『……

「0+0=0」これは、分かるよな。とすると。

「0+0+0=0」こうともなる。

「0+無限(0の集合としての無限数列)=0」そうすると?

「無限+無限=0」はい、答えは?

「無限=0」こう結論できる。

故に。

点。点とは位置だけの存在。大きさを持たない。

線は点を連ねたものではない。点を無限に連ねても線にはならない。

線とは点と点を結ぶ超次元の存在である。

面とは線を無限に連ねたものではない。線を無限に連ねても面にはならない。

同様に、面とは線の一点と他の線の一点を結ぶ、次元の存在である。

体とは面を無限に連ねたものではない。その上の次元の存在である。

以下、四次元とはなにかのもう一つの要素はわからない。仮にその要素が時間とすると、時空となる。

以上の仮説からすると、時空とは体、立方、立体を無限に連ねたものではない。時間とは三次元世界を結ぶ、超次元の存在である。

……』

 ……なんだ、これは。手にした書類を読み進むと、某大手ビデオゲームメーカー企画室部員、畑城は頭を抱えた。オフィスにて、ある昼下がり。

「畑城、なにそれ」同僚の女性相川が問い掛ける。

「ユーザーからのゲーム原案だよ」

「どうせ、ヒット作のモノマネ二番煎じの駄作でしょう?」

「いや、こんなのは初めてだ。だが、この原案者は……とんだパラノイアだな。そもそもこれはゲームか?」

「なになに」

『……

点をいくつ連ねても線とはならないのが、数えられる無限(無限=0)であり、点と点を結ぶものは数えられない無限(0=無限)である。

無限とは0であり、0とは無限である。

とすると。五次元とは時空と時空を結ぶものとなる。それは時空が一点から無限に広がっていくことを示す。これが五次以上の関数が解けない理由だ。

人間の住む世界は四次元であり、時間の一点に存在し、三次元の世界に住み、二次元で世界を見ている。世界は一次元の情報に覆われ、個々は一点に存在している。すべての次元は、一次元で繋がっている。

点とは『位置』とすると、0次元の無い世界なんて考えられないのでは? それともマイナス1次元とは『位置』の無い存在か? それとも特異点?

宇宙はビッグ・バンで始まったとされる。その最初は、0次元ではなく、マイナス1次元であったかも知れない。または、マイナスの次元など存在せず、位置があったから始まったのかも知れない。

または、空間(三次元)や一次元などの、

一次元の線を持たなければ、位置のみの0次元は有り得ない。

二次元の面を持たなければ、線のみの一次元は有り得ない。

三次元の空間を持たなければ、面のみの二次元は有り得ない。

+1次元の時間(四次元)を持たなければ、三次元の空間は一瞬の一点(0次元)に過ぎない。

加えて、さらに+1次元すると。未来が無限に分岐する(五次元)のでなければ。四次元宇宙は一点に過ぎない、ということになる。無限に分岐した宇宙が一点とすると。宇宙は未知の異次元世界(六次元以上)が無数にあることになる。

0-0=0

故に0は消えない。

宇宙は無から生じたのではなく、存在せざるを得ないから存在していると結論できる。無とは有り得ないのだ。

宇宙は文字通り、無限に広がっている。

……』

 相川は原稿を指で弾いた。

「こんなヨタ話、誰が信じるんです?」

「間違いに決まっているだろ。だが、全部読まなきゃならんのが下読みの辛さだ」

『……

直線とは、概念的には無限の長さを持つ、とされる。長さに限りがあるのは、「線分」だ。

面も同様。面が無限に広がっているのならば、裏と表はどこで分かれるのか。宇宙が無限にせよ有限にせよ、表と裏の判別はできるのか? メビウスの輪さ。

四次元目の次元を、時間軸に置くことがそもそもの間違いだ。

歯痒いことに、物理学とは状態論に過ぎない。物理現象を数式で表したものに過ぎず、何故そんな現象が起こるのかというのはどこまで突き詰めても分からない。

宇宙の膨張を三次元のみで考えることがそもそもの誤りだ。

もし時間もひと繋がりの次元だとすると、(未来はわからないにせよ)過去と現在は確かに結びついていることになる。

過去、宇宙はビッグ・バンで始まったとするなら、時間も遡って、一つに結びついていることとなる。すべての物質が一つに繋がっていた時代があったとすれば、ビッグ・バン後の宇宙も物質は一つに結びついていて、現在の宇宙はその投影図ということになる。宇宙は時間的には膨張しているかも知れないが、一つ、一点なのだ。

重力子なんて、捜すまでもない。何故なら宇宙は初めから一つだからだ。

 以上、下らん解説が進んだな。ここから、ゲームの話となる。

* 宇宙はゼロ除算で始まった *

宇宙を森羅万象を司る、巨大な計算機だとしてみよう。

1/1、1/0.5、1/0.25、1/0.125……と限りなく分母を小さくしていくと、答えも限りなく大きくなる。仮に0で除算ができるとすれば、その解は無限であるはずだ。

同時に分子も小さくし、1/1、0.5/0.25、0.25/0.0625……と続けていけば、0から無限が生じる事になる。

逆に1/2、1/4、1/8、1/16……と続けていけば。無限で割っても0とはならない。

分子も小さくし1/2、0.5/4、0.25/8、0.125/16……と続けると? 0に限りなく近い存在しかなくても、0とはならない。

無限も0も存在しない。なんらかの存在、『1』が必ず残る事になる。

それとも0と無限、無限と1、0と1は等価となる。

こんなこと小学校で習うが、0.99999……の無限循環小数は1。

無限=1

1とは、0とは、無限とは存在とはなにかを問うと

<><>無限

<<無限

<無限<

0=1=無限

 これらが全て正しい事となる。

神とは無、無にして一つ、一つにしてよろずの存在。なにもないからっぽ、空にしてこの宇宙そのものである。

現在物理学会で囁かれている、宇宙最小の単位『ひも』は輪。

輪には、生物がそのすべての細胞に遺伝子を記録するように、すべての物理法則が入っている。

それが輪でできているのは、計算機のクラス型に似ている。先頭と最後の要素をつなげ、リング状にしてしまう。リングのどこにでも、要素を付け足したり削除したりできる。リング状にするには、要素が二つ以上あれば良い。まあ厳密には要素が一個でも虚無(ヌル)でもいいが。

人間は宇宙という、巨大な計算機の中に生きている。