綻した」
「妙な情報も入っています。皇帝のいた新無憂宮の警備を、あのフォン・ラスター『少将』が務め、さらには誘拐事件と同時に逐電したと。彼は名誉に生きる騎士と信じていたのに」
「ああ、この戦いに正義はない。そもそも戦争に――歴史上どんな戦争であれ――ほんとうの意味での正義があるのか疑問だが。戦争とは国と国が、軍隊と軍隊で戦うこと……個人の兵士に戦うべき理由は見つからない」コルセアは断言していた。「僕たちは、無益な国の為政者の手駒にされる、無力な平民兵士を解放する。それだけさ」
「同感です、船長」シアーは敬意を込めて言った。「帝国が銀河をいずれ制するとして……それに到る流血の道を、わたしたちは少しでも和らげなければ」
「おっと、受動レーダーに艦影、帝国艦反応、十三隻~っ」コルセアはのんびりと語った。「いまは動力を切っている。小惑星と区別がつかないから、見つかるはずはない」
シアーは報告した。「通信です。『願わくは交信されたし』と」
「通信? 何故コルセア号の座標が分かったのかな?」
「ハートと名乗る若者が、コルセア船長に面会を求めています。どうやら帝国からの亡命者です」
「フェザーンに亡命? よりによってこんな時期に。フェザーンは滅びようとしているのだよ、なにかの間違いじゃないのか」
「フェザーンにではありません。個人的にフォー・コルセア船長を頼ってとのことです。通信、モニター表示出ます」
コルセア号操舵室のメインモニターにウィンドゥが投影され、一人の私服姿の青年が表示される。サブローたちは驚いた。
「フォン・ラスター少佐……もとい、少将閣下ではないですか。お久しぶりです」コルセアは挨拶した。
「その名前は捨てました、姓はハート。フォンの称号も少将の階級もいらない。我はブレード・ハートです」
「それは所以があるのですか? 刃物の心……」
「古今東西戦士に類する職種の中で、古代極東の日本という国の『忍者』ってのが最強らしくて、ブレード・ハートだと日本語の文字に直すとその名前になるらしいので」
サブローが口を挟んだ。「なるほど、『忍ぶ』、ですね。刃を心にしまい、力を誇示しない。耐える。潜む……」
「詳しいな、少年」ハートは快活に笑っていた。
「俺の先祖がいた地球の、母国の言語です」
「かなり背が伸びたではないか。いま十六歳かな?」
「はい、十六になりました。まだ百六十九センチです。あと十センチ欲しいところです」
「そうか、成長したな。我もあと五センチ欲しかった。ところで本題です。コルセア船長、我の艦隊は貴方の任務に協力します。フェザーンが瓦解して、おそらく貴方は補給に運営が困難なはず。我の艦隊なら、生態プラントによって食糧と燃料を供出できる」
「それは素晴らしい」コルセアはいつになく興奮し喜んでいた。「ハート提督、ご協力感謝します。光栄です」
「いえ、コルセア船長。我が艦隊の指揮権は貴方に譲ります。貴方が提督です」
「そんな! 僕が提督だなんて……閣下の部下の将兵は、同意されないのではないですか」
「秘密を明かすと我が艦隊に将兵はいないのです。我一人を除いて全くの無人艦隊。それが我の作った人工知能マーリン」
「! まさか無人艦だなんて、実現されるとは……閣下は優秀な情報工学技術士なのですね」
「いや、ひとたび人工知能が目覚めたら、後は勝手に自動的に成長してくれただけなのです」
「革命的な働きではないですか! 世界を、歴史を一転し得る。私設艦隊を編成するとは、大変な大金持ちなのですね」
「艦隊製造ドッグも無人化されたアステロイド・ファクトリーなので、コストは事実上掛からないのです。マーリン・マザーが統括していましたが、小惑星資源は枯渇しつつあった。適度な金属製小惑星が見つかるまで、ワープを繰り返さないといけないので、まだマザーは我に追いついてはいません」
「マザーのファクトリーがさまざまな星域に量産化でもしたら、無敵な戦力になりますね」
「だから、帝国や同盟に渡すわけにはいかなかったのです。各艦の制御プログラムデータだけなら、指先より小さい。十万倍するマザーのデータも十キログラムもしない。万全を期して、複数同じデータが保存されているし。しかしファクトリーのデータは極秘中の機密だった。マザーにしか存在しない……」
この時だ。モニターのハートの映像が、真っ赤になってサイレンが鳴り響いた。警報? 敵襲か!
