わたしは目を覚ました。現実であると信じたい。でも、もはや現実と狂気の線引きなんて、どこにもないことを承知していた。ベッドから起き、部屋を見回す。昨夜のままの、わたしの部屋だ。日の光が差し込んでいる。空調は二十五度に設定しておいたけど、外はもう暑いかも。時計を見ると九時。昨夜が遅かったとはいえ、寝坊しちゃった。

 携帯を確認する。伝言が入ってる。剣崎涼平!

(真理、無事か? 直人とシンクロしたらしいな。危ないところだった。ヤツなら始末した、落ち着いたら連絡してくれ)

 わたしはすぐに電話した。「涼平さん、無事だったの?」

「あんまり無事ともいえないが、いまは危険は無い。よかった、その様子では自我の崩壊にまではいっていないな」

「その確信は、いまとなっては持てないわ」

「人によっては最悪、目覚めない。そうでなくても神経衰弱に陥り白痴のような症状が出る」

「幻聴はあったわ」

「幻聴を現実の声と区別できるなら、自我はまだしっかりしている証拠だ。ひどい悪夢を見ただろう?」

「不思議なものね、起きてからでもしっかり覚えている夢なんて。でもほとんど支離滅裂だったけど。直人って馬鹿、どうなったの」

「極刑を科したよ。写真を送る」

 携帯に、写メールが届いた。開いてみると、ドラゴン。シザーズの口にぱっくりと胴体をくわえられた直人の姿が。「なにこれ? シザーズのエサにしちゃったの!」

「いや、それより悪い」涼平は苦笑している。「真理を侮辱した罪により、旧都東京へ追放の刑だ」

「追放って?」

「田舎もので方向音痴の直人は東京都心に入り込むと、一人で出られない! 内気な直人は他人に道を聞けない。警察を怖がっているから交番にも入れない。新宿原宿といった、地名すらよく知らない。あいつは『地図が読めない男』なんだ。人の話聞かないし」

「馬鹿じゃないの」

「一種の知的疾患。空間認識力が欠落しているんだ。小さい頃から引きこもりでろくに表で遊ばず、本やテレビばかり見ていたせいさ」

「で、どこへ追放したの」

「渋谷。いいセンスだろ?」

「ちょっと可哀相ね、とても似つかない。でも、そんなところへほっといて無事なの?」

「直人を知るものなら、ヤツの半径十メートルに入りたくは無いさ。ヤツはOS/OKの優勝者だからな」

「なにそれ」

「テレビゲームさ、拳銃の撃ち合いのね。大会が開かれたそのゲームで、直人はヒットレート98%という驚異的なスコアを見せた。それで昨日だって、真理は無事だったんだ。直人を殺れる刺客なんて、そう集まらないからな。それに」涼平の口調が曇った。「ヤツは他人の命なんてお構いなしだ。殺されるとわかれば、街中で自爆しかねない男だ。敵はおろか無関係な民間人巻き込んで。まさにテロリストだな。自称、反社会的サイコパス」

「それがジェイルバード?」

「ヤツだけだよ、危険人物は。そう信じたいね」

「ジェイルバードって十二人いるんでしょ」

「らしいが、俺は知らない。実際に面識のあるのはナンバー1、ボスだけのはずだった。それが、たまたま幼馴染だったから直人が加わっているとわかった。ナンバー6、ろくでなしの六番。ちなみに俺はナンバー4ってことになっている」

「たしか他に、ランバージャックとかいう凄腕ハッカー少年がいるんでしょ」

「そいつもコールネームを知っているだけさ。そいつはナンバーすら不明。ナンバー2が忍者、ナンバー3が侍、ナンバー7がナースとも、ナンバー9がクイーンとも呼ばれている。そして」涼平は間を置くと断言した。「真理、きみはナンバー12だ」

「わたしが!?」息を呑んだ。「ジェイルバード?」

「データは閲覧したはずだ、俺も完全には信じていないが、閉じた時間の輪の中に俺たちはいると。未来図は、きみの出現を予言していた。それが誰かまではわからなかったが」

「未来図って……」

「コウはそれを計算していて、昨日真理を12と定めた。一昔前、コンピューターの2000年問題があったろ、それが事故を引き起こしたという。1999年以降、俺たちは過去、現在、未来の区別がつかない混沌の時代にいる。いま宇宙ではスターウォーズが起こっていて、同時に核の冬で凍りついた世界で文明は暗黒の中世に逆戻りしている。たまたま俺たちが生きているのが、この時空だ」

「狂っているわ」

「この宇宙存在そのものが矛盾さ。無から有、だからね」涼平は穏やかにいうと、激しく咳込んだ。「悪い。まだ体調が万全じゃない。真理も混乱しているだろう、今日は休んでいるんだ。なにか質問は? わかった、いまは安全だ。ゆっくりするんだぞ」

 電話は切れた。ゆっくりしろ、なんて言われても落ち着かない。わたしはパソコンを立ち上げネットを調べてみた。検索するにつれて、断片的に情報は集まった。昨夜のチップとも合わせ、事実を整理する。

ジェイルバード。十代二十代の若者が集まったそれは、腐敗した社会の病巣を切り取る、二十一世紀のつるぎだった。政党にコネを持つ談合接待当たり前の悪徳企業、その杯を交わす暴力団なんていいカモだ。魔法使い、か。

使う武器はスタンガン内蔵の警棒「ショックロッド」や、麻酔弾を撃てる電動エアガン。それでやくざの足を止めると、催涙弾や煙幕、火薬を使った偽火災、携帯への偽り電話、とにかく悪戯の限りを尽くして煙に巻いてしまう。

そのいまの敵が、日本中央バイオニクス。ドラゴンを生み出した企業。創始者は遺伝子工学の権威神無月教授か。しかしかれは経営には無関心で、会社は強欲で政治的野心、歪んだ権勢欲に駆られた役員に牛耳られている。教授は会長とはいってもお飾りだ。

実際の代表取締役は伊藤とかいう脂ぎったおやじだ。こいつにしたって、傀儡のようなものだ。財界と政界にここまで入り込んだ企業となると。

どこにも、ドラゴンの開発なんて記されてはいない。しかし、株価を数百倍に跳ね上げたなんて説明は、常識では考えられない。やはり革新的な発明があったとしか思えない。それがドラゴン? なんにしても、わたしなんかじゃあんまり情報に踏み込めない。

 パソコンを消そうとして、ふと、メールが入っていたことに気付いた。昨日の日付、四日後開かれるコミケのサークルの仲間からだ。ほとんどはネット上でしか知らない相手だけど、明日、つまり今日みんなでオフ会を開くという。秋葉原午後二時集合、か。

 どうしよう。いまは危険が無い。おまけに人混みのほうが安全、それに平静に、普段どおりの生活をしろとするなら、行ってみるか。電車に乗って、一時間半もすればつく。

 わたしはお風呂のシャワーで汗を流し、普段着に着替えると家を出た。携帯に財布に、コスプレ用のメイドの衣装。念のため、シュリークは持って。