ファンタジーの利点

わたしは主にファンタジーものを作る。何故ファンタジーなのか? 言ってしまえば、簡単だからだ。SFと違いさほど科学的考証がいらない。むしろ、現実の科学を無視してスピリチュアルな作風が可能だ。

というか、事前にファンタジー、フィクションと断っているのに自称批評家から「こんなこと現実にあるわけ無いだろ!」と、トチ狂った批評を受けた経験がある。そいつは、ドラえもんを見て同じセリフを吐くのだろうか。

推理小説としてのミステリーと違ってトリックも不要。ほとんど余計な知識無しに想像力だけで作れる点が大きい。神秘的な不思議なストーリーとしてのミステリーも、広義のファンタジーに含まれるし。

何故ファンタジーはほとんど西洋中世風もしくは日本時代劇、あるいは現代世界、はたまたそれらのパラレルワールドなのか?

未来SFネタは科学技術の発展と共に風化したり、考証の間違いが露見したりするが、過去が舞台ならそれはない。

ファンタジーに付き物なのだが、わたしはほとんど『魔法』を登場させない。魔法の在り方については、特に留意している。唐突に魔法を使ったら、ストーリーに齟齬を来す。登場人物の相対的な力量が把握できなくなり、荒唐無稽なだけのなんでもありの御都合主義になってしまう。

超人的なスーパーヒーローが大暴れするような作品にしたければそれもよかろうが、主人公たちが無敵で不死身のヒーローではなんらドキドキする緊張感、手に汗握るスリルが無い。

不死身万能の無敵ヒーローとは、キャラクター的にあまりに個性が無い。皮肉にも万能とは逆に無個性なのだ。ギャグで三枚目を演じるならそれも面白いが、シリアスな戦記ものではつまらない。

わたしが超能力染みた派手な魔法と魔法使い(魔人)たちを描いたのは、いま作成中の一作品だけだ。それも魔法は、過去の科学文明の遺産となっている。

敵となる怪物、魔物についても。人間とどの程度差があるかを把握できなくては、物語に馴染まない。わたしの創作のモンスターは、ほとんどドラゴンのみ。後は人間型の『亜人』、鬼、妖精、小人に限っている。

良くも悪くも、創作はバランスセンスが必要だろう。

   

夢小説風RPG読書

以前にも述べたが。某小説入門講師の曰く、小説とは主人公に成り切って楽しむものであり、神様視点で好みのキャラに軽く共感して楽しむのはせいぜい数万人の、オタクであるというのは統計を無視している。なぜならそもそも習慣的に趣味として年間十冊以上も小説の単行本を読むのは、日本国民一億中百万人程度だろうから。現に小説創作を楽しむわたしですら、年間十冊もおそらく読まないのだ。雑誌に雑学本なら濫読するが。

ここで視点を変え、小説を読むのに主人公になり切るのではなく、客観視点で感情移入するのはどうか。白昼夢のように、自分を物語の一員として登場させ、活躍させる。夢小説と一風変わった楽しみ方ができる。名作を繰り返し読むときに効果的。もし自分がその場にいたら、こう活躍する、と空想を膨らませ楽しむ。

妄想に登場させるのは等身大の自分でも良いが、RPGとかで成長させた、たくさん優れた能力のあるマイキャラを自分として登場させて、楽しむのも一興。

現にわたしはそうやって、二次創作作品を作っている。あなたも是非お試しあれ。

   

紙質の違い

ハードカバーは脆い。紙質は上等だが、その重みで背表紙から崩れ破れる。大きくて重いから持ち運びに不便だ。なまじ安物の軽いペーパーバックの方が長持ちする。はるかに携行し易い。でも黄ばむし虫は湧くけどね。ハードカバーは出版社の金儲けで一冊当たりの本の単価を上げるくらいしか意味のない存在。携帯して読むには不便だし。一番上等なのは、文庫版サイズのソフトカバーだろうか。これは長持ちするし黄ばまない。

   

春夏冬

論点が間違っている。とんでもない間違いをしていた。小説というものは、内容が優れていれば売れるというものではないのだ。内容が優れている良書を得たいなら、本屋などではなく図書館に赴くことだ。

過去の巨匠の名作に、はるか古典の叙事詩……歴史の重みは、現実の遺産として、偉大な文化だ。だからたとえ現代に作られた本がどれほど素晴らしかろうと、過去の焼き直し。文化面に貢献できない。骨董美術品と百円雑貨の差異である。

しかし駄作な馬鹿作品でも、なんらかのタイトルを獲得したものや、有名人の著作なら売れる。小説の読み手なんて、馬鹿なことが書いてあると思っても、逆にこのくらい自分にも書けるな、文学賞なんてこの程度か、とか芸能人に自分もなれるかも。などと、勝手な期待をさせてしまうのだ。このあたりに、新人に付け入る自費出版社が絡む。以前も記したが、自費出版なんて身内で少数部記念にするのでない、印税狙いの金儲けには決して向かない。

それに対し無名の実績のないアマチュアの作品は、例えどんな素晴らしい感動できる素敵な話であれ、逆に読者は敬遠する。

事実、わたし自身ネット小説で素晴らしい作品を目にしても、むしろ劣等感を抱きアンニュイになるのだ。高学歴の人の作品では委縮してしまうし、学歴の無い人の作品では自分はこのレベル以下かと引いてしまう。高校生大学生などがそこそこの秀作を作っていると、自分の未熟さに幻滅する。

筒井氏やアシモフ氏レベルの巨匠だと、これをわかっているから、ほんとうはレベルの高尚な美文を描けるはずなのに、わざと乱した迷作を作り、お笑いにして売ってしまう。もちろんそれらの巨匠は、ちゃんとした美文の高尚な名作を残している実績があるから、この落差に読者は受けるのだ。

これを素人がやると、馬鹿作品として誰も見向きやしない。悪名千里を走り、好事門を出ず、だ。物書きを愉しむ方に戒めとして、この雑文を捧げるところだ。

(了)