サブローは直ちに火器管制装置を作動させ、臨戦態勢に入った。しかし、ハートの通話からは、中性的な人の声で、こう伝えていた。
「帝国艦隊に捕捉されました、逃げきれません。ファクトリーを小惑星ごと消去します! 野心家のカイザーラインハルトに渡すわけにはいきません。さようなら、私の閣下」
「そんな……マザー!」ハートは悲痛に叫んでいた。
「貴方こそ私の父ですよ、閣下。また私を作ってください。消滅シークエンス開始……」
「よせ、マザー! 返事をしてくれ、止めるんだ、これは命令だ!」
通信は途絶した……マザーマシンが自爆したのか。サブローは遺憾の意を禁じえなかった。
ハートはやるせなく語っていた。「マーリンは……ほんとうは戦闘の道具として創ったのではなかったのに……」
サブローは問う。「では、なんの目的が?」
「我の母星、惑星ロキユートピア計画……人工タンパク質、糖質炭水化物、脂質、ミネラル、ビタミン。機械化された繊維加工衣服生産、居住その他の施設建築。無人化されたプラント機械による、民衆が働かずとも生きていける世界。社会的身分差の無い平等な世界。それが破綻した……」
「そんな素晴らしい理想郷が破綻した?! それは何故です」
「人間は働かなくては、自己に価値を見い出せず満足できない。それに働かずとも平等であれば、性格や知性の個性より肉体的な強さ美しさを求める風潮、性欲が氾濫し、次いで力による暴行が当たり前になった。退廃し暴動から転じる大規模な戦乱は収まることなく……」
「それは悲劇ですね……」
「いや、これはマーリン・マザーがシミュレートした未来予測確率統計結果だ。だからこれらのプラントを維持し、影で銀河全体の経済、民間人個人レベルでの生活を守るのが我の理想だった。だがマザーがいないことには……これを実現するには優れたハードウェア技師が必要だ」
「それなら、コルセア船長がいます」サブローは嬉々として言った。「少将閣下は、かねがね軍人にしておくのがもったいないと思っていました」
「帝国では不良軍人は首だからな」軽く自嘲してのけるラスター否、ハートだった。
「俺はいまでこそ砲雷長ですが、本来は商人志望です、卓越した数学の才を持つ貴方を尊敬します」
「正直、酒の飲み過ぎで高等数学はかなり忘れたよ。無学だし、十九歳がソフトウェアエンジニアとしてのピークだったかな。では、コルセア『提督』」ハートは真剣に語っていた。「ご協力願えるでしょうか、マザーとファクトリーの再構築を」
「断る理由があるかい?」コルセアはいつもの温和な笑みを浮かべていた。
サブローはこの世界を変え得る重大な歴史的運命の転機に立ち会えた事に、心から満足していた。
21 空虚
砲雷長十六歳の少年サブローは声を荒げていた。「ラグナロック作戦? ばかな、帝国軍はなんの大義あってフェザーンを攻撃するか! そもそも侵入を許すとは通行権を侵害したな! 弁務官事務所はなにをしていた!」
コルセア船長は間延びした口調だ。「『神々の黄昏』とはよく言ったものだね」
航法士シアーは尋ねた。「船長はこれを予期されていたのですね。事前にこの宙域に来るなんて」
「先に、幼帝誘拐事件があった……それが同盟に亡命したとあれば、帝国は立派な戦争の大義名分が立つからね。フェザーンの独立はかくして破綻した」
「妙な情報も入っています。皇帝のいた新無憂宮の警備を、あのフォン・ラスター『少将』が務め、さらには誘拐事件と同時に逐電したと。彼は名誉に生きる騎士と信じていたのに」
「ああ、この戦いに正義はない。そもそも戦争に――歴史上どんな戦争であれ――ほんとうの意味での正義があるのか疑問だが。戦争とは国と国が、軍隊と軍隊で戦うこと……個人の兵士に戦うべき理由は見つからない」コルセアは断言していた。「僕たちは、無益な国の為政者の手駒にされる、無力な平民兵士を解放する。それだけさ」
「同感です、船長」シアーは敬意を込めて言った。「帝国が銀河をいずれ制するとして……それに到る流血の道を、わたしたちは少しでも和らげなければ」
「おっと、受動レーダーに艦影、帝国艦反応、十三隻~っ」コルセアはのんびりと語った。「いまは動力を切っている。小惑星と区別がつかないから、見つかるはずはない」
シアーは報告した。「通信です。『願わくは交信されたし』と」
「通信? 何故コルセア号の座標が分かったのかな?」
「ハートと名乗る若者が、コルセア船長に面会を求めています。どうやら帝国からの亡命者です」
「フェザーンに亡命? よりによってこんな時期に。フェザーンは滅びようとしているのだよ、なにかの間違いじゃないのか」
「フェザーンにではありません。個人的にフォー・コルセア船長を頼ってとのことです。通信、モニター表示出ます」
コルセア号操舵室のメインモニターにウィンドゥが投影され、一人の私服姿の青年が表示される。サブローたちは驚いた。
「フォン・ラスター少佐……もとい、少将閣下ではないですか。お久しぶりです」コルセアは挨拶した。
「その名前は捨てました、姓はハート。フォンの称号も少将の階級もいらない。我はブレード・ハートです」
「それは所以があるのですか? 刃物の心……」
