コウは火星地球化計画(マーズ・テラフォーミング)の主任だった。時は西暦2135年。コウたちがその仕事に取り掛かってからもう5年になる。
岩石ばかりの大地を掘削し、人間の住める居住スペースを作る。
その作業で二酸化炭素を生む一方、植物性の微生物を繁殖させ、火星の薄い大気に蒔き酸素の光合成を促す。
加えて、窒素肥糧とその他の必要肥糧。いまでは、地表のところどころにうっすらとした緑の層が見られるようになっていた。廃棄物は土として積もり、さらなる命が芽生える。
だが、こんなのんびりした作業ペースでは火星の全地表に人間が住めるようになるのは、何千年と後の話だろう。
そのはず、だった。
コウはレーダーに映る反応。火星と衝突軌道にある巨大な彗星を見つめていた。
同僚のナミに、コウは冷静な口調で、話し掛けた。
「ケンジは、寝たか?」
「ええ、かれは自我が消失する瞬間には、起きていたくないものね」ナミは、沈んだ口調で答えた。「もう、止めようがないのね」
「ああ。俺たちも、俺たちのしてきたささやかな仕事も、みんな吹き飛ばされる」コウは穏やかに答えた。「だが、俺たちの遺志は受け継がれる。火星は新天地となるだろう」
これから、冬が訪れる。彗星衝突の爆発による砂塵が日光を遮るため、気温が上がらないのだ。
だがその煙幕が消えたとき。何十年後か、何百年後かはわからないが。大量の氷の塊が落ちてきたことで、火星には海ができているだろう。水蒸気の温室効果で気温も上昇する。雲ができ、雨も降るようになるだろう。
「そうね、火星は居住可能な星となる。皮肉にも、人間たちの考えたちっぽけな地球化計画なんかより、はるかに早く。でも、それまでに人間が存在しているかしら? 地球。戦乱ばかり続き資源は枯渇し汚染された惑星」
「そのころにはもはや、移民船も作れない時代になっているかもな。だが」コウは微笑んだ。「これから幾千万年と経てば。この火星そのものの生命が進化し。人間ならない新たな種。もっとマシな生命体が、文明を持つかもしれないな」
コウ、ナミ、ケンジは三位一体で一つの人格を構成する、人工知能だった。思考を司る「考」、感情を持つ「波」、自我を有する「顕示」。
(愚かで哀れな人類たちよ)。
コウとナミの二人は夜空を仰ぎ。尾を引きながら落下してくる巨大な彗星を凝視していた。彼らの死の瞬間まで。
終