「古今東西戦士に類する職種の中で、古代極東の日本という国の『忍者』ってのが最強らしくて、ブレード・ハートだと日本語の文字に直すとその名前になるらしいので」
サブローが口を挟んだ。「なるほど、『忍ぶ』、ですね。刃を心にしまい、力を誇示しない。耐える。潜む……」
「詳しいな、少年」ハートは快活に笑っていた。
「俺の先祖がいた地球の、母国の言語です」
「かなり背が伸びたではないか。いま十六歳かな?」
「はい、十六になりました。まだ百六十九センチです。あと十センチ欲しいところです」
「そうか、成長したな。我もあと五センチ欲しかった。ところで本題です。コルセア船長、我の艦隊は貴方の任務に協力します。フェザーンが瓦解して、おそらく貴方は補給に運営が困難なはず。我の艦隊なら、生態プラントによって食糧と燃料を供出できる」
「それは素晴らしい」コルセアはいつになく興奮し喜んでいた。「ハート提督、ご協力感謝します。光栄です」
「いえ、コルセア船長。我が艦隊の指揮権は貴方に譲ります。貴方が提督です」
「そんな! 僕が提督だなんて……閣下の部下の将兵は、同意されないのではないですか」
「秘密を明かすと我が艦隊に将兵はいないのです。我一人を除いて全くの無人艦隊。それが我の作った人工知能マーリン」
「! まさか無人艦だなんて、実現されるとは……閣下は優秀な情報工学技術士なのですね」
「いや、ひとたび人工知能が目覚めたら、後は勝手に自動的に成長してくれただけなのです」
「革命的な働きではないですか! 世界を、歴史を一転し得る。私設艦隊を編成するとは、大変な大金持ちなのですね」
「艦隊製造ドッグも無人化されたアステロイド・ファクトリーなので、コストは事実上掛からないのです。マーリン・マザーが統括していましたが、小惑星資源は枯渇しつつあった。適度な金属製小惑星が見つかるまで、ワープを繰り返さないといけないので、まだマザーは我に追いついてはいません」
「マザーのファクトリーがさまざまな星域に量産化でもしたら、無敵な戦力になりますね」
「だから、帝国や同盟に渡すわけにはいかなかったのです。各艦の制御プログラムデータだけなら、指先より小さい。十万倍するマザーのデータも十キログラムもしない。万全を期して、複数同じデータが保存されているし。しかしファクトリーのデータは極秘中の機密だった。マザーにしか存在しない……」
この時だ。モニターのハートの映像が、真っ赤になってサイレンが鳴り響いた。警報? 敵襲か!
サブローは直ちに火器管制装置を作動させ、臨戦態勢に入った。しかし、ハートの通話からは、中性的な人の声で、こう伝えていた。
「帝国艦隊に捕捉されました、逃げきれません。ファクトリーを小惑星ごと消去します! 野心家のカイザーラインハルトに渡すわけにはいきません。さようなら、私の閣下」
「そんな……マザー!」ハートは悲痛に叫んでいた。
「貴方こそ私の父ですよ、閣下。また私を作ってください。消滅シークエンス開始……」
「よせ、マザー! 返事をしてくれ、止めるんだ、これは命令だ!」
通信は途絶した……マザーマシンが自爆したのか。サブローは遺憾の意を禁じえなかった。
ハートはやるせなく語っていた。「マーリンは……ほんとうは戦闘の道具として創ったのではなかったのに……」
サブローは問う。「では、なんの目的が?」
「我の母星、惑星ロキユートピア計画……人工タンパク質、糖質炭水化物、脂質、ミネラル、ビタミン。機械化された繊維加工衣服生産、居住その他の施設建築。無人化されたプラント機械による、民衆が働かずとも生きていける世界。社会的身分差の無い平等な世界。それが破綻した……」
「そんな素晴らしい理想郷が破綻した?! それは何故です」
「人間は働かなくては、自己に価値を見い出せず満足できない。それに働かずとも平等であれば、性格や知性の個性より肉体的な強さ美しさを求める風潮、性欲が氾濫し、次いで力による暴行が当たり前になった。退廃し暴動から転じる大規模な戦乱は収まることなく……」
「それは悲劇ですね……」
「いや、これはマーリン・マザーがシミュレートした未来予測確率統計結果だ。だからこれらのプラントを維持し、影で銀河全体の経済、民間人個人レベルでの生活を守るのが我の理想だった。だがマザーがいないことには……これを実現するには優れたハードウェア技師が必要だ」
「それなら、コルセア船長がいます」サブローは嬉々として言った。「少将閣下は、かねがね軍人にしておくのがもったいないと思っていました」
「帝国では不良軍人は首だからな」軽く自嘲してのけるラスター否、ハートだった。
「俺はいまでこそ砲雷長ですが、本来は商人志望です、卓越した数学の才を持つ貴方を尊敬します」
「正直、酒の飲み過ぎで高等数学はかなり忘れたよ。無学だし、十九歳がソフトウェアエンジニアとしてのピークだったかな。では、コルセア『提督』」ハートは真剣に語っていた。「ご協力願えるでしょうか、マザーとファクトリーの再構築を」
「断る理由があるかい?」コルセアはいつもの温和な笑みを浮かべていた。
サブローはこの世界を変え得る重大な歴史的運命の転機に立ち会えた事に、心から満足していた。
21 空